日常の変化とは、決して良いことだけではない。それで一回死んでるしね。
「見えるかルプス」
深い、深い森の中。太陽の光を覆い隠す葉は日中であろうと世界を暗く覆い隠し、囀る虫の声は五感の集中力を乱れさせる。
今はまだ高くない気温だが、虫が目覚めるには十分な温度。額に浮かぶ汗を拭いながら私―――ルプス=クロスロードはじいさんが指差した地面を見る。
「足跡だな。それにこの形はどう考えても普通の獣じゃない。魔物の跡だ」
「そうじゃ。その上…」
「集団じゃない。単体」
「よし。行くぞ」
じいさんに連れられ、周囲を警戒しながら足跡を辿る。
脳裏では今まで徹底的に教えられてきた言葉が蘇る。
『魔物は食料を必要とせん。それに排泄もせん。寝る必要もない』
『だがなぜか奴らは元の獣だった時の習性を行うモノが多い。そこを狙うことは容易い』
足跡を辿り獣道を抜けていくと、果たしてその先には一匹の魔物が木の麓で眠っていた。
魔物の元は狼。本来毛と皮があるだろうソイツは、全身を彫刻で削れられたような、複雑な文様を描く筋肉で覆われている。
「斥候もおらん。本当に一匹のようじゃ」
「群れに入るか作る前か、それともはぐれか。どっちにしても今のうちにやろう」
『奴らは生前と同じように群れを作る。そして厄介なのは、魔物となった奴らは元が狼ならば狼同士で組む…というほど単純な構造はしておらん。もちろん元が同じ魔物は組みやすいが、力が強く知恵も回るものであれば、群れのリーダーになることがある。そういった輩が率いる群れは強い。勝算が無ければ逃げるのが一番じゃが、奴らからは逃げるのも大変じゃ。森は奴らの庭だからの』
慎重に、音を立てないように草むらを移動する。魔物は体を丸めて寝ている。できれば首元が狙える位置に移動したい。
『不意打ちというのは強力じゃ。相手がこちらを認識しているときは、一つの生命と生命の殺し合いとなる。じゃがこちらに気づいとらん敵はただの生きた肉塊じゃ』
気づかれないまま移動を完了すると、腰元に何本か吊るしている刃の分厚いダガーナイフを取り出す。
「ちゃんと研いどるじゃろうな」
「昨日じいさんと研いだばかりじゃないか。朝も出る前に確認したよ」
『魔物は異様に魔術に対する感知能力が高い。近くで使えばまず間違いなく気づかれる。じゃから不意を打つ時には物理的な武器を使う。一番やりやすいのはトマホークじゃが、あれは意外と売られておらん。そこでこの肉切り用の分厚いダガーナイフの出番じゃ。投げナイフ?あれは切れ味ばかりよくて軽すぎる。熟練したものならそっちのほうが使いやすいらしいが、こっちのほうが扱いやすい』
要領はトマホークと同じ。回転、遠心力だ。重要なのは衝突時の刃の向きや角度。
一度、二度振りかぶり、三度目で投擲する。
手慣れたもので、ダガーナイフは魔物の首筋に吸い込むように突き刺さった。
グエッ!と潰れたカエルみたいな声をあげる魔物。やつはきっと今自分の身に何が起きたか分かっていないだろう。そして分かることは一生無い。
ナイフが刺さった瞬間。全身の筋肉が緊張し咄嗟の動きができない一瞬の内に、魔物の体にはテニスボール級の穴が空いていた。穴を作った原因は言うまでもないだろう。
「よし。お主の素早い魔術は武器になる。本来一瞬怯ませた隙に剣士が突っ込むところを、お主は遠くから撃ち抜けるのだからの」
じいさんの言葉を軽く無視して、私は周囲の警戒にあたる。魔術を使ったから周囲の魔物に気づかれてるかもしれないし、死肉の気配を嗅ぎ取った野生の獣が来るかもしれない。
「儂は死骸を焼く。周囲を見ておれ」
「言われなくても」
背後でじいさんの呪文。続いて肉が焼ける酷い匂い。慣れない頃はしばらく肉が食えなくなった。
「終わったぞ。時間もそろそろ良い頃合いじゃろうし、今日の訓練はこれで終わるか」
「分かった」
本来であれは大喜びして安堵の息をつきたいところだが、まだここは森の中。気を抜く訳にはいかない。息を吐くのは村についてからだ。
じいさんが手際良く回収していたナイフに付いた血を拭いながら、こんな行動にも手慣れたものだなと感慨深く思ってしまう。
