:|| リピート

そよ風がくすぐったくて、目を覚ます。

奇妙なほどにシワのないシーツの上、俺は目を覚ました。

窓からは陽が差し込んでいた。


「……目が覚めたか、五十和」


そこが病院であるという事実に気が付くのに、相当な時間を要した。

また俺が、『イソノワ』とかいう呼称で呼ばれた理由も、その時にはもう分からなかった。


俺は、自分について全て忘れてしまった。


【害蟲】なんて非現実的な超常生物のいない、平和な世界。

壁で区切られる事もなく、人という種が空を駆ける事もない。

しかしそんな世界を当然のものだと、俺は疑う事もせず享受していくのだった――――。




たった1人だけ、世界から消えてしまった。

拓舞の妹、奏である。

彼女の身体に刻まれた、【刻紋壁】と同じ紋様…………それは蝶の血の流れる彼女にしか現れない『運命の印』なのである。


彼女は最後、烏揚羽からモルフォへとその性質を変えた。

それはすなわち、彼女の『かた』、ひいては『運命』を受け入れる覚悟を意味していた。

奏は自らに課せられた運命……『自己犠牲による修復』を果たす為に、世界から消失する事で、平和な世界を再構築したのだった。


誰にも争って欲しくない。

奏の願いは、1人の命を対価に果たされた。




そしてその平和な世界で1ヶ月、病床生活を過ごし退院した拓舞。

記憶は戻らなかったものの、自分がどんな人間かはある程度思い出した。


その記憶を頼って、通学。


勉強は大変だったが、何だかんだクラスメイトが支えてくれたお陰もあって、毎回ギリギリでこそあるものの及第、学生生活を満喫していた。


「…………」


だが拓舞は何故か、その生活に何処か違和感を感じていた。

学校の心理テストで、

『今の自分は本当の自分ではない気がする』

の欄に必ず『はい』で答える位に。


平和で結構、万万歳と喜ぶべきなんだろう。

だが、わだかまりを切除できない限りは、そう安易に喜んでいいとも思えない。


そして哀しい哉、その違和感の正体に気が付いたのはそれから半日も経たぬ、その日の夜の事だった。


「…………!」


何も肌に塗ったりしていなかった。

それなのにボロボロになった頬、その奥にわずかに見える鱗状の褐色に背筋をぞっとさせて、俺は持っていた手鏡を落とした。

割れたガラスの破片が刺さったところから、血ではなく鱗粉が溢れだす。


自分は何者なのか。

何者が本当の自分なのか。

何故自分は記憶を失っていたのか。

違和感を感じたこの日常は何なのか。


その全てを思い出して、そして俺は……。




そして俺は、また蟲となる。

今度は文字通りの、人の首を咬む蛾に。

さあ、

俺は帰宅中の学生に狙いを定め、草むらの影から飛び出す。


そして――――――――ガブッ。


――――――――FIN.――――――――

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MOSSMAN―蟲と呼ばれた少年の生― アーモンド @armond-tree

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