読書は見聞を広めるのです。さぁ本を寄越すのです。

 生後二年九ヶ月。暦が元の世界と同じであることに喜びを覚えつつ、私は雪景色と化した風景を楽しむ心を持ち合わせていた。

 現在は三月。しぶとく残り続ける冬の気配がようやく消え始め、陽光がじんわりと肌を温めてくれる楽しい季節。ついでに逆説的に年月を数えれば、私のこの世界での誕生日は五月であることが分かる。というか特に隠す必要もないので五月十日が私の誕生日だと明かしておこう。

 ちなみにこの世界は元の世界と文化が違い、年に一回のいわゆる誕生日などは祝わない。その代わりに四年に一度誕生祭というものがあるらしい。ついでに言うと私はちょうど誕生祭の年に生まれたらしい。


 そこまで考えて、思わず「ふふん」と気持ちの悪い笑いをあげてしまった。

 だがそれも仕方のないことだろう。こんな簡単な季節の巡りに意識を向けることや、先程私が得意気に語った知識を手に入れることも、つい一ヶ月ほど前までは到底叶わないような状態にあったのだ。

 自分で自分の行動を律する。その行動が出来るようになるまでに、私は二ヶ月の期間を必要とした。気を抜けばいつの間にか朝日から朝日に移ろい変わっていく時間の中、なんとか自意識のある時間をかき集めて総動員し、やっと掴んだ自由行動。


 ちなみに最終的にどうやって私が行動の自由を得たかというと、それは最初に考えていた肉体と精神の成長でも、肉体と精神から魂を切り離すことでもない。

 なんと驚くべきかと思うことだが、あの糞鳥の言っていた、魂が主体の生物という言葉はあながち間違ってなかったらしい。というのも、始め肉体と精神を鍛えようとした私は混乱した。肉体と精神を鍛えるって具体的にどうすれば良いのかと思うこともあったのだが、そもそも自分の体や記憶というものがその手足の先の指一本に至るまで、自分のものであるという認識ができなかったのだ。

 例えるならばゲームの中のキャラを操ってる気分。その上でわかりやすいパロメータも強化方法もわからず、しかも持続的な自意識の継続もできないのだからどうしようもない。もしかしたらこの方法だったら、時間が解決してくれたのかもしれないが、あいにく私はそこまで待ってやるつもりはなかった。


 次に私が試したのは肉体と精神から魂を乖離させる方法。魂が私だというのならば、一度確固たる自分を確立すれば、後は勝手にどうにかなるのではないか。しかしこの方法は肉体も精神も魂も堺がどこにあるのかも分からず、そもそも自分って何なんよってレベルに陥りかけた私は、この方法を断念せざるを得なかった。

 しかしこの失敗は次の成功を呼び込んだ。魂とやらにアプローチをかけていた私は、その魂の発露であろう無意識下の行動を事細かにチェックしていたのだが、なんとその行動が一部変わっていることに気がついた。

 なんと基本超引きこもりだった私が、何度か家の周囲の探索や、その他何かを調べるような行動を行っていたのだ。その行動は明らかに前世の私の行動と違うが、逆に今の私の願いに沿った行動であった。

 そのことに気づいた私は、もしかしたら肉体と精神は上手くできなくても、魂ならば操作できるのでは?という考えに思い至ったのだ。

 そこからの行動はスムーズだった。魂の操作方を考える私は、逆に始めそもそもどこまでは魂の行動に引きずられずに自意識を持って行動できるか確かめるため、あえて魂の赴くまま、家の中でごろごろしたり前世みたいに自堕落な生活を送ってみたのだ。

 するとどうしたことか、いつもは気づいたら飛んでる時間は穏やかなちゃんとした流れとなり、そしてそうなれば今度は暇だという感情が湧いてきた。当たり前だ。前世でごろごろできたのは漫画やスマホがあったからであり、なんにもない空間でただひたすらごろごろするのは退屈極まりない。そして暇だという感情が発露した私の体は、今までいう事きかなかったのが嘘であったかのようにするりと行動を開始したのだ。

 そこで咄嗟に私は、目的もなくただ暇だからという理由で動き始めた自分に、この世界のことが知りたいという意思を発した。すると長い苦悩の末、私の体は私の目的どおりの行動を始めたのだ。


 そこからは思考と実験の繰り返し。結果的に、初めて私が行動を初めてから一ヶ月ほどで、私は私の魂に自分の意思を刻み込み、それによって肉体と精神を動かす術を手に入れたのだ。

 本来肉体と精神の行動によって形作られる魂というプロセスの逆。本来そんなことはできないし、それで動くはずもないのだが、どうやら私という生き物はそんな風にできてしまっているらしい。ようやくそこで私は、糞鳥の魂が主体という言葉と、今までの自分の体の違和感の正体に気づくことができたのだ。


 もちろん前世や今までと違う行動方式に苦悩や違和感はあったのだが、それも一ヶ月ほど経てば慣れてくるというもの。外の景色を楽しむという感情の下、外の景色を楽しんでいる私は充足感を覚えていた。


 ただその充足感だけで満足してはいけない。これまでの行動はいうなればこれから先の行動の前準備、体育の始めの準備体操のようなものだ。といってもその準備運動の間にも覚えたことは多い。まずはそう、あれだったな…


