貧乏神も、ちゃんと崇めればご利益がある―――らしい。

「それじゃあ始めようか」


 男がそう告げた直後、少年が一気に前進した。


「うああああああああ!」


 それはただただ真っ直ぐ上に振りかぶって走り寄ってくるだけの、それこそ子供にでもできる攻撃だった。

 男は長年辞めさせ屋をやってきた人間だが、それと同じく長年冒険者をやって来た人間でもある。誇りとまでは言わなくても、その職業に矜持ぐらいはあった。

 いくら子供とは言え、いや子供だからこそ許せないものもあるのだ。こんなガキが偉そうに追加条件を申し込んできただと?


 ナメやがって。

 自然と男の握る木剣に力が入る。

 少年が子供でも避けれる鈍い剣を振り下ろす。攻撃系の属性でも持ってるのかと思ったが、これでは素人以下だ。

 男の体に染み付いた、光の水属性による受け流しが決まった。

 …いや、正確に言えば決まりすぎてしまった。


 少年の分かりやすすぎる剣は、男の剣と衝突した瞬間ぬるりと滑るように逸らされた。

 勢いだけはあったのが今回は災いとなった。逸らされた剣は、勢いをそのままに後ろに流されるどころか、男の剣の上を跳ねて上空に投げ出されてしまったのだ。

 起こった現象だけを言うと、少年の剣が男の剣と衝突した瞬間、少年が体ごと男の背後に吹き飛ばされた。


 男の背後でどう考えても鳴ってはいけない類の衝突音が響く。下は土だが長らく修練する人間に踏みしめられたそれは固く、受け身の一つでも取れていなかったら大怪我をしかねない。

 思わず慌てて背後に駆け寄ろうと考える男。この自体に一番驚いているのは、跳ね飛ばした男本人だった。

 彼の属性は『光』の水属性であり、受け流しはあくまで相手の攻撃を避けるもの。コレが闇属性であれば、確かに相手の行動を利用した攻撃的受け流しもある。光属性での再現も不可能ではない。しかし男が長年扱ってきた中では、そう言った事が起こせるのは訓練で、互いが投げることを前提でやる時のみだった。

 上手く決まりすぎてしまった。ナメたガキに向かって、思わず強く出しすぎてしまった。


 ―――互いが前提にする、というのは裏を返せばやる側が本気なのと、やられる側が投げられるように動けば再現できる。ということに、男は気づかなかった。


 周囲をちらりと見渡せば、熟練の冒険者の数人かが心配そうな目でこちらを見ている。男自身少年の安否が心配だ。さすがにこんな時に、後から親に怒られるのではとかは考えておらず、純粋に未来ある若者に後遺症が遺る怪我でもしてないかと心配していた。

 だが今の男は『身の程知らずの子供を叩きのめす嫌味な先輩』なのだ。今ここで心配そうに近寄れば、役が崩れてしまう。少年だけが相手ならばそれでいいが、まだ目の前には本命の少女が残っている。


「はっ、そんな剣で冒険者になろうとしてたのかい。身の程を知るんだな」


 故に男はそう言わなければならない。内心でどうか無事でいてくれと願いながら。

 男は木剣を得意の片手持ちに変える。柔軟な対応をするためには、両手で持つよりもこちらのほうがやりやすい。

 元の予定では時間いっぱいまで弄んで、力量差を思い知らせるつもりだったが、こうなってしまっては予定を切り替えるしかない。圧倒的な力で徹底的に叩き潰し、一時でも早く少年の救助を行う。

 心持ちを改めて歩み寄る。その時、男の右腕を誰かが掴んだ。


 少年の命より仕事を優先する自分に、正義心の高い誰かが憤ったのだろうか。若手にはよくある話だ。構うことはない。適当に振り払えば、周りの知っている人間が対処してくれる。もしかしたら少年の方も誰かがこっそり回復魔術をかけてくれてるかもしれない。

 そう考えて男は強引に、掴んできた手を振り払おうとする。


 ―――この時の男は周囲に気配りするほどの余裕が無かった。背後の少年のために、目の前の少女を潰すことしか考えていなかったのだ。

 だから、周囲の死人が立ち上がったような驚きに包まれた様子を見れていなかった。

 男が振り払おうとした手は、しかし空中に縫い止められたようにピクリとも動かなかった。

 痛みを感じるほどの万力に止められているならともかく、何も感じないままいきなり動かなくなったのだ。まるで空中に腕が縫い止められたかのような異常な状況に、男は思わず自らの右腕を凝視する。


