錬金術師 / アカ / 神託

 1――


 ――『度を越した祝福は呪詛と区別がつかない。もしあなたがある神から過剰な寵愛を受けているなら、他の神から不興を買っていると考えるべきだ。つまりは嫉妬である。そうなると言うまでもなくあなたは神々の政に巻き込まれたことを意味する。ここまで来たらもう手の施しようがない。あなたは自身の力量を遥かに超えた運命に踊らされるのだ』

                     ポセイドヌスの箴言の一節

 ………………

 ……………… 

 蝋燭の火が灯る一室に初老の男が寝台に横たわっている。今にも寝てしまいそうなくらいうとうとしている男の隣には若い女性が椅子に腰掛けていた。

「お父様」男は呼ばれてふと目を覚ました。「もうお疲れでしょう。本日はここまでにいたしましょう」

 この言葉には建前として多分な嘘が含まれている。疲れているのは主人ではない。端女だ。

「ちょうどいいところだ。続けてくれ」

 そう言いつつも何処まで聞いているのやら。その重たそうにしている瞼は今にも閉じそうだ。

 端女は主人の座右の書であるポセイドヌスの箴言を読み聞かせていた。錬金術師のくせになぜヘルメスではなくポセイドヌスの教えを遵守するのか。その点は端女の理解を超えていた。とにかくこの男は夜になると退行現象を起こして甘えん坊になるのだ。それでも直接的な行為はない。もっと低次元な原初のエロス、即ち母性を女に対して求める。

「はい。仰せのままに」

 本当に困った御方だ。この主人は自分の身体をよく解していない。老齢に入るとどうしても朝は早くなる。その癖してこの男は夜更かしをしたがる。気持ちはまだ若いつもりでいるのだろう。事実、この男には年不相応な体力はある。しかし、年相応の悟性というものにはまるで縁がない。おかげで限度というものを知らない節がある。

 こんな調子だとまた疲れが堆積して倒れるに違いない。身の回りの世話をする私の身にもなって欲しいものだ。箴言を座右とするならそれこそ爪の先ほどでも構わない。この髭の生えた子供にも自制心というものを持って欲しい。

 端女は内心では悪態をつきながらも決して顔には出さない。普遍なるアガペーを以て愛に飢えた子供を宥める。白いものが混じった髪を撫でながら朗読を続ける。

 そのうち男は我知らず眠ってしまったようだ。幸せそうないびき混じりの寝相は呼んでも起きそうにないから朝までそっとしておくのが吉であろう。それにしても今日の主人はいつにも増して変だった。端女はあの気違いの客人が関係しているのだろうかと思った。主人は外で知られているような傍若無人振りとは打って変わってその実は繊細で臆病な人間だからあの狂人に心底怯えていたのかもしれない。それこそ暗闇の中、目を瞑るのが怖いくらいに。だから端女に寝かせて貰おうとした。口惜しいことだが、端女はそんな主人の心情を汲めるくらいに多くの時間を共有している。

 この端女は特別美しい訳ではない。ただ字が読めるだけの教養と少し大きめの乳房があった。それは母性に飢えた主人の求むるところであった。お陰で精神面において重労働を強いられるようになったが、おかげで端女としては相場より多いくらいの扶持を頂いている。

「今日はえらく疲れてしまった。明日に備えて寝ましょう」

 端女は本を朗読していた本を片付けると待機部屋に戻って寝具を用意した後、そのまま横になった。

「明日はもう少しマシな一日になりますように」

 ふっ、とロウソクの火を消して今日という一日を終える。


 2――

 自由身分を得たというのに危うく路頭に迷うところだった。私、シノダはというと幸運なことに住む宛は見つかった。このアトランティスに流れついたときに瀕死の私を介抱してくれたトリオの家に寄生している。私としては何ら生産に寄与せずただ居候するのも悪いと思い彼の家業である石工を手伝いながら暮らしている。

