幼年期の目覚め、終わりではないです。

 何やら心配そうにこちらを見ているおばさん。それが私の初めて見た光景。


 次に見たのはもっと長い。

 天蓋付きの豪奢なベッド。目が痛くなりそうな精緻が壁紙。そして何よりこちらを見守る男女。どちらもとても穏やかな顔つきをしている。


 「マァマ…パァパ……」


 そんな声が上がると、二人は互いに顔を見合わせて見てるこっちが嬉しくなるほどの満面の笑みを浮かべた。


 三度目。それは酷い光景だった。

 焼けただれる豪奢な家具。床には周りと同じぐらい真っ赤な色彩を放つ誰か達。

 必死に手を伸ばそうとすると、彼らはすぐに後ろに流れていく。

 どうやら誰かに背負われて運ばれているらしい。慣れない。この背中は慣れてない。言いようのない不安が心の中で渦巻く。

 誰かの喧騒、怒号、おまけに赤ん坊の泣き声が、いつまでも耳に残っている。




 ―――そして。


「おはよう、じいさん」


 私は『いつも』のベッドで目を覚まし『いつも』のように隣室のリビング的なところに進み、そこにいるおじいさんに『当たり前』に朝の挨拶をした。

 おかしい、と思うと同時に、何が?と思う自分がいる。

 冷静に一つずつ確認していこう。まずここは私の家ではない―――違う、ここは自分の家だ。なぜなら部屋はどこを見ても木造だし、電気を点けるためのスイッチ一つない。と言うか電気がない、部屋の明かりは完全に窓からのもので補われている。

 そして窓の外の光景もおかしい。外には鬱蒼と生い茂る木々に、土を固め雑草を排除しただけの小さな道。我らが愛するコンクリートジャングルではない。つまりここは私の知らない場所だ―――違う。ここはアハト村。イスライ国に所属する辺境の村だ。

 さっきから煩いな。一体お前は何なんだ―――違う、貴女は既に気づいているはず。貴女は今何をやっている?

 顔を洗っている。だけど違う。蛇口を捻ったら出てくる水じゃなくて、私が使ってるのは井戸水だ。

 ―――その通り。だけど貴女は井戸の使い方なんて知っていた?

 知らない―――知っている。

 違う―――違わない。

 記憶がある。―――そう、知っているはず。


 あれは、なんで知ったのか、何か医療番組だったかアニメだったか。

 人は自分では耐えきれないような自体が起きた時、違う自分を自分の中に作り出す。いわゆる二重人格というやつだ。―――そう、だから自分がいる。決して壊れないよう、一人称まで整えて。

 私、いや私達が頭の中で話している間にも、体は染み込んだ動きを忠実になぞっていく。向かう先は…お手洗い、つまりトイレである。

 ―――問題は一つ。

 私は一人で十分だ。

 ―――自分は二人でも構わない。でも貴女はそれを許せない。

 だったら答えは決まっている。

 ―――答えは貴女が決めていい。自分にその権利は無いだろうから。


 お手洗いにつく。いつの間にかアレの声は消えていた。彼でも彼女でもなく、アレ。現存していた期間はとても短く、別人格とすら言えない。きっと現状を受け入れるためのクッションの役目だけを持たされたのであろうソレ。


 こんなところで宣言するのもどうかと思ったが、アレのためにも一応言っておくことにした。


「私は私だ。どこだろうが誰だろうがそれは変わらない」


 発する声にはどこまでも違和感が付きまとう。例え声変わり前の高い声域でも、その違和感は消すことはできない。

 そして何より。いつも通りに用をたす私の目の前には、あまりにも小さく、しかし確かに両足の間で存在感を主張しているおいなりさんが佇んでいる。


「ああ、こんちくしょう…」


 ただぼんやりと天井を見上げて、そう呟いた。



 ………慣れない状況で変なことをするものではない。手に少しかかってしまったではないか。

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