じいさんからサバイバル訓練を受けるようになってから、おおよそ半年ほどが経っただろうか。やり初めは確か…そう、私の剣術の訓練が終わるのと同時だった。むしろ剣術をしなくなった代わりに始めるようになったと言っていいだろう。
結局私が剣術の訓練をやっていたのは半年ほどの期間だった。やめた原因は私も先生も、そしてじいさんもこれ以上やっても意味が無いだろうということに気づいたせいだ。私は三ヶ月目の段階でだいぶ気づいていたし、先生だってなんとなく無意味なことをやっているという自覚があった気がする。じいさんだけがそのことを認めないで、ずるずると訓練の期間が長くなってしまった。
結局私は闇系剣術一位(仮)として剣術の訓練を終える。(仮)なのは、卒業記念として先生から送ってもらった称号だから。ちなみに先生曰く、自分も三位(仮)であるので、気にすることはないらしい。
そんなことはともかくこのサバイバル訓練だ。剣術の訓練が終わった後、何を土地狂ったのかじいさんは私を村の外の森に連れて行っては、こうしてサバイバル技術を延々と叩き込んできた。
正直苦痛という他ない。そりゃまぁ剣術やってたころよりも色んな技術は身についたが、大半は魔物や獣を殺す技術。野宿や調理に草花の知識は良いとしても、なんで殺害技術をこうも習い続けねばならないのか。…いや、じいさんが何を考えてるか分からないわけでもないのだが、それでも声を大にして言いたい。私は!平穏無事に!ただのんびりと!暮らせればいいのだ!と。
そんな苦痛の日々を送る私の唯一のカンフル剤と言えば、フレーラと暮らす時間がそれにあたるだろう。剣術の訓練を受けなくなっても、じいさんはフレーラの授業を続けた。フレーラは魔術の覚えも(比較対象がないため分かりにくいが)早く、素直だし何より六属を二属性持っている。私よりも随分と楽しい生徒であるらしい。
一応彼女の魔術訓練のときには私も付き合うのだが、やることはもっぱら魔術の対象としてのサンドバック。サバイバル訓練から帰った今日も、それは変わりなかった。もし相手がフレーラでなくて、私が孫の成長を楽しむような広い老婆心の心を持っていなければ、やってられないとグレていたところだ。
「『光よ木を孕め』」
私の視界の先で一所懸命に、まだ呂律が回りきってない口で呪文を唱えるフレーラ。実戦であれば詠唱中に五回ぐらい殺せるが、私はそんな無粋な真似はしない。
ちなみにフレーラと言えば、属性は光の木と土と、一見すれば普通の属性なのだが、彼女には謎の特徴があった。
六属の属性には、色々と付加価値的な特徴があったりするのだが、その一つに攻撃属性と守護属性というものがある。この二つはその六属が闇系で扱うのがいいか光系で扱うのがいいかという差につながっている。
単純な話、同じ大きさの水の玉で攻撃するより、火の玉で攻撃したほうが威力が高いに決まっている。まぁこの二者には剣術関連のことも含まれてるのでその限りとは言えないが、とにかく六属はこんなふうに別れている。
攻撃属性:火、雷、木
守護属性:水、風、土
そして光属性であるフレーラの場合、土属性の魔術を扱うのがいいのだが…なぜやらじいさん曰く木魔術の方が扱いやすいとのことなのだ。
基本的に二属と攻守の属性は術士の扱いやすさも準ずることが多いらしく、こういったことは稀らしい。じいさんはエルフの血が混じってるからなのかと首を傾げていたが、私としてはまだそこまでこの世界の常識に染まっていないし、無属性なんて特殊な人間に当たり前のように三属性持ってる人間も近くにいるので実感が薄い。そういうこともあるんじゃないの?と言った程度だ。
教育方針に長らく悩んでいたじいさんだったが、親の村長も巻き込んだ相談の末、現在フレーラは木属性の魔術を中心に、土属性の魔術も扱うようにしている。
現在の彼女のステータスはこんな感じだ。
フレーラ=ロクシュ
二属:光 六属:木、土
魔術階位:木二位、土二位見習い
魔術師階位:二位
全く素晴らしいことで。私が同じ形式で書いたら文量が半分ぐらいになる。
まぁフレーラに対してそんな僻むようなことはしない。妹的な彼女の成長を喜んで受け止めよう。
…成長しない私の代わりに、などと思ってしまった自分を心の中で殴りつける。
頭を一度大きく振るうと、今日の授業に集中する。
