第9話 マグネチュード7.9

 記録を塗り替えた連続真夏日も、やっと影をひそめはじめた初秋の頃。

 九月一日、午前十一時五十八分――。

 東京をマグネチュード3の地震が襲った。

 普段から地震に慣れている都民にとっては驚くこともない、日常の一部だった。


「佐藤ディレクター……大変です!」


「どうした……そんなに慌てて?」


「さっきの地震で、大野ビルから火が上がっています。ビル火災です!」


「大野ビル……あの古いビルか? ここから百メートルも離れていないじゃないか」


「黒煙が上がって……結構ヤバイですよ」


「よし! 直ぐに取材に行ってくれ。これはうちの独占放送だな」


 大手のテレビ局から、小さな仕事を請け負って生計を立てている、小さな制作会社にとって、このスクープは天の恵みだった。


「そうだ! この距離なら屋上からドローンを飛ばして、上空からの撮影もしよう」


 佐藤は、制作担当に声をかけた。


「そうですね! 黒煙を上げるビルを上空から撮る……迫力ありますね。直ぐ手配します」


 担当を見送った佐藤は、足早に映像スタッフが待機しているモニター室に飛び込んだ。


「早いな! もう火災現場の上空じゃないか」


ドローンから映し出される画像をにらみながらマイクのスイッチを入れた。


「うちは、ドローンには金をかけていますからね。性能ならキー局にも負けませんよ」


 映像監督である、木下が鼻を鳴らした。


「しかし……凄い煙だな。あのビルで何が燃えているんだ?」


「塩ビ系の商品。オタク系のフィギュアが沢山展示されていたでしょう」


「よく知っているな……木下」


「一回取材に行ったじゃないですか。プレミアムな商品も置いていたのに……勿体ないですよね……」


「あはっは~。そうだったな。君がオタクだった事を思い出したぞ」


 現場の緊張をやわらげるために、佐藤と木下は、周りのスタッフに聞こえるようにくだけた会話をすることを心掛けている。


「おい! モッちゃん……もう少しドローンを煙から遠ざけてくれよ。全体のアングルが欲しいんだ」


 佐藤は、マイク越しに、屋上に待機しているドローンの操縦者である茂吉もきちに指示を出した。


「……おい! モッちゃん……聞こえるか?」


 ドローンから送られる画像は、黒煙に向かってドンドン近づいている。


〈おかしいぞ! 佐藤ちゃん……ドローンの操縦が効かないんだ……〉


 スピーカの向こうから焦るモッちゃんの声が流れてきた。


〈壊れているわけじゃないのに……煙にドンドン吸い込まれていく……〉


「やばいぞ! 煙に巻かれたら……熱と油で墜落してしまう。何とか離れてくれ」

 木下もマイクに口を近づけ怒鳴どなった。


〈ダメだ……突っ込む……〉


 ドローンは、真っ黒な煙の真ん中に突っ込んだ。


「ヤバイ……」皆が固唾かたずを飲んだ。


 数秒後――炎が混じる黒煙を抜け出したドローンから映像が送られてきた。


「おい! やったぞ。モッちゃん……抜け出したじゃないか。たいしたもんだ」


 佐藤は、マイク越しに屋上の茂吉をねぎらった。


「ドローン一機でも、貧乏会社には貴重品だからな……なぁ……木下」


「…………」返事がない。


「木下? ……どうした?」


 木下は、佐藤の袖を引っ張るとモニター画面を指差した。


「え! 何……モニター観ろってか?」


「これ……なんだと……思います?」


「これ? あ! ……人じゃないか……おい、マジか……なんだこの惨状は……」


 佐藤は息を飲んだ。木下も画面から目を離せないでいる。

 信じられない光景が、モニターに映し出されていた。

 瓦解がかいした家屋で、ビルの辺りは一面無残な瓦礫がれきの山となっている。至る所から炎が噴き出し、真っ黒な煙が渦を巻いて立ち昇っている。

 その隙間を人々はまるでアリの群れのように、折り重なり合いながら逃げまどっている。体を炎に包まれ、もがき苦しんでいる人がいる。

 瓦礫がれきに埋もれ、体の一部が空をつかもうとうごめいている。まさに地獄――地獄絵図だった。


「こんな……馬鹿なことが……」


 女性スタッフは床に座り込んで震えている。


「……佐藤さん。この光景おかしくないですか? ビルが……ビル群が何処にも見当たらないんです。あの程度の地震でビルが崩壊するはずが……」


 木下が、ドローンのピントを合わせながら言った。


