第30話 引き上げ

 真の猛者は、こちらが何かするまえにケリをつける。今回現れた相手は、まさにそんな奴だった。エラもアンナも撃破され、うめき声を上げながら床に転がっている

 こうなると、私の出番だろう。挨拶は要らない。私はたった1人で現れた相手めがけて渾身の「一撃」を叩き付けた。しかし……。

「チェック」

 相手が厳かに告げる。

 ……くっ、もう手がない。 降参だ。

「参った……」

 これで何敗目だろう。嫌になって数えるのをやめてしまった。

 街では『魔竜』がチェスで戦うようになったと評判になり、危険な迷宮の奥底までやってくる達人が増えてしまったのだ。

「まだまだだな。筋は悪くないが、素直すぎる」

 そして始まる検討会。これによって、かなり強くなったとは思うが、まだまだ初心者だ。

「さて、負けは負けだ。適当にガラクタを持ち帰るがいい」

 私の言葉に達人は首を横に振った。

「いや、興味ない。ドラゴンとチェスが出来た。これ以上の宝があるか? では、失礼する」

 軽く頭を下げてから、達人であり猛者は去っていった。

「ううう、私って私って……」

「こ、ここまで負け続けると、さすがにメンタルに来ますわ……」

 神すら倒すゲーム。実に恐ろしい破壊力だ。

「な、なあ、これならブレスを吐いた方が、まだマシではないか?」

 私の言葉に、女神2人が黙ってうなずく。そうだよな、やっぱり。

 しかし、こんな時に限って、私の首を狙ってくる連中が来ない。まあ、来たら来たでストレスが溜まりまくった女神が、黙っていないだろうが……。

「今のところ、迷宮に侵入しているパーティーは全て帰りだ。こちらに向かって来る者はいない。平和なものだ」

 私の呪縛はかなり解呪されたとはいえ、完全に自由の身になったわけではない。迷宮内の情報は分かる。

『アルテミス、少し歩きませんか?』

 わざわざ思念通話で、アンナの声が届いた。さすがに、意味が分からないほどボケてはいない。

『先に9層に行く。適当に間を開けてこい』

 こちらも思念通話で返し、部屋から出ようとすると、カシムが駆け寄って来た。

「散歩か? ならこの地図を持って行け。安全なルートが赤線だ。そこの罠も全部叩き壊してある。たまにはゆっくりしてきな」

 恐ろしく精細に描かれた地図を受け取り、私はゆっくり階段を上っていく。笑ってしまう話しだが、私はあの部屋しか知らない。迷宮を歩くのはこれが初めてだ。

 階段を上って少し歩いた所で待っていると、アンナがフヨフヨ飛んできた。そして、そのまま私の肩に下りる。

「さて、行きましょうか」

「迷宮の中なんてつまらんぞ……多分」

 とにもかくにも、私はアンナを肩に乗せたまま歩く。しばらく、お互いに無言だったが、アンナが静かに口を開いた。

「私は神です。しかし、下っ端のどうでもいいポジションです。ですが、神の法には縛られる身です。これは大罪なのですが……私はあなたの事を」

「ストップだ。それ以上言ったら、間違いなくお前は消されると思うぞ。飛沫の神ならなおさらだ。私のために大罪を犯す必要はない。気持ちは受け取っておく」

 さすがに私も、アンナが言おうとしたことは分かる。しかし、やってはいけない事はやってはいけない。神の事情など知らないが、おそらくロクな事にならないだろう。

「アルテミス……」

 ああもう、そんな泣きそうな顔で見るな。私だってもやもやしているんだぞ。

「分かりました。困らせてごめんなさい……」

 ……

 その時だった。目の前に一瞬だけ強い光が走り、通路の床に封筒が現れた。

「あれ、天界の公文書ですね。宛名は……私ですか」

 私の肩からフヨフヨと通路に下り、アンナは封筒を取ると開いた。

「えっと、上司からですね……。えっ? 引き上げ命令!?」

 通路に崩れ落ちたアンナは、封筒の中に入っていた紙を私に差し出したが……天界の字など読めぬ。

 ただ1つ言える事は……ほら、ロクな事にならなかった……。


 アンナは粛々と荷物を纏めている。さすがに聞けなかったので、渡された紙をエラに読んでもらったのだが……。


『私がかばえる限界を超えました。任務遂行上、著しく問題がある感情を抱いたため、あなたは直ちに天界へ帰還する事を命じます。後任は選定中です。取り急ぎ、用件のみ』


 ため息しかでない。アンナに掛ける言葉も出てこない。