 私が自意識で行動できるようになって最も初めに気になったのは、この世界の常識だった。

 人の常識というやつは場所とか文化とか風習だとか言語だとか、とにかくちょっとしたことから大きなことまで、数多くの条件によって変わってくる。そしてそういった常識の違いというものは、容易に他者との軋轢を生むこととなる。特に宗教関連は注意が必要だ。

 幸い私の記憶の中ではこの村及びこの家でそういった宗教などはあまり見たことはないが、この世界に人間が住む限り宗教が無いことは無いだろう。知っていて損はない。


 問題はどうやってその常識を知るかである。常識とは普通にやってても識っていることだから常識なのであり、常識を教えてというのは妙な話である。

 しかも家の家庭環境はそこそこ複雑だ。と言っても私はよく知らないのだが、少なくとも幾度か探りを入れてじいさんが私の両親のことを隠しているのは分かっている。そしてじいさんが明らかに慣れてない子育てのために頑張っていることも。

 正直私にとって親、保護者というのはかなり微妙な立場にある。私にとっての両親は前世の両親であり、顔すら覚えてないこの世界の両親のことなど知ったことではないが、ここまで育ててくれたじいさんには恩義とかその他諸々色んな感情を持っている。はっきり言うとあんまり心配をかけたくない。

 いきなり常識なんて聞いたらじいさんが心配するのは目に見えている。そこで私は一計を案じてみた。


 ある日。いつものようにじいさんと食卓を囲んでいたときの会話である。


「なぁじいさん」

「どうしたんだルプス。苦手な食べ物でも入っていたか?」

「いや、そんなことはないよ(そもそもこの世界の飯は前世基準で基本全部不味いし)。ちょっと頼みたいことがあってさ」

「ほう、なんだ改まって。お前がそういうことを言うのは珍しいのう」


 じいさんはなぜだか嬉しそうに一度食器をおいてこちらを見てくる。

 私はその目をしっかりと見返して、誤解のないように告げる。


「俺さ…この世界のことが知りたいんだ。国とか地形とか宗教とか…あと地域ごとの風習とか。そういうことを知りたいんだ」


 そう私が告げた時のじいさんの顔は恐らく前世の私の寿命ぐらいまでは絶対に忘れないだろう。

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、とはまさにこの顔。もしくはソンビ映画で突如現れたゾンビにいきなり食われた第一被害者の顔だ。俺、デーモンになっちゃったよ、よりは呆けた顔であったことは保証しよう。


 じいさんはその表情を私が(あれ?なんか不味ったかな?)と思うほど長く続け、次に少し思案する顔を見せるとやっと言葉を返してくれた。


「そうかそうか。確かにお主もこの家にずっといるだけでは退屈であったか。うむ。世界を知ることは悪くない。かくいう儂も昔は世界中を旅回っておってな、そういうことには人一倍詳しい!よいぞよいぞ、儂が暇な時にでも教えてやろう」


 じいさんは再び表情を一片。再びとても嬉しそうに顔を歪めると、今までに聞いたことが無いほどに好々爺とした印象でそう言ってくれた。

 とりあえず第一関門は突破。そうやって私が喜びを噛み締めていると、じいさんは早速寝る時に何枚かの紙と一冊の本を持って私の部屋に入ってきた。

 どこからそんなものを取り出したのか。というかこの世界に印刷技術なんて無いよな?と疑問に思うレベルで、じいさんが持ってきたそれらの資料は凄まじいものだった。

 まず束で持ってきた紙はこの世界の地形が書かれた地図だった。単純な世界地図から、地域ごとにまとめた地図。果てにはちょっとした入り組んだ地形の詳細な地図までだ。

 そして本の方にはある地域の人々の生活や特産品に風習、それにどんな魔物が出てくるかまでぎっしりと書き込まれたものだった。一体本当にどこからそんなものを持ち込んできたのか、このじいさんやっぱりただものじゃないらしい。なんとなくそんな気はしてたけど。

 ちなみに本の方は手帳サイズでそれ一冊で足りるのかと聞いところ、もちろん手帳は何冊にも別れているが、とりあえずはこの地域の周辺からだと言われた。

 素晴らしい。このじいさん素晴らしい。

 しかもじいさんの説明は、私のあの超アバウトな聞き方だったのにも関わらず的確かつ分かりやすいものだった。正直前世の高校教師より分かりやすい。

 じいさんの授業は私がねむねむし始めた辺りまで続き、そこでまた後日という話になった。


 次の日、早速昨日の続きを聞こうとした私だが、残念なことにじいさんは魔物討伐の日であり授業はまた夜ということになった。

 むーと少し不満であったものの、さすがにそれに腹をたてるほど子供ではない。というかほとんど大人なわけで、諦めて夜に聞こう…と思いっていたのだが、私はそこであることに気づいてしまった。

 先日の夜使った資料は未だ私の部屋にある。つまり。


「これ自分で学べるんじゃね?」


 行動はもちろん素早く。私は最近始めたちょっとした家事などを済ませると、早速自主学習に入った。これでもテスト期間やらで勉強というものには慣れている。手帳には時折分からない単語とかも入っているが、ここで前世の古典やら英語を訳してたときの知識が役に立つ。それに文脈から言葉を想像するのは読書家にとっては日常茶飯事なのである。


 その夜。じいさんが帰ってきた時には置かれていた手帳を読破した私は、面食らうじいさんにどうしても変わらなかった単語は出来事を質問し始めた。まるで、教師に質問する生徒のように。


 ………少しだけ、その夜人知れず涙した。

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