「たしかに……この光景は、東京とは思えないな……モッちゃん! 屋上からドローンが目視できるか?」


 佐藤はマイクをつかむと、ドローン操縦士の茂吉に呼びかけた。


〈それが……どう動かしてもドローンの姿が見えないんだ……モニターを観ると、操縦は出来ているんだが……〉


 コントローラーに付いている画面を眺めながら、非現実的な状況に戸惑う茂吉である。


「操縦が出来る? なら、そこからドローンをコントロールできるんだな」


〈そうだ……大丈夫だと思う〉


「モッちゃん……ドローンを上昇させてくれないか! 限界まで高度を上げてくれ」


 茂吉はドローンを限界ギリギリまで上昇させた。


「やっぱり……これは……今の東京とは思えないな。昔……それも、随分前の日本……じゃあないか?」


 佐藤は固唾を飲んだ。モニターに広がる光景が信じられなかった。そこにはスカイツリーも東京タワーも、新宿副都心も何もなかった。

 ただ――燃えさかる炎と黒煙は、はるか上空からでも確認できた。


「佐藤さん……この惨状。もしかしたら関東大震災じゃないだろうか?」



 ずっと画面を見つめていた、木下が口を開いた。


「ジャーナリストが言っちゃならないのが、絵空事だと分かるけど……この惨状、建造物……現在の世界ではありえないよ」


「……」佐藤も薄々気づいていた。


「今日は、九月一日……関東大震災があった日は……確か……」


「『九月一日十一時五十八分』です……そして今の時間は……」


「十二時十分……惨状が始まっている時間だ……」


 時計を見ながら佐藤がつぶやいた。


「しかし、映像が関東大震災として……じゃあ、この状況をどう説明したら?」


「いいでしょうか?」


 若いスタッフが、佐藤に向かって手を挙げた。


「仮説ですけど……マグネチュード7.9の地震のパワーが有れば、時空を裂く事も可能なんじゃないかと……」


「時空を裂く? それじゃ……その裂けた亀裂からドローンがタイムスリップしたと?」


 木下が口を挟んだ。信頼できる部下の考えに乗った。


「そうです……」


「なら、どうしてドローンを操縦できる?」


つながったままなんじゃないでしょうか? 向こうの時空の亀裂と、こっちの亀裂が……」


「こっちの亀裂? 向こうはマグネチュード7.9だが、さっきの地震はマグネチュード3……その程度で時空を裂くことが……」


 佐藤が木下と目を合わせた時だった。


【ズズッドォウゥゥ、ゴォォォ】

 今までに聞いた事のない地鳴りが辺り一帯に響いた。その凄まじい音は、共鳴だけで壁に亀裂を走らせた。


【ズッシンズッズズ】

 次の瞬間――台地が大きく揺れた。その場にいた全員が宙に浮き、天井と床に叩きつけられた。

 直下型マグネチュード7.9の地震は、最初の一撃で関東平野を壊滅させた。

 たったひと揺れで、人類が築き上げた平成の文明を根こそぎ奪い去った。


『カットォーー!』


 宇宙空間から、地球を見下ろす巨大な宇宙船の中に、声が響いた。


『いやぁー良かった。こんな辺境の星で、なかなかのが撮れたじゃないか。よくこんな星を見つけたな、君……』


【ドキュメント……星々の惨状】の一シーンを撮る為に、この地球にやって来た宇宙映画会社の映画監督が、長い触角を振り回しながら、助監督に言った。


『こんな田舎の星なら、少々荒い事をしても映画倫理機構えいりんは気づきませんよ』


 三本あるシッポを振りながら助監督がすり寄ってきた。


『そうだな。ドキュメントと言っても、少しはSFを織り込めないと、観客は飽きてしまうからな』


 満足そうな監督。目が青く光っている。


『そうですよ。銀河中央の奴等なんて、みんな悪趣味ですからね……フォフォ』


 真っ赤な唇を耳まで裂いて笑う助監督。


 その助監督の耳をつまむと、牙がき出しになっている口を近づけて、監督がささやいた。


『一応、未開星への強制介入は映画倫理機構えいりんがうるさいから……もし、この星を調査しようとする動きがあったら……分かっているな』


『任せてください。実は私……この星を一回やっちゃっているんですよ。恐竜とかいう奴等を絶滅させていますから……』


 五本ある親指を全部立て、真っ赤な舌をチョロチョロさせながら助監督は言った。

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