第19話 望郷

 真っ白な砂浜に横たわり、男は、暮れゆく空を眺めていた。

 見渡す限り何もない――。


「いったい……何万……いや……何十万年……俺は……眠っていたのだろう?」


 幾度となく自問自答じもんじとうを繰り返した。

 男は、ほんの少し前まで漁師だった。

 あの日――大漁旗をなびかせ、意気揚々と港に向かって舵を切った。

 男は、働き者の妻と、元気な子供達の笑顔が見たくてスロットを開けた。

 白い泡を巻き散らしながら疾走する漁船。


「あれ? 今日は少し早いんじゃないか……」


 岬の灯台に明かりが灯ったのが見えた。

 まだ、夕暮れなのに灯台の火がともり、漁船を照らしていた。


「なんだ? 灯台が近づいてくる……いや……光が近づいているのか?」


 男は、状況が読めないまま、どんどん眩しさを増す光から目が離せないでいた。


「なんだ? ……これは……まさか」


 光は漁船の頭上で七色に輝き始めると、渦を巻きながら漁船を吸い上げた。


「うわっ~! た、助けてくれ~」


 男が、地球上で発した最後の言葉だった。


 最初に目覚めた時。

 白くまばゆい光の中に,細くて長い手足を器用に揺らしながら歩く黒い影に気づいた。


「なんだ、お前たちは……ここはどこだ?」


 起き上がろうとしたが、体の自由が利かなかった。次の瞬間、男は深い眠りに入った。


 次に目覚めた時――男は小さな部屋に居た。部屋には小さな窓があった。

 おぼつか無い足取りで、窓から外をのぞくと、そこには見たことも無い光景が広がっていた。

 銀色に光り輝き、そびえる無数の建物。その間を自由に飛び回るUFO。

 ここが地球ではない事は、一瞬で理解できた。

 そして、自分が宇宙人に拉致らちされたことも――。


「俺をどうする気だ! 俺を地球に帰せ! 帰してくれ~」


 男の声は、小さな部屋の中で空しく響いた。

 その日から、男は実験体として、あらゆる苦痛に耐える日々をいられた。でも、男の心は折れなかった。


「いつか、ここから抜け出してやる。俺は地球に帰る……子供達に逢うまで俺は絶対に負けない」

 

 そんな、男に好機が訪れた。宇宙人の中にも人権派の団体があった。


「未開の星の住民を人体実験に使うなんて。そんな事、決して許されることじゃない……」


 男はその団体に助け出された。


「この宇宙船をあなたにあげる。これで地球に帰りなさい」


 男は、小さな旧型の宇宙船で脱出した。

 ある程度の操縦法は教えて貰ってはいたが、いんかんせん型が古すぎた。


「この宇宙船……光速で飛べても……ワープ機能が無いじゃないか」


 人権派の団体は、宇宙船の知識が低かった。


「ここから、地球までの距離が分からない上に、ワープ出来ないなんて……光速でも何年かかるんだ?」


 男は、子供達に逢える夢を諦めた。


「それでも地球に帰るんだ。死ぬなら妻や子供達が居た地球で……」


 地球の辿り着く事だけを夢にした。男は、宇宙船の行き先を地球に設定すると、冷凍睡眠のカプセルに横たわった。


「もし、何万年もかかったら……」


 不安を拭い去るように頭を振ると、男は眠りについた。


 けたたましいブザーの音と共に男は目覚めた。


「着いたのか? 地球に帰って来たのか……」


 男は、ふらつきながら宇宙船の窓にしがみ付いた。

 真っ青な海と、緑の大地。筋のように流れる真っ白な雲――本物を見た事は無いが、テレビ等で観た地球だった。

 いや――夢では、何千回、見た事だろう。


「いけない……スピードが出すぎている。このままでは通り過ぎてしまう」


 旧型の宇宙船である。故障は想定内だ。男は、宇宙船を捨てる覚悟をした。

 脱出用のポットに飛び込むと、地球めがけて飛び出した。

 男を乗せたポットは、大気圏の摩擦まさつに耐え、海岸線近くの地表に降り立った。


「地球だ……俺は帰ってきたぞ~」


 男は両手を大空に広げると、ありったけの大声で叫んだ。

 あふれる涙が、頬をつたい砂浜に溶け込んだ。


「そうだ……人は……人類は生き延びているのだろうか……」


 脱出用ポットの窓から見えた景色に建造物らしき物は、何処にも見当たらなかった。


「まさか……滅んだなんてことは……」


 一抹いちまつの不安が胸をよぎった。男は、脱出用ポットから、非常用のキットを取り出すと、それを背負い海岸線を歩き始めた。


 何時間歩いただろう――太陽が水平線に沈みかけていた。


「おかしい……何も無いなんて。滅んだとしても、残骸くらいは……」


 男は、何日も、何日も彷徨さまよった。やはり、人類はおろか、その痕跡すら見つけだす事が出来なかった。

 真っ白な砂浜に横たわり、男は、暮れゆく空を眺めていた。

 見渡す限り何もない世界――。


「いったい……何万……いや……何十万年……俺は……寝ていたのだろう?」


 夜が更けるにしたがって、満天の星が輝き始めていた。


「そういえば、地球に帰ってきて星なんか見てなかったな」


 男は、星を眺めながら溜息をついた。


「あれが金星……子供達に『あの星が出たら帰ってくるからね』って約束していたのに。ごめんな……父さん、守れなかったよ」


 男の目に涙があふれた。


「あれ? 金星の横に……あんな星があったかな……」


 男は漁師だった。

 夜になっても、星の位置で漁場を見つける事ができた。


「おかしい……なんだ、あの赤い星は? 火星はあの位置じゃないし」


 男は、救命キットから電子双眼鏡を取り出すと、その不思議な星を覗いた。


「なんだ……あの星は……火星そっくりじゃないか」


 生ける物の断末魔。真っ赤な地表が広がる星。更に、双眼鏡の倍率を上げた。


「あれは……まさか……そんな……」


 男の手から双眼鏡が転げ落ちた。同時に男の膝が折れ、砂浜に平伏すと、声にもならない声で泣き叫んだ。

 男が見たものは――真っ赤な地表に盛りあがった――大陸の形。

 その全てが見覚えのある大陸だった。

 アフリカ大陸、オーストラリア大陸。ユーラシア大陸の横には、男の故郷である日本の形をした隆起もあった。

 気の遠くなる年月が、火星を地球に――地球を火星の環境に変えてしまった。


 男が連れ去られた星は、地球から一億三千万光年離れていた。

 

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