時計を持ってますよね?

「あなた、時計を持ってますよね?」

 道端で、矢庭に女の子にそう、話しかけられた。年齢不詳の女の子だった。中学生くらいにも見えるし、二十代後半くらいにも見えてくる。僕はまず、話しかけられたのが自分なのかを疑って、周りを見た。誰もいない。それに彼女は、まっすぐ僕の顔を見ていた。

「持ってますよね、時計」

 彼女は、店員のような作り物っぽい笑顔を浮かべたまま、すっと一歩踏み込んでくる。こちらが身構える前に、僕の鞄に手を突っ込もうとした。

 ぎょっとして、後退る。体を捻って、鞄を彼女の手から遠ざけた。「何」と引きつった声が漏れる。「何ですか、急に」

「時計を持ってますよね?」

 彼女は相変わらず微笑んでいる。

 ぞっとした。

 そんな普通の人みたいな顔で、こんな意味の判らないことをしないで欲しい。

「時計を」

「時間を知りたいんですか?」僕は訊ねた。

「時計を持ってますよね?」

 彼女が手を伸ばす。また鞄に手を突っ込まれるのかと思って、僕は思わず、左手を前に出した。その左手を、彼女が掴んだ。すごい力で。

 ガリッ、と変な音がする。僕が慌てて腕を振り回すと、案外、彼女はあっさり手を離した。放した手に、なにかを持っているのが見える。彼女は、子供みたいに声を立てて笑って、身を翻し、走り去った。あっという間に、姿は見えなくなる。

 僕は呆然としたまま、左手首をさすった。違和感がある。腕時計が、なくなっていた。皮膚に、線状の傷が浮いている。どうやって外したんだろう、と僕は、場違いに暢気に首を傾げた。

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