♯27 ヌクレオチド
五十和拓舞――――。
人類史上初めて、限界値である72.5%を越えた【害蟲細胞】の所有者となった少年。
その身体能力は最早ヒトより蟲類のそれに近く、『人類の姿をした蟲』という方が正確とも言えよう。
体力のみならず精神面・知能面までも【害蟲細胞】により発達を遂げ、他の【害蟲】を寄せ付けぬポテンシャルを獲得しているが、彼が何処にいるかは不明である。
俺はルキナの実験によって、とうとう人間を辞めさせられた。
拘束が効かなくなり、逃走した俺は再び【刻紋壁】を訪れていた。
俺の存在を知ってか知らずか、会長が待ち受けていた。
「少し話をしないか?」
会長は【連合】を自ら辞退したと言う。
自分の過去を開示し、その罪を晒したからだと後悔していたが、果たして本当にそれが理由なのだろうか。
「……私はな、この壁の向こうを見たい」
「そりゃあ、俺も見たいな。産まれた時には壁はもうあったから、その先の景色は是非知りたい」
「…………」
会長は少し考えたように黙り、数秒の沈黙を破って話し始めた。
「――――見たいか?この向こうを」
「……見れるのか……!?」
壁の向こうは蟲が多いから、危ない。
子供の頃からそう教えられてきた世代の俺では、それはとても理解に苦しいものだった。
複雑に入り組んだ通路は、あたかも侵入者を拒むように造られた、長い長いものだった。
やがて視界が開けると、お世辞にも絶景とは言えない景色が俺を包んだ。
「――――何だ、これ………………」
端的にはその光景を言葉には出来ない。
俺が知りえる
そも言語にする行為さえ、現在の生物は無理なのかも知れない。
俺が知っている最もそれに近い言葉で景色を言い表すのであれば、それは――――。
「――――無い。何にも、無い…………」
【無】。
それが壁の向こう側に在った、世界の真の姿だった――――――――。
「…………人類にはね、知らない方が良い事の方が圧倒的に多いのさ。知ってしまったら最後、戻れなくなる覚悟が出来る人間は、そう多くいないからね…………」
「…………何でこうなったんだ」
「戻れなくなる覚悟、君には有るのかい?」
「人間にはもう、戻れない。
戻る場所がないんだ、行くところまで行く」
「――――そうか。じゃあ話そう。
人類がかつて、築いていた文明の話を……」
その話は3時間にも及んだ。
俺はかつて起こった災厄と盛衰の歴史に、ただ驚くしか無かった。
【無】だけが包む世界で、俺は深淵の欠片を手にしてしまった。
「……ああ、そうだ。思い出したよ。
君以外にもう1人、この話を熱心に聞いた男がいた」
「それって?」
「それは………………」
それは、君の父親。五十和弦宗だよ。
心臓が高鳴った。
父さんも、ここを知っていた…………!!
「君はつくづく、弦宗と似ている。
だからこそ、本当は【害蟲】になって欲しく無かったのだが…………」
「これも、運命ってヤツなんだろうか。
なぁ、父さん……?」
返ってくるはずの無い問いを呟いて、俺は空を掴む。
【無】は俺を嘲笑うかのように、指の隙間から抜け出ていくのだった。
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