今日するのはフレーラの木系の拘束術式の練習。フレーラは私を拘束し、逆に私はそれから抜け出す。勝敗は私が諦めるか、私がフレーラにタッチするかで決まる。追加条件として私は本人への直接攻撃と魔術以外の攻撃を禁止させられている。
私が考え事をしている間にフレーラも詠唱を終わらせていたらしく、最後の魔術名を言い放つ。
「【纏わる蔓】!」
二位光系木属性魔術【纏わる蔓】
その名の通り地面やら場合によっては周りの木とかから蔓が伸びてきて、対象を拘束し自由を奪う魔術。
弱点は相手の魔術を抑えられないことに意外と耐久力が低いこと。そして攻撃力が無いこと。
一応首などを締めるようにすればその限りではないのだが、今回は禁止されてる上、魔術の危険性を重々承知しているフレーラはそんな下手なことをしない。
地面から伸びてきた蔓が私の両手足に巻き付く。軽く引っ張ってみるが、外れたり千切れたりする気配はまったくない。
私は今からこれを脱出しなければならない。取れる手段はもちろん一つ。【闇玉】だ。
扱いやすさを重視に、テニスボール級を二つ。もうちょっと大きくするのもいいが、手足に巻き付く蔓というのはあまりに体に近いため、大事を取って大きさは控えめで。
【闇玉】を一度ぐるりと回すことで加速をつけ、勢いのまま両腕の蔦を撃ち抜く。想定通り両手が自由になる。
しかし―――。
「『二本』!」
フレーラの鋭い言葉。私が次の行動を起こそうとする前に、新しい蔦が生えて再び両腕を拘束した。
これだ。光属性系はこうやって後から操作することも可能なのだ。まぁ魂を直接操って色々やってる私が言えた話ではないが、ずるいと思はないでもない。
両腕を開放しても意味がない。ならば次は足だ。幸い切れてから再詠唱するには一瞬の隙があるので、千日手的な発想だが少しずつ近づくことができる。
「四本で足りぬなら数を増やせ。相手の反応を待つな!」
じいさんの叱咤が飛ぶ。っていうか一応木属性はあるけどあの人闇属性だよね?なんで光属性の稽古普通につけられるの?というか土属性も普通に教えてたよな。どれだけ博識なんだあの人。サバイバル術も恐ろしいほど知識量が豊富だし。逆に剣術ができないって方が驚きだよ。
「『追加』!『追加』!『追加』!」
アドバイスどおりにフレーラが新しい蔦を次々と出してくる。反応して私も【闇玉】を増やすが、相手の方が早い。
そもそも私の【闇玉】は欠陥が多い。形状変化や速度に展開速度。そこら辺はじいさんからもお墨付きを貰えたが、それでも形態変化には問題がある。
【闇玉】は私の操作に応じてかなり複雑な形にまで変貌してくれるのだが、それが刃や棘、それに棒状など明確に球状から別の形に変形させようとすると、突如として【闇玉】が崩れてしまうのだ。
あくまで【闇玉】は『玉』であるとでも主張するのだろうか。それ以上となるとどうにも上手く変形出来ない。
そして球状のままでもまぁ速度があるため威力は魔物を撃ち抜ける程度にはでるのだが、こうやって近くの物を撃ち抜く際には速度をのせてから当てる必要がある。さらに不可能ではないのだが、精密な操作をするためには【闇玉】を視界内に抑えなければいけない。下手をすると自分を撃ち抜きかねない現状では、大雑把に振るうばかりではいられない。
加速のための操作と精密操作のための視界確保、体に巻き付くという見にくい場所。三重苦は私の手を致命的に遅らせる。
せめて刃にできたら高速回転させて蔦を切れるのだが、ないものねだりはできない。今持つ戦力でしか戦えないのならば、どうにかこうにか工夫か…ルールの裏をかいくぐるしか無い。
私はバスケットボールレベルの巨大な【闇玉】を作ると、それをフレーラに向かって放つ。
「えっ?」
ルールでフレーラに対する攻撃は禁止されている。まさか攻撃してくるとは考えてなかったのだろう。フレーラの顔が明らかに引きつる。
しかし勘違いしないで欲しい。私だってこんなところで大人気なくルールを破って攻撃なんてしないし、妹分に手を挙げるなんてことがそもそもタブー中のタブーだ。
だから止める。彼女の手前。正確には眼前に。
さてはて攻撃の定理とはなんだったか、少なくともルール上は『直接』攻撃を禁止するとしか言われていない。ちょっと大きい【闇玉】をフレーラの眼前に置くのは禁止には該当しないだろう。
