悪魔だって崇拝してみせましょう。
目を開いたら、そこは先程までと何も変わらない祭壇だった。
『日本の原風景』を形にしたような日本家屋の縁側でも無ければ、周りが全て真っ白な空間でもない。つい先程まで普通に見ていた祭壇の光景だった。
いや、それにしては少し違和感がある。自分がしっかりと立っている時点でおかしいのだが、それより先に私は、妙に視点が高い事に気づいた。
ああ、と思いつき自らの体を見下ろす。
そこには見れなくなって久しい制服があった。なるほど確かに学生という私の立場を考えれば、その衣装は私という人間を如実に表していることだろう。
―――強い後悔の念をもって死んだ者は、魂だけの存在となる。
ごく自然とそんな知識が思い浮かんだ。
何より顕著なのは、体を見下ろす際見つけた私の足元に転がるソレ。鏡はなくても水面や武器の反射で何度も見た顔。黒髪黒目の悪ガキみたいな人相は、瞳孔が開ききった目のせいで、ただひたすらに気味が悪い。
私は死んだ。その事実はどうにも変えられないらしい。
「バッカ野郎が!!なんてことしやがる!!!!」
私が死んだことがどうにも気に入らないのか、頭と呼ばれていた男が大声をあげて部下を殴りつけた。小突くなんてもんじゃない。腰の乗った右ストレート。もし甲冑か、最悪籠手だけでも着込んでいたら死にかねない一撃だった。
殴られた部下はそのまま地を這うように私、正確には私の死骸…という言い方も何かおかしいな。ルプス=クロスロードの死体に駆け寄ってきた。
「も、ももももしかしたらまだ死んでないかも…」
そんなわけがない。死んだ本人が言うのだから間違いない。
案の定私に駆け寄った男は死骸の脈を確認し…あ、そういう技術はここでもあるんだ。私の死が確定事項だと知った男は、急速に顔を青ざめさせる。
「チッ!おいペッシ!そのじいさんを絶対に生かしておけよ!さもねぇとそこのバカと一緒で、今回の分け前は無しだ!!」
「そ、そんなぁ」
分け前無しが確定した私を殺した男は、しかし自分が悪いことが分かっているのか、その場でぐったりと項垂れる。荒くれ集団にしては殊勝な態度だ。
「畜生!テメェのせいだ!」
と思ったら、彼の中で死んだ私が悪いことになったらしい。無造作に剣を抜き取ると、死体に何度か蹴りを放ってから男達の方に戻っていった。
その光景に何か感想を浮かべなければいけないと思うのだが、私の心には何の感情も浮かんでこなかった。
少なくとも今は、もっと大切なことがある。そう考えてじいさんの方を見る。
自分たちで刺した癖に、男達はじいさんを必死に助けようとしている。成否は…どうだろうか。さすがに光属性治癒魔術の効果値はよく分からない。周りの光属性がフレーラぐらいだったし、怪我をするわけにもさせるわけにもいかなかったから。
どちらにしても盗賊達はじいさんを殺す気はないらしいし、私にはどうすることもできない。もし生きていてもできることは無かっただろう。
せめてじいさんが生き残ることを願って、私は目をつぶり、そのまま―――
―――本当か?
もし生き残れたとして。もし殺されなかったとして。何か訳ありらしいから、そのまま奴隷なんてコースにならなかったとしても。本当にじいさんは平穏な毎日を送れるのか?
無理だろう。男達が何をしに来たのかは分からないが、彼らに捕まったじいさんがその後まともな生活を送れるはずがない。そもそも私が死んだと知った瞬間に、剣で刺された時以上にじいさんの顔が真っ青になっている。
ふつ、ふつと。
水面のように穏やかだった心に波が立ち始める。
―――魂は不安定なものだから、剥き出しの状態だとちょっとした感情の機微ですぐにバランスが崩れる。
かまわない。怨霊になって消滅させられるハメになっても、あの男達を殺せるのなら。
だが怨霊になるだけではダメだ。そうなったらきっと私の意識がトブ。それ自体はいいけど、そうなったら本当にアイツラを殺せたか判断できない。
力が必要だ。奴らを殺せるだけの力が。足元の屑肉のようなガキではなく。もっと暴力的な力が。
血走った私の目が、ある一点で止まる。
あまりに都合の良い展開だ。これが神様のイタズラとでも言うのなら、それでもやはり私は神を呪おう。神のイタズラはいつも私から奪っていく。あの日も、今日も。だったらこのイタズラですら得るものでなく、失うための選択肢なのだろう。
きっとこれをしたら私は人間でなくなる。それでも、ああ、私は。
手を伸ばす。できる、という確信があった。
ドグンッ!と、その場に居た者の全員が感じた。
もちろんそれは傭兵団の頭とて例外ではない。むしろ周りの人間よりも勘が良い彼は、瞬時に魔法陣の中央に目を向けていた。
立っている。意思の欠片もない抜け殻のようだった何かが、明確な殺意を持った目でこちらを見ている。
(下手に触らない方がいいと思って放置していたが、失敗したなこれは)
瞬時に状況を判断した男は、部下への指示と同時に自らの武器を構えようとして、目の前で起きた現象に動きを止めてしまった。
瞬きの内にそれは生み出されていた。巨大。あまりにも巨大。ゆうに直径二メートルは越えようという巨大な【闇玉】が宙に浮かんでいた。