 そこにあったのはとても小さな手だった。白くて小さな手が、ちょこんと自らの右肘を抑えるように掴んでいる。

 瞬間、長年冒険者として培われてきた男の危険察知能力が、全力で警鐘を鳴らし始めていた。

 肘、それは水属性の剣士において、指や手首という最も細かな動き果たす部位の次に重要な場所だった。

 手と手首の繊細な動きで攻撃を受け流す方向を決め、肘関節で衝撃を吸収する。水属性の片手での構えだって、元を正せば水属性の繊細な腕を保つのは、激しい戦闘や冒険の中では難しいからと練られたものだ。


 街で甘物を歩き食いしている時に、突然背後から刺されたような衝撃。男は自らの恐怖に従うまま、腕にかかる小さな手の持ち主を追って背後を見る。

 男はその時初めて、少年の顔を間近に見た。

 そして気づく。自分は関わってはいけないものに関わってしまったのだと。

 直後再び衝撃が男を襲った。それも物理的な衝撃が、具体的な表現を省くと男の下腹部の辺りから。


「……………っっっ!!?!??!」


 言葉にならなかった。

 少女は少年に言われたこともあったが、恐らく言われて無くてもするであろう行動をしていた。

 いつも通り、大上段に構えて真っ直ぐ振り下ろす。単純な威力だけは誰もが認める会心の振り。

 男にとって不幸だったのは…いや色々不幸だったのだが、何より不幸だったのは少女の身長的に丁度振りかぶった位置が『ソコ』であったことだ。

 あらゆる思考が一気に吹き飛び、男の思考が真っ白に染まる。そのまま男は、為す術もなく崩れ落ちるのであった。




 …その光景をずっと見ている二つの人影があった。

 丁度裏庭の見える位置にあるギルド内のテーブル。二人はその席に座り、コーヒーを頼みながらずっと裏庭の様子を眺めていた。


「…凄かったな」


 影の一つがそう呟く。言葉は硬いが女性の声だ。


「そうっすね…凄まじいっすよね…」


 もう片方の影が応える。こちらは男性の声だ。

 それからしばし二人の間に沈黙が流れ…。


「いや、金的の話じゃないぞ?」

「あ、違うんですか?」


 若干会話がズレていることが判明した。


 フー、とコーヒーを飲みきった女性が一息つく。


「私が言いたいのは、あの少年のことだ」


 そう告げると、女性は新しい注文を頼むために定員を呼ぶ。


「少年ですか?」


 男性が窓から裏庭を覗く。そこには悶絶する冒険者の男の背中を擦る少年がいた。

 …どこからどう見ても特に問題のない普通の子供だ。


「あの少年がどうかしたのですか?」


 もう一度同じように尋ねる。

 確かに投げられた後に立ち上がった根性は認めるが、それ以外は最悪といっても過言ではない。


「ああ、嘆かわしい。仮にも訓練を受けた者だろうに。貴官の観察眼はそのレベルか」


 突然女性は体を使って大げさに嘆かわしさをアピールしてくる。

 ちょっとイラッとくる男性だったが、丁度そのタイミングで店員が注文を取りに来たので声が出せなかった。

 男性はまだ前のを飲みきっていないので、女性だけが店員に注文を頼む。その時の事前の口調とは打って変わった明るい声色に、女性って怖いなと考えながら自らのコーヒーに口をつける。



