第11話

 特に目的もなくふらふらと歩いていると、バエルはいつしか人気の少ない路地裏に足を運んでいた。これは灯りが少なく陰の多い場所であった故に、バエルの悪魔的本能に基づく暗闇を好む習性が無自覚に出たものと言える。


 人々の喧騒が徐々に遠くなっていくと同時に、より暗さも濃くなっていく。だがしばらく歩いていると、目前にポツリと佇む錆びた鉄柱の上にぶら下がった街灯により、少しばかりの光が差し込んできた。


 そしてその光を遮るように、バエルの前に数人の男たちが立ちふさがった。


「…………」


 バエルは彼らを一人ひとり視認した。八名の男は、それぞれ悪目立ちするような格好をしていた。チェーンをつけたり、鼻にピアスを施したり、皆が全て目付きが悪い――敵意がむき出しである。言わば彼らは不良少年であった。


 最も、バエルが彼らを良好な関係を結べるそれではないとすぐさま判断したのは、間違いなく一人ひとりで武器を備えていたからだろう。一人は金属バット、一人は大きなナイフ、一人はショベル……といった具合に。


「どもー」


 不良少年の一人が軽い口調で話しかけてきた。


「馬場君でしょ? 馬場得太郎君」


 名を呼ばれたバエルは黙って首を縦に振った。

 次第にバエルは八人に囲まれていく。


「ずっとつけてたんだけど、知ってた?」


 一人の男があざ笑うように言った。


「まさかこんなトコに来るなんて。危ないよー、一人でこんなトコ行ったらさ」


「てか馬場君ってスッゲー見た目してるよね。イキってる? その頭なに? やべーなホントに」


 笑いを交えながらバエルのもとへ歩み寄る男たちに対して、当人は顔色一つ変えること無く虚空を見つめていた。


「…………」


 沈黙を貫くバエルを気に入らないのか、不良少年達は徐々に険しい表情を見せていく。


「わかる? あのさ、なんでこうなったか、お前わかってる? いやまー、その……俺らもホントはこういうことしたくないんだぜ? でも仕方ないんだわ」


 一人の男が凶器をちらつかせる。後方に位置する街灯から差し込む光が、その刃を輝かせる。


 殺意に近い感情を露わにする男は、手に持ったナイフを大袈裟に振り回しながらバエルへの威嚇を成す。


 だがバエル自身は、肩を落とし「はあ」と溜息を吐くばかり。

 当然である。ソロモン七二柱筆頭のバエルにとって、人間の、それも子供の脅迫行為など眼中に無い。蟻が牙をむき出しにしたところで、どうということはない。


「一つ、忠告しておこう」


 ここでようやくバエルは口を開いた。


「お前達が私に斬りかかるのも良し、殴り掛かるのも良し、好きにすれば良い。だが、お前達には、私が受けた痛みの十倍の痛みを返すことにしよう」


 この言葉に偽りは無い。バエルは敵対する少年たちの攻撃を全て受け入れる体勢に整えた。両手を大きく広げ、「さぁ、来い」と余裕の言動を示す。


「舐めてんなぁ」

「なんだコイツ」


 不良少年達も黙ってはいなかった。数の勢いに任せた威圧的言動が、徐々に

憤りへと変化していく様子が表情でわかる。眉間に皺を寄せ、歯をむき出しにし、凶器を握った手を頭上にかかげる。


 金属バットを持った不良少年がバエルの背後をとった。彼は無言で、そのままバットを悪魔の後頭部に振り下ろした。


 ゴンッ、と鈍い音が響く。不良少年は殴った反動でやや後ずさりをするも、目だけはバエルを捉えていた。


「…………なんだ?」


 殴られたはずのバエルは、しかし首を傾げたまま特に何の反応も示さなかった。


 決して痛がる素振りを見せない。

 金属バットを振り下ろした少年は一瞬唖然とする。本人だけがわかる、理解不能な現状。彼は怒りに身を任せ、手加減をすることなく金属バットを振った。その時、死んでもかまわないという衝動的殺意があったに違いない。故に、その怒りに任せた攻撃が確実に命中したにもかかわらず――リーゼントヘアの男は、平然と二本足で立っているではないか。


 挙句の果てに、リーゼントの男はこちらへ無表情の顔を向け、


「……殴ったのか?」

 と尋ねてきた。


 このやり取りで、周囲の不良少年達は慄然した。たった一回の出来事だが、しかし恐怖心を生むには充分すぎるものである。


 ただ、一人の少年はその恐怖心に呑まれた結果、半ば自暴自棄になったのか、片手のナイフを振り回しながらバエルへと駆け寄ってきた。


 バエルは瞬時に少年の方へ目を向け、そのままナイフを握る片手を素早く握り取っては勢い良く投げ飛ばした。


 壁に激突した少年は、負ったダメージにより手からナイフを離し、そのまま気絶した。


「……なんだよ」


 不良少年の一人がポツリと呟いた。震えた声色。小刻みに揺れる身体。激しい動揺を隠せない。


 バエルは周囲をぐるりと見渡すと、目の色を赤く光らせ、全てに殺意を向けた。


「身の程を知れ…………」


 その時、誰もが戦慄し、そして絶望した。

 厳密に言えば、この時バエルは恐怖心の植え付けを能動的に成した。魔力を持たない人間には一切の耐性が無いため、殺意や怒りといった負の感情を増幅させ外界に放つことで、魔力のない人間はほとんどが気圧されて戦意を失う。