そして私の嫌がらせはすぐに効果が発揮された。
「あっ!あっ!」
何も魔術の精密操作に視界が必要なのは私だけではない。フレーラだってこっちを視認できなければ精度が下がるのだ。
その証拠に地面から生えた蔦が私に当たらず幾つか背後に流れていく。
当たらない蔓を見とどけながら私は悠々と自らに巻き付いている蔓を断つ。魔術として扱っている本人は、巻きついた蔓が次々となくなっていることに気づいているだろう。
やがて完全に全てを断ち、私が自由に動ける段階になってフレーラも覚悟を決めたらしい。邪魔な【闇玉】を回避し視界を確保するために一歩左に出る。
「『追加』!」
懸命に左手を伸ばしながらフレーラが叫ぶ。呼応して土が盛り上がり、蔦が伸びてくる。
「残念」
しかし蔦は私まで届かない。手前で私が出した【闇玉】に衝突すると、蔦は勘違いして【闇玉】に絡まり始めた。蔓魔術の弱点追加だな。
さらなる追撃を警戒する私だったが、新しい蔦は出現しなかった。
「ふむ、一度出せたか」
その様子を見たじいさんが満足げに一度頷いた。
光系魔術は一度発動した後の柔軟性が高い。闇系でも一応変化させたりはできるのだが、あそこまで長時間一つの魔術で持たせられるのは光属性ならではである。
しかし代わりに光系魔術は扱いが難しい。それこそあんなに変化をさせまくったら、首一つ傾げれないほど。まぁ魂に対して後から後から無理やりな操作を重ねているのだから、当たり前とも言えばそのとおりである。
むしろ一歩踏み出したところから一本出せただけで凄まじい。しかもあの年でだ…というのはじいさんと、フレーラの魔術を見て親バカを発揮しまくってた村長の受け売りだけど。
何にしてもフレーラは十二分にその才能を発揮しているようだ。不肖の兄弟子としては妹分の成長に喜ぶばかりであり、ゆくゆくは平穏な生活を送っている(予定)の私の護衛にでもなって欲しい。治安の悪さというやつは如何ともしがたい。ココらへんは比較的平和だけどね。
私がまたふざけた感想を抱いていると、村長が家にやってきた。
いつもどおり午後の授業を終えたフレーラを回収しに来たのだろう。何のこともない普段の光景。であるのだが。
(いつもよりちょっと早くないか?)
例のごとく時計が無いため詳しい時間は分からないが、何だか体感的に普段のお迎えよりも早い気がする。
「おっと、もうそんな時間か」
「帰る時間?」
二人も疑問に思ったのか、少し驚いたような声を上げ…違う、フレーラは不思議そうな声だな。冷静に聞き分けたら違うぞ。じいさんの声だけまるで予定調和のようだった。だとすれば気を使う必要もあるまい。
「何だか今日はちょっと早くないか?」
「ああ、そうじゃの。ちょっと村長と話があるから、二人は外で遊んどれい」
そう言うとじいさんは村長を連れてさっさと家の中に入っていってしまった。やっぱり村長が来たのは少し早く、しかもなにやら用事まであるらしい。
珍しい。あの教育バカ的側面を持つじいさんが別のことを優先するとは。
まぁ別にわざわざ聞き耳を立てに行く必要もないだろう。暇つぶしにと即興でピンとボールを作り上げると、私達は簡易ボーリングを始めた。もちろんこの世界にはない文化であり、素材は全て【闇玉】であるため八百長も余裕である。
しばらく二人ボーリングで遊んでいると、じいさんが家の中から私達を呼び出してきた。ちなみに最終スコアでは私が上。当たり前だよね、体鍛えてるし。なによりもし負けそうになったら迷わずイカサマするし。………今回は大マジだよ?
私達が家の中に戻ると、なぜだか妙に嬉しそうな村長と、いつもどおり表情の分かりにくいじいさんが座っていた。何故か二人並んでたので、つられて対面に二人並ぶ。
「実は少し話があっての。来週のこの日なんじゃがな…」
そういってじいさんが言った日は、特にいつもと変わりのない授業がある日だった。
「この日にのう。村で誕生祭を開くことになったのじゃ」
誕生祭?と聞き覚えのあるような無いような言葉に、ひとまず私は首を傾げてみせるのだった。
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