「それで、あの戦い。貴官の分析を聞かせてくれないか」


 忘れてればいいものの、注文が終わった後女性はちゃっかり聞いてきた。

 もう一度コーヒーを飲み、口の中を苦さで満たす。


「分析も何も、起き上がった少年が予想外で、思わずよそ見をしている間に、お嬢の攻撃が決まったってだけでしょう?」


 男性が所見を述べると、再度女性がこれみよがしに呆れた様子を見せてきた。

 目の前の人物が誰であるかは知っているが、それでも男性としてはムッとせざるを得ない。


「一体何だって言うんですか」


 不貞腐れながら素直に尋ねると、今度はちゃんと聞くのは良いことだ、と偉そうに頷いた。どちらにしても鬱陶しい人間だった。


「簡単な話だよ。仮にも立派な冒険者が、年端もいかぬ子供にやり込められたって話だ」

「…は?」


 女性の予想外の言葉に、思わず裏庭を見てしまう。

 そこに映るのは、やはり先程となんら変わらぬ普通の少年だ。


「一体何を言ってるんですか!?少年が勝ったのが全て計算づくだとでも?」

「その通りだ。なんだ、鋭いではないか。だか少し落ち着け給え。我々の任務を忘れたか」


 女性の言葉にタイミング良くやってきたコーヒーも相まって、己の失態に気づき声を静める。


「貴官。対人戦。特に少人数戦をする場合において、最も初めに検討しなければならないことは何だ。コレぐらいは教養でやっているだろう」


 女性のナメきった言葉に、男性は模範的な解答を示す。


「二属及び六属の確認でしょう」

「うむ、それで間違っていない」


 男性の答えに女性は大げさに頷く。


「少年の立場になって考えてみよう。先程の戦いにおいて、冒険者の男は二度自らの属性を晒すミスをおかした」


 砂糖とミルクの瓶を女性は取り出す。もちろん有料で事前に頼んでおいた品だ。


「二度、ですか?」

「そうだ。一度目は決闘の条件を決める時。決闘の条件は覚えてるか?」

「確か時間いっぱいまでに一撃与えれたらってものでしたっけ?大声で言ってたのでこちらまで聞こえてきましたが、あれわざとですかね」

「わざとだろうな。条件は大体合っている。これは一見先輩が後輩に対して譲歩した条件に見えるが、裏を返してみたら面白いものが見えてくる…」


 女性は取り出したミルクと砂糖のどちらを入れようか悩んでいるのか、手を左右に揺らしてミルクと砂糖の瓶の間を彷徨わせる。


「裏を返せば、ですか?」

「そうだ。貴官がこの先輩だったら、条件を付ける時にどんな条件をつける?」


 結局はミルクを入れることに決めたのか、あっさりとミルクの瓶を手に取る。

 男性の方は女性の言葉を、顎に手を当てながら真剣に考えていた。


「…自分が絶対に負けない条件、ですかね」

「ははは、中々邪悪なことを言い出すな」


 男性の答えを女性は笑った上で、しかし、と付け足す。


「正解だ」


 そう言いながら、女性はコーヒーにミルクを落とした。


「あの冒険者は自らの勝利条件を時間経過とした。ならば言わずともその属性の傾向が見えてくる」

「耐久…ってことは、攻撃を受け続けて平気な自身がある?つまり光属性ってことですか?」

「それだけじゃない。むしろ闇属性でも六属が守護系だったら一応できないでもないからな。とはいえ恐らく光の水か風か土。風は厳密には守護系か怪しいところがあるから、自信満々に耐久を申し出るなら水か土が有望だろうな」