 思えば地球にいた頃からそうだ。私の革命は多くの人間の支えがあったからこそ継続出来たのだ。あのマルクスにしてもエンゲルスに身を寄せながら執筆活動にあったていたのだ。先人を含めて今の私を造った多くの物に感謝せねば。

 結局のところ地球では私の革命は実を結ぶことは無かったが過ぎたことを悔やんでも仕方がない。ただ私は前へ進むことしかできない。


「なぁトリオ。アトランティスの錬金術師はどんなヤツだ」


「うーん、オレも仕事で何度か会ったことはある。だけど親しい訳じゃあ無いから何ともいえナイ」

 トリオは続ける。

「ただ、とんでもない変人だって噂だネ」

 グスタフも同じことを言っていた。ここまで風評が一貫しているとなると相当な変わり者だと思っていい。

「錬金術師がどうしたんダイ?」


「いや、私もそろそろ自前の食い扶持を見つけようと思ってね」


 いずれは同志になって貰いたいものだが、今はまだ革命のことを話すときではない。トリオは案外口が軽そうだ。私はクーデターを画策しているのだからな。何かの弾みで王の目にバレたらまずい。


「オレに気を遣う必要はネェ。兎に角、広すぎる工房なんだ。何かの間違いで出来の悪い三男坊が継いじまったけどヨ。アンタが手伝ってくれると助かるんだ」


 謙遜は良くない。幼いながらもトリオはよくやっている。そう言うと、また自分を卑下した。

 彼の家業は石工だ。都市国家の防壁や街道の整備といったインフラに携わる仕事をしている。祖父の代は戦時中の特需によってえらく景気が良かったそうだ。この百平方ヘノスはある大きな工房も全盛の名残りだそうだ。公共事業に携わる以上、ある一定の仕事は得られるがそれでも王国の景気に左右される。

 ヘノスとはアトランティスにおける長さの単位であり、主に農地に使われる。成人男性の身長を1ヘノスとしたそうだ。私の見立てでは大凡百七十センチ米といったところかな。もちろん農地に使われる単位は税の徴収のために定められるものだ。つまりは無駄に広いばかりで人でが足りず生産性の低いトリオの工房は収支に対して支出が大きい火の車というわけだ。私という働き手を手放したくないのも頷ける。彼とて善意だけで私を家に置いてくれてる訳ではないのだ。

 

 3――

 日が沈み月が顔出す。野望を燃やした一人の男が夜の静寂の中でパルテノンに向かう。燃ゆる想いを宿した男は月明かりの中でも一層に目立つ光源のような存在感を表していた。神殿の御前に着くとその輝きを秘めた凶相を伏して神託を乞うた。

「偉大なる大御神アポロンよ。あなたの大御心に従いてあの異邦人を開放いたしました」

 神託を授かったのはポンティウス・ドゥカティ。市民階級に在りながら一代で有力貴族の地位を脅かすほどの財を築き上げた男である。

 

 ――汝の働き、大いに功あり。我、次なる神勅を下す


「御意のままに」


 ドゥカティも疑念がないわけではなかった。今日に至るまでドゥカティの成功は彼一人の力に依るものではない。神々の介入があってこそだ。だが今回の託宣に関しては腑に落ちない点が余りにも多い。

 第一にあの男に神に用いられるほどの何かがあるとは思えなかった。頭は切れるが、ただ黙して働くだけの異邦人。彼の目にはそれ以上のものとして映らなかった。


 ――我欲する所、混沌なり。その上に新たな秩序を盤石とせん。その破滅は異邦の者が招く。我が計略、人の子の知るところに在らず。汝は我の御心に従うが良し


「た……大変失礼しました。我が主よ」


 超越者は高圧的な声色で一抹の疑いを抱いた預言者に警鐘を鳴らした。彼の胸の内など端から見透かしているのだ。神々はこの底の抜けた器のように際限ない欲望を抱くこの男を利用しているに過ぎない。

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