第20話 まかない探偵

 俺は探偵――。

 依頼があれば、どんな奴だろうと、いつ何時なんどき、何を食べたかを、全て調べあげる事が出来る。

 だから、同業者達は、俺の事を、まかない探偵と呼ぶ。


 本音を言えば、こんな名前など屈辱でしかない。

 密室殺人のトリックを灰色の脳細胞で解き明かし、抵抗する犯人の銃弾から身を隠し――そんなハードボイルドに憧れてこの世界に飛び込んだのだ。


 しかし、現実はそんなに甘くなかった。

 俺は、未だ〈まかない探偵〉に甘んじている。


 俺の依頼主は大半が女性だ。

 女性と言っても――金髪を潮風になびかせた某国の女社長――なんて、カッコいい相手じゃない。


「宅の坊ちゃん! 一人住まいで大学に通っているのざますが、毎日、何を食べているか調べて頂戴……栄養失調になったらどうするざます」


「うちの旦那……糖尿病なのに、ぶくぶく太っておかしいのよ。昼飯で何を食べているか調べて頂戴」


 過保護か、疑心暗鬼な依頼者ばかりだ。


「お宅の息子さん……昼は毎日ハンバーガー。朝食は抜き。夜は、月、水、金がパンで、火、木、土曜日がカップ麺……日曜日は、朝から菓子三昧ですね」


 俺は、資料に目を通しながら報告する。


「こんなんじゃ、栄養が脳までいかないじゃないざますか?」


「栄養どころか、極端な偏食ですから……あと一年もしたら馬鹿になりますね」


 俺は、笑いを噛みしめながら決めつけた。


「あの……素直な、可愛い坊やが……?」


「間違いなく……馬鹿になります!」


 俺は、この瞬間が大好きである。


「お宅の御主人。糖尿病ですが……昼はほとんど、炭水化物&炭水化物ですね」


「と……いうと?」


「月曜日はラーメン&チャーハン。火曜は、うどん&いなり。水、木、土曜日は、お好み焼き&大盛り焼きそば……」


「水、木、土……じゃあ……金曜日は?」


「特大お好み焼き&焼きそばです……」


「どういう事なのでしょう……か?」


「馬鹿舌……なんでしょうね」


 奥さんの、苦虫噛んだ顔を見つめながら報告する。


「あ! 言い忘れていました。毎日、駅前で必ずアイスクリームを買って、食べながら帰っていますね」


「え! アイスも……糖尿なのに……」


「まぁ、六時以降の調査は超過料金になりますが、この分だと糖尿治療で更に金がかかるでしょうから……今回はタダにしときます」


 うつむき、怒りで肩を震わせている奥さんを見下ろす俺――。

 俺は、この瞬間が大好きである。


 人は俺を〈魔かない探偵〉と呼ぶ。


 しかし、今夜の依頼者は少し雰囲気が違っていた。


 女は、夜の十時過ぎ、探偵事務所に現れた。

 探偵に依頼をかける奴は、大概、猜疑心さいぎしんが強く、嫉妬深しっとぶかいいのが相場なのだが、この女は少し違っている。


 ブラックのフォーマルワンピースを上品に着こなし。

 カクテルハットの隙間から見上げる、その妖艶ようえんな瞳に魅入られると、漆黒の闇に引きずり込まれそうになる。

 信じられないほど魅惑的な女だ。


「あなたのような女性が……何故こんな依頼を?」


 思わず聞いてしまった。

 探偵は、依頼された仕事を淡々とこなせばよいのに。


「別に深い理由はありせんわ。この男性の食生活を一か月調べて頂ければ……」


「しかし、この男性は……総合格闘家で食事制限なんか……」


 女は、人差し指を俺の唇に当てると――。


「よろしく……ね」


 俺は、犬のように何度もうなずいた。

 後で考えても、ハードボイルドにあるまじき恥ずかしい態度だった。

 その日から、総合格闘家の食生活を調べる為に尾行を開始した。

 さすがに、奴は格闘家らしく勘が鋭く、何度も悟られそうになった。

 しかし俺も、この世界で少しは名が知れた探偵だ。

 何とか一カ月の調査が終了した。


「ご苦労様……何も不審ふしんがる事は無かったでしょう?」


 あの日と同じ、フォーマルワンピースを身にまとった女が魔性の微笑ほほみを浮かべている。


 俺は、魅入られそうになるのを、必死で我慢した。


「確かに……ストイックなまでに規律正しい生活をしていました。暴飲暴食もしない。食事の栄養バランスも完璧です。ただ……」


「ただ……何か?」


 女の体が少しだけ前のめりになった。


 俺は探偵。そんな小さな動作を見逃さない。


「彼は、美食家……いや、かなりのワイン愛好家ですね」


 女の、体が更に前のめりになった。


「調べたんですが……彼は収入の大半をワイン購入に充てていますね」


「そうなの……どんな、ワイン?」


「……ロマネ・コンティです」


 世界一と称される高級ワインである。


「彼は、それを集めるだけでなく……毎週水曜日の夜……試合の後、祝杯をあげるんです」


「そうなの……呑むのね。コレクター(収集家)じゃないのね」


 女は、俺から報告書を受け取るとソファに深く座り直した。

 俺は、探偵としては好奇心が強すぎるのが欠点だ。

 女の目的が気になり、さりげなく聞いた。


「格闘家とワイン……どちらに興味があるんですか?」


「そうね……どちらが美味しいかしら……」


 女は、立ち上がりながら俺に微笑んだ。


「美味しい……?」


 女は、謎をかけたまま、約束の倍の報酬を置いて出ていった。

 

【とあるビルの一室】


 薄暗い部屋のドアが開いた。


「帰ったわよ……睨んだとおりだったわ」


 女は、ソファに座り、腕を組んで震えている黒装束の男に言った。


「そうか。もう腹ペコで我慢の限界だ」


「今夜……水曜日の夜が……チャンスよ」


ぶつは?」


 黒装束の男の目が暗闇で赤く光った。


「ロマネ・コンティ《最高級ワイン》よ……文句ないでしょ」


〈バサッバサ~!〉風が舞い上がった。


 男の体は、数十匹の蝙蝠こうもりに変わると、窓から飛び出して行った。


「血中アルコール濃度がピークになるのは、飲み始めて一時間後だからね~」


 飛び去る蝙蝠こうもりに声をかけた。


「まったく……グルメのドラキュラって面倒くさいだけね……健康血とワインが欲しいなんて……」


 女は、月夜に消えていく蝙蝠こうもりを見送りながらつぶやいた。


【まかない探偵事務所】


 俺は、まかない探偵。

 でも、いつの日か、ハードボイルドな事件で、退屈な日々から抜け出したいと思っている。

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