 ミルクを落とされたコーヒーが、黒と白のシマシマ模様を描き出す。


「それでも確定は出来てない。だから少年は仕掛けた」


 シマシマ模様のカップに匙を入れてかき混ぜる。


「それってあの無謀な突撃のことですか?」

「分かってきたようだな。そのとおりだ」

「何だか段々と慣れてきましたよ」


 かき混ぜられたコーヒーはミルクと混ざり合い、徐々に色合いを一つのものにしていく。


「と言っても元々八割方水属性だろうと睨んでたようだがね」

「なんで…いや待ってください。そうか、いくら子供とはいえ相手は二人いたのか。だとすれば土属性は相性が悪い」

「そう。基本的に土は一方向からの攻撃を受け止めるものだからな。そうなると自然水か風、さっき言ったとおり自信有り気に耐久を切り出すなら、自然水だろうと察しがつく」


 女性がカップから匙を出すと、そこには僅かに茶色っぽい一面白の液体に満たされていた。

 女性は満足気に出来上がったコーヒーに口をつける。


「…でも、本当にそこまで考えていたのですか?」

「ん?」

「今言ったのは全部憶測に過ぎません。全て偶然だったのを、貴女が深読みしてしまっただけなのでは?」


 カップを置くと、再び女性は口を開く。


「貴官はさっき少年が冒険者のどの部位を掴んでいたか見ていたか?」

「いえ、そこまでは見ていませんでした」

「肘、だったよ」


 は?と男性が呆けた声を上げる。


「貴官、六属は?」

「…水です」

「それは都合が良い。だったら水属性の剣士が利き腕の肘を抑えられる不味さは分かるだろう?」


 驚きの表情を浮かべる男性を尻目に、女性は再度コーヒーを飲む。


「…それに、だよ。そもそもなぜ肘を掴む?」

「ど、どういう意味でしょうか?」

「素手で肘を掴む余裕があったら、後ろから殴ればいいだろう」

「…そういえば」


 すっかり飲みきったカップをコーヒーカップの上に置く。


「恐ろしい少年だよ。お嬢様のキャラのせいもあるだろうが、誰からも注目を浴びていない」

「…私も全く見ていませんでした」

「それに、だ」


 女性は飲み終わったコーヒーカップの縁を指でなぞる。


「あれだけやっておいて、少年自身の属性が分からない」

「あっ…」


 その言葉に男性は再び悩みこむ。


「一応攻撃系…でしょうか。お嬢様の攻撃を受ける時そのような感じでしたが」

「受け流しのような真似もしていたが?」

「まさか。やり方が稚拙すぎます」

「だがまだ稚拙な子供なのだぞ?そう考えたら技が未熟なのも仕方ないだろう」

「…アレが、ですか?」

「少なくとも技量だけで言えば終始全く必要としない戦いをしている。冒険者の腕を少しの間抑えれる腕力だけ見れば、火か土か?何にしても情報が全く足りない」


 女性はそう結論付けると、席を立ち上がった。


「ま、私達にとっては余談だがね」


 散々風呂敷を広げておいて、女性はあっさりと話を止める。

 基本的にこの女性はマイペースだ。自分の気になることは喋るが、興味がなくなればどうでもよくなる。


「はぁ、やはりそうなりますか?」


 女性に合わせて男性も席を立つ。男性の方もそんな女性の性格は知っているし、それにやっぱり男性にとっても、偶々見つけただけの才能が在り気なだけの少年に興味はない。


「当たり前だ。あの冒険者がしくじったせいで仕事が増えるぞ」

「お嬢様のせいで増えた仕事ってどれぐらいあるんですかねぇ」


 心底嫌そうな感じで男は呟いた。


「それを数えるほうが無駄な仕事だろうさ」

「全くですね。いきましょう」


 二つの影は誰に気づかれることもなく、日常的な一つの光景として世間に溶け込んでいった―――。




 どうしてこう疲れることになるかな?

 宿屋の扉を開けながら私は一人心の中で悪態をつく。

 全て、何もかも、あの金髪ロールが悪い。中年男の方は何か可哀想だから許すとしても、あの金髪ロールは許せない。私は私の精神衛生のためにそう結論付ける。

 せめてもの救いといえば、一応収穫があったことぐらいか。あと登録の方も滞りなく…滞り無いのか?とにかくあの中年男は約束を守ったとだけ明記しよう。


 何にしても早くご飯を食べてお風呂に入って寝たい。そう考えながらメニューや近隣の店の広告などが張っている掲示板に目を向けた。

 …すると、今朝まで見覚えのなかった張り紙がしてあった。


「…第一王女失踪、捜索求む?見事見つけてくれた人には金一封?」

「ああ、それね」


 私が掲示板の前で呟いていると、店番の亭主が声をかけてくれた。


「失踪なんて言ってるけど、実は家出でね。第一王女は家出のプロフェッショナルとして有名なんだ」

「何回ぐらい脱走してるんですか?」

「城の兵士に頼まれてその張り紙をした回数なんて、両の手の指の数を超えた辺りから数えてないよ」


 城の兵士も何をやってるんだか、と心の底から呆れる。


「一応人相画も渡されてるけど、見るかい?」

「なんで掲示板には貼ってないんですか?」

「単純なスペースの問題だよ。そもそも街の人間は皆知っているからあまり貼る意味がない。気になった人間にだけ見せればいい」

「なるほど。一応見せてもらっても」


 特に何も考えず、折角の申し出なので受けておこうぐらいの気分で亭主に申し出る。

 ちょっと待ってて、といって亭主は奥に行くと、何やら大きな紙を持ってこちらにやってきた。なるほどアレは簡単に貼れない。


「ほら、これだよ」


 カウンターの上に置かれた絵に目を通す。

 そこに描かれているのは、見事な金髪をツインテールかつロールな感じに垂らしている、勝ち気と言うより眼圧で敵を殺さんばかりに目つきの悪い女の子が描かれていた。

 …うん。………うん?


 妙に突っかかってきた中年男。条件に提示されていた、妙に厳しい罰則。

 電撃的に私の頭が煌めき、どこかで何かが繋がった気がした。そんな私の脳裏に浮かぶ言葉は一つしかない。


 金一封。金一封。金一封。


 私はニヤリと口元を歪める。

 迷惑料はしっかりと受け取る。それが私流だ。

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