♯35 バグ

「…………」

会長は本部の窓から、かつて海があった方向――――今は壁があって、その存在を黙認する事は出来ない――――を見て、もの思いにふけっていた。


扉がノックされ、命が入ってきた。


「――――許可は出していないが?」

「ごめんなさい、次から気を付けます。

……で、会長。お願いがあって来ました」

「何だい?訊くだけ訊こう」


「――――私の姉、五十和奏をんです。

どんな方法でも構わないですから…………」


会長は一瞬目を見開いたようだったが、すぐに素に戻り答えた。


「それは……『生死は問わない』っていう受け取り方で違いないのかな?」

「はい、大丈夫です」


そう言う命の顔は、しかし不安が露骨に出てくもっていた。

その顔を見て会長は、不意に心を突いた疑問を投げかける。


「命ちゃん。キミはもしかして…………」

「…………」




その頃、拓舞は向城と共に【刻紋壁】のふもとに立っていた。


「…………ここからが問題だよ。複雑だからな、壁の内部は」

「行き当たりばったりでどうにかなる……なんて、上手い話は無いか。

仕方ない、地道に進むしかないよな」


男2人、華なし・ギャグなし・需要なしの3拍子揃った旅が本格化する。


前回会長と来た時と変わらず、複雑に入り組んだ通路を進む。


「なぁ、合ってるのか?」

「間違ったら戻る」


――――とは言うものの、行き止まりや袋小路は無いらしく、来た道を戻る事は無かった。

「何処まで続いてるんだ、この空間」

「もうすぐ終わるぞ。…………ほら」


視界が開ける。【無】の支配する広大な世界が、俺たちを迎え入れた。


「ようこそ、お義兄さん」

「…………誰だ、お前…………!?」


そこには、一人男が立っていた。

やはり華がない…………とふざけてもいられない雰囲気が辺りを包む。


「早速ですがお義兄さんの妹、奏さんは頂戴致します」

「誰がお前みたいなやからに渡すかよ、まず自分から名乗るのが礼儀だろうが」


「それなら奏さんに礼儀を教えられたらどうでしょう?彼女は私に暴力を働いたんですから。

……私は心堂しんどう器生きお

【蟻】の【害蟲細胞】保持者です」


名乗った直後、蟻の大群が拓舞の周囲に現れた。

「力ずくで、奏さんを私の物に……ッ!!」

五月蝿うるせぇぞ、ぽっと出のくせに」

蟻が一瞬のうちに弾け、蟻酸が撒き散らされる。足下はジュージューと焼けた。


「何だか知らねぇがな、俺は急いでるんだ。邪魔するなら別の機会に頼む」

「他人の人生を侮辱するな!俺だって生きてんだよ!!どいつもこいつも俺を下に見やがって……ッッッ!!」


――――!!


急激な気配の変化に気付き跳び退すさる。先ほどまで拓舞の立っていた所が崩れ落ちた。

「チッ、バレやがった……!

――おい手前ェら、もっと働け畜生が!!」


蟻たちが羽音を変え、応えた。


蟻は捨て身の突進攻撃を拓舞に浴びせるが、まるで効かない。

「何で頭を使えない!?いい加減にしろや蟲のクセにィィィィッ!!」


と、蟻たちが急に動きを止めた。

黒いだけの眼球は静かに、拓舞に訴えた。


『あのような奴に、使役されるのは辛い』

『この独りよがりの坊主を、止めておくれ』

『貴殿のその、[完全な【害蟲】]の力で』


「……分かったぞ、お前たち」


拓舞は独り言の様に呟き、器生に向き直る。

「心堂!!!」

「何だよ拓舞ァ……?」

「やっぱりお前を、倒さなきゃいけない。

だから俺はもう手を出さない」

「……何のつもりだ?戦え!!闘うんだよ!!お前と俺、どちらが奏さんに相応しいか戦って決めるんだよォォ!!!」


「闘わないとは言ってないだろ。

――――俺がとどめを差さないだけで」


「何?」

器生がそう言った時が合図だったのだろう。

蟻たちが一斉に器生に群がり、その体を少しずつ噛り取っていく。

「何だよ手前ェら!?離れろ、離れろ!!

何で言う事が訊けない?とうとうイカれたか畜生どもがッ!!」


『お前が主人の器でなかった。それだけだ』


「――――――――――――ッッ!!」

顔がさっとあおめていく。

恐らく彼にも、『蟲の声』が聞こえたのだ。


最早その反乱を止める事は出来なかった。

壊れていく断末魔を背に、俺は向城を連れ先に進む。


器生の最期を見ることはなく、俺たちは暗黒に見える【無】の中へ足を踏み入れた。

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