闇属性三位魔術【闇大玉】
宙に浮かんだ巨大な玉は、使用者の殺意のままに射出された。
唸る闇が男達を襲う。直前に気づいた土属性の男が、頭と闇の間に立ちはだかる。
祭壇に反響する轟音。そして。
間に入った土属性の男が、背後の壁面に叩きつけられていた。
幾度もの死線を潜ってきた頭の脳が、目の前の『悪魔』の危険性を警告する。
土属性の頑強さは折り紙付きだ。真正面から受けとめる力だけで言えば、確実に男達の中で最も強い。
それをああも簡単に。一応吹き飛ばされてる最中に見た感じでは即死ではないらしいが、前線に戻ってくるまでには少し時間がかかるだろう。
頭を中心に緊張が広まる中、悪魔の周りに再びあの巨大な闇玉が生まれた。しかも今度は二つ。
しかし一層こわばる男達とは反対に、巨大な闇玉はこちらに向かってこず…なんとその体積を縮ませる。
生み出したときから見れば直径が半分ほどになったであろう闇は、その造形をただの球体から変えていた。
悪魔が両手を開いたり閉じたりする。それに合わせて縮小された『手の形をした』闇が蠢く。
あれは、やばい。頭はそう判断した。
だが部下は違ったらしい。大きさが小さくなったのを見てか、悪魔の確かめるような動作を見たせいか。二人の男が悪魔に突き進んでいった。
一人は闇属の風属性。もう一人は闇属の火属性。どちらも実戦で鍛えられた二位の剣術士。
二人の姿を確認した悪魔が、闇の手をそれぞれ対応した手の少し外側に浮遊させる。
その特徴から足の早い風属性の男が先行する。悪魔の右手側。真正面から突き進んでいく辺り、相手が攻撃を開始してから対処しようと考えているのだろう。
対して悪魔は右手側の拳を全開に開いた。闇の手は拳の状態では小さく見えるが、開けば成人男性がすっぽり収まる巨大さとなる。指のせいで上下左右の回避ルートが絞られる。囲まれたと判断した男の行動は早かった。
走った勢いのまま、手のひらに剣を叩き込む。
風属性は守護属性として扱われているが、その実態は守護属性の中で最も攻撃に向いた属性。二属が闇ともなれば、その一撃は十分な威力を発揮する。それに風属性の男は相手が結局ただの闇魔術だと侮ったのだ。
その判断は間違いではない。真正面から受けるのと真正面から切るのでは違うし、そもそも土属性の男だって貫かれたのではなく吹き飛ばされただけ。決して敗北したわけではない。
そして闇属性の魔術の脆さは有名だ。触れれば壊れる風船、などと揶揄されるほどに。
こうなることもある程度予想はしていた男の全力の剣が、手のひらに向かい。
半ばほど剣が埋まったところで止まった。
「へ?」
……風属性の剣士はトリッキーな動きで敵を翻弄し、なおかつ剣などの近接武器だけでなく多数の兵装の扱いに長ける。
それは優秀だ。だが裏を返してみれば、多数の手段に頼らなければ勝てないことを示唆している。
真っ当に剣一本で戦った時、下位のものにも負けうる六属性最弱。それが盗賊に身を落とす者の多い風属性の正体だ。
渾身の一撃を止められた男は、あっさりと手のひらに捕まえられ地面に叩きつけられる。アレでは逃げ出すことも出来ないだろう。
反対側。火属性の剣士。
攻撃属性である火属性の特徴は、他の追随を許さぬ破壊力だ。
文字通り圧倒的な力を持つ火属性の剣は、硬い鱗を持つ魔物だろうが巨大な岩だろうが打ち砕く。
そんな火属性の剣士が選んだのは、風属性の剣士と同じ正面突破だった。
仲間が失敗したのを見た上で、自分は成功すると確信しているのだろう。
悪魔も風属性の時のように搦め手は出さずに、固く握られた拳を叩きつける。
衝突。ぶつかり合う両者。火属性の剣士の剣が、闇の拳を切り裂く。
……六属性最強の破壊力を持つ火属性だが、もちろん同時に弱点を保有している。
火属性の剣士は、威力にこだわるあまり攻撃が大ぶりかつ雑な戦法を良しとし、武器も重たいのを愛用することが多い。
この男もその例に漏れず、男達の中で最も分厚く長い剣を持ち、全力で振り下ろした剣は床に深く突き刺さっていた。
床に刺さった剣を引き抜き、再度悪魔に突進する。その行動はあまりにも遅すぎた。
悪魔が左足を振り上げ、下ろす。足が地面に着いた瞬間、床から幾本もの極薄の布のような闇の刃が飛び出した。
あるいは、これが風属性の男であれば事前に察知して回避できたのかもしれないが、実直に己の威力のみを信じる火属性の剣士には不可能だった。
刃が男の体を串刺しにする。数多の死体を見てきた男達が思わず顔を顰める。あれは、普通の死に方とは違う。変態主義の人間が見れば美しいとでも言っただろう。
悪魔はそれでも気がすまなかったのか、極薄の布の刃が蠢きながら地面に戻し男をブロック肉と化す。次いで右手に男を掴んだまま持ち上げ、地面に叩きつける。一回、二回、三回、四回、五回……
警戒していた男達は、その様子を眺めることしかできなかった。
仲間二人分の血に染まり、超然と佇む悪魔。
男達の間に戦慄が走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます