第2話 塀を越えてくる

 引越しにまつわる体験。

 そしてこの話も、私は只怖かっただけである。


 数年前、一人暮らしをしていた私は妹と同居することになった。

 適当な物件を探していくつかの不動産屋を回り、交通の便も良く家賃も手ごろな一軒の家に目を付けた。

「すぐにご案内できますよ」

 ということで、私と妹と一緒に来ていた当時の妹の彼氏の三人で、不動産屋の車でその家に連れて行ってもらった。

 そこは細い路地に家がずらっと並んでいるうちの一軒で、両隣との距離がかなり近い。

 私は物件を探すときは日当たりと風通しにこだわるので、きゅっと詰まったように建っている家を見て、まず日当たりの心配をした。

 そろそろ日も傾く時刻で、太陽の光はかなり黄色身を帯びている。

 路地を挟んだ向かい側はコンクリート塀が続いていたのだが、その塀を超えて細長いものが何本も顔を出しているのに気がついた。

 ……卒塔婆だ。

「どうぞ」

 不動産屋に促され、とにかく中に入った。

 部屋の中は、どこから差し込んでくるのか夕暮れ特有のオレンジの光の中に浮かび上がっている。




 部屋を見回すか見回さないうちに、私はもう怖くなっていた。




 別に危険なものがあるわけでない。妹もその彼氏も、不動産屋の営業さんもいる。

 でも怖い。とにかく怖い。

 その後、その家を一通り見て回ったはずなのだが、実はその記憶の部分部分が私の中から抜け落ちている。

 採光にこだわる私は窓の位置を確認したはずだが、窓についてかなり曖昧にしか思いだせない。

 二階にも上がっていたはずだが、不自然なほど記憶にない。

 まるで二階部分の記憶のコマを黒く塗り潰したように、思い出そうとすると”黒い”のだ。

 とにかく一通り見て玄関から出ると、コンクリート塀の上の卒塔婆が視界の真正面。

 目が合ったような感覚を覚え、首筋が総毛立った。

「……向かいお墓なんですね」

 私の言葉に

「ああ、もう昔からのものです。ずっとありますから」

 営業さんは明るく返答してきた。



 不動産屋に戻ると、私たちは部屋に手付けを打った。

 あんなに怖かったのに、なんで契約を進めようとしたのか――。

 立地も条件も良く家そのものも悪くかった(はずだ)し、その時住んでいた部屋の契約切れも近かったという現実的な面が、説明できないがとにかく怖いという理由を理性的に退けてしまったのだろう。

 もう一つの理由は妹である。彼女は、彼女の言葉を信じるならば「霊が視える」そうだ。

 その妹が「ここはからやめよう」と言いださなかった。

 家に入ってから少々口数が減っていたのが気になったが、とにかく反対はしなかった。

 本契約は親に保証人の書類を貰ってからということで、不動産屋を辞した後、妹たちと別れ私は部屋に帰った。



 その夜、もう真夜中に近い時間に妹から電話が入った。

 妹はその後彼氏を泊めたそうだが、妹が眠りについた時、夢を見たそうだ。

 向かいのお墓から塀を越えて、何人もの人があの家に流れ込んでいく。部屋は彼らで一杯、笑いを含んだ声で口々にこう言っていたそうだ。



「住むんだって」

「住むんだってねぇ」



「今度はいつまで持つかねぇ」



 はっと眼が覚めたとき、まだ起きていた彼氏が言ったそうだ。

「お前あの家ホントに住むのか?俺あそこ一人じゃいられんわ……」




 思わず「何で内件のとき何も言わなかったの?」と聞くと「怖いことは怖かったが何も視なかったから」の返事。

 きっとあそこは日が沈んでいくにつれ怖くなるのだろう。

 彼らは塀を越えてやって来る。そして夜、部屋一杯に溢れるのだろう――。

 そう思った。

 

 次の日開店時間を待ちかねて、断りの電話を入れた。

 当然ではあるが、手付けは返ってこなかった。




 しかし前話に引き続き、またもや私は「とにかくなんだか怖い」に陥っていただけである。怖いモノは何一つ視ていない。

 今でもはっきり思い出すのは、黄色身を帯びた夕方の光に満ちた部屋と、塀からこちらを見下ろしていたような卒塔婆。

 しかし、これは現実にあった風景だ。

 ここで視えるなり感じるなりすれば「あああそこに、これこれこういうものがいるから怖いんだー」と理解でき、説明が付けられるのでいいなぁと思う反面、やはり視えない方が良いとも思う。

 だってやっぱり、視えたらすごく怖いじゃないですか。

 ――と思う反面、怖さに竦み上がり、とにかく近づきたくない逃げたいと思っている時に、今怖いと思ってるのは気のせい?考えすぎ?妄想しすぎ?と自分を疑い葛藤するのも、なかなか疲れる事なのだ。



 このような益体もない話に最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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