 そうこうしているうちに、あんなの全身が淡い光に包まれ、誰にも何も言わず行ってしまった。なんだろう、この喪失感は……。

「最悪、査問ですわ。今は神不足なので、それはないとは思いますが……」

 エラがつぶやくように言うが、私には何もできない。もう、アンナは帰ってしまった。

「原因は私にあるのだ。私と関わらなければ……」

「それは違いますわ。あくまでもアンの責任です。このリスクは承知していたはずですわ」

 エラの言葉は私の心に入ってこなかった。

「すまん、ちょっと歩いてくる……」

 私はエラに言って9層に出た。地図を片手に複雑な通路を歩き、8層への階段まで来ると一息ついた。今こちらに向かっているパーティーはない。つかの間の平穏といったところか……。

「どこまでもこうなのか。私は……」

 この迷宮の奥深くに閉じ込められたのもそう、アンナが天界に帰ったのもそう。どこまでもこの調子だ。唯一のいいことは、こうして歩き回れるようになった事か。

「あっ、いたいた。探しましたわ」

 エラがやってきた。体中がボロボロ。罠に引っかかりまくったのだろう。

「どうした?」

 追いかけてきた理由が分からず、私はエラに聞いた。

「少し話しません? 気分転換にはなるでしょう」

 そういえば、エラとゆっくり話した事がなかったな。

「話しか……何が聞きたい?」

「出身はどこですの? ドラゴンということは、そこを支配していたはずです」

 エラが切り出してきた。

「ああ、人間の呼び名で言えば、シュルガルド王国だ。今も顕在かどうかは分からんが、そこの空は私の一族の支配下だった……」

 こうして記憶を辿る旅が始まった。

「シュルガルド王国は現在もある国ですわ。大規模な討伐の繰り返しで、ドラゴンは滅亡してしまいましたが……」

 言いにくそうにエラが返してきた。

「まあ、それは大体想像がついている。驚きも怒りもないよ。希少動物保護に、神まで下りてくるくらいだからな」

 まあ、人間とはそういう生き物だ。ただそれだけの事。

「それなのですが……、私には荷が重く、挙げ句失敗してしまいましたわ。水槽に海水を入れたくらいで死ぬメダカが悪いですの。根性が足らないですの!!」

 怒り顔のエラに私は思わず吹き出してしまった。

「メダカとは確か小型の淡水魚だったな。それは死ぬだろう」

 全く、とんだ希少生物保護だ。

「怒られなかったのか?」

 エラが固まった。顔にダラダラ冷や汗が流れている。

「実は、あなたの保護に加わったことで、帳消しにされたのです。利用してしまって申し訳ないですの」

「構わん。私で役に立つなら、好きに使ってくれ」

 申し訳なさそうなエラに、私は返した。

 こうして、私はエラと結構な時間話し込んだ。もちろん、帰りは安全な道を通った事は言うまでもない。


 アンナが天界に引き上げて数日。迷宮は極めて平和だった。

「いよいよだな……」

 カシムがぼそりとつぶやく。ここは1層。つまり、迷宮の「玄関」だ。

 そこを歩くことしばし、ついにそれが見えてきた。外の光が……。

 そして目に飛び込んできたのは……緑に覆われた光景だった。

「ここは森林地帯なんだ。あまり面白い風景ではないが、これが「外の世界」だ。

 カシムの声が聞こえたが、それはどうでも良かった。これが、今の「外」だ。夢にまでみた「外」だ。

「どうだ、気に入ったか?」

「あ、ああ、ありがとう……」

 カシムの声に私は礼を述べた。もう、2度と見られないと思っていたものだ。

「すまんな。俺たちはこのまま出発する」

 カシムが私に言った。止める事は出来ない。本来、彼らは冒険者なのだから。

「ああ、助かったよ。また会おう」

 こうして、カシム一行とマリアは出発していった。私は外に出ることは叶わないが、欲張ってはいけない。これで十分だ。

「あらあら、また泣いていますわ」

 エラが小さく笑った。

「泣けても来るさ。ここまでくるのに、いったいどれだけの時が……」

 普通の人にはただの森林だろうが、私にとっては偉大な一歩の証である。

「いつまでもお供しますわ。存分に外の景色を……」

 エラの声を聞きながら、私はいつまでも外を眺めていたのだった。

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