 これを「おそれ」と言う。バエルに限らず、悪魔たちの初歩的な業の一つだ。


 だが、「おそれ」には弱点がある。此の業は対象者に恐怖心を植え付けることを基本としているが、相手が何者にも恐怖しない場合、あるいは魔力の耐性をある程度備えている者には効果が無い。そして、恐怖心を植え付ける余地がない場合も「おそれ」は意味をなさない。


 例えば現に、非現実的な存在を目の当たりにしたことで半狂乱に陥った一人の不良少年は、「おそれ」を感じる前に自我を失っているため、バエルの圧に一切反応を示していなかった。


「…………あ、ああ……あ」


 男は金属バットを握り、呻きながらバエルに近づいていく。その目は焦点が定まっておらず、足取りもみだれていた。


「やれやれ……」


 バエルは狂いかけの男を見据えながら、頭を抱えた。


「面倒だ……」


 バエル自身、人間相手に本気を出そうとは微塵も考えていない。また、相手にする価値もないと判断している。故に、対する不良少年達とこれ以上関わるのは非常に都合が悪い。暴力的に目立った言動を取ると、潜入という意味を失ってしまう。

 渋々バエルは攻撃に出ることにした。片手を前に出し、何かを放とうと力を込めた――その時、


「バエル様ッッ!!」


 甲高い悲鳴にも似た男の声がバエルの頭上から響いてきた。どうやら聞き慣れた声である……バエルは「む?」とその正体を探るべくすぐさま上を向いた。


 案の定、ソロモン七二柱序列二位の悪魔・アガレスが険しい顔と共に地上へ降りてきた。


「アガレス……!?」


 姿をハッキリと視認し驚愕するバエルを他所に、アガレスは彼の前に立つと、それを囲む不良少年たちに即座に攻撃を仕掛けた。


 アガレスの瞳が青色に輝き出す。そして、一人ひとりをしっかりと見据えていく。

 これはアガレスの得意とする「強制硬直きょうせいこうちょく」と呼ばれる瞳から発する魔術の一種である。アガレスの輝く目に捉えられた者は、身体がこわばり動くことが不可能になる。


 これにより不良少年達は皆自由を失い、ある者は直立不動、ある者は立ち上がる直前に硬直している。


「クズ共……お前達が相手にしているお方は、ソロモン七二ななふた――」


「待てアガレス」


 アガレスの言葉を慌てて遮るように彼の肩に手を置くバエル。


「迂闊に正体を喋るんじゃない」


 と、小声で語るバエルに対し、アガレスはハッとして「すみません!」と何度も頭を下げた。


 強制硬直状態の少年たちは為す術も無く、ただただ固定された視界で物を見るばかり。


 バエルはそれらに目を向けることなく、アガレスに、


「とりあえずここを去るぞ。あまり目立った行動はしたくないのでな」


 と、路地裏をすぐさま出るよう足を運んだ。


「わかりました」


 アガレスもすぐさま後を追う。


 路地裏を出て、次の行き先を決め兼ねていたバエルにアガレスが提案する。


「人払いを施した住処がありますが……?」


「そうか。では、そこに向かうとしよう」


 バエルは頷いたものの、少し納得のいかない表情であった。


「ところでアガレス…………何故、此処にいる?」


 冷淡に問いかけるバエルを、アガレスはまじまじと見つめていた。その声色から察するに、少々の怒りを含んでいるに違いないとアガレスは勝手に判断していたのだ。


 そんな時、彼らの頭上から何かが翼を羽ばたかせながら降り立ってきた。


 グラシャラボラスだ。両腕から生やした翼を用いて空を自由に飛べる能力を持つ。


 彼女は翼を閉じては、


「ワタシはちゃんと注意したもん。バエル様絶対怒るから、ひっそり隠れていようって。人間相手にバエル様が負けるわけないのに、アガレス様慌てふためくばかりで聞く耳持たずだったし……」


 と、アガレスに半開きの目を向けた。


「い、いや……これは……その……」


 たじろぐアガレスにバエルは言及する。


「何か理由があって来たのだろうな? 伝えたい事があるのならば、渡した通信機を使えば良いはずだが」


「……つ、通信機を用いても尚、事態は芳しくない方向へ傾くと判断したため、こうして直接参上した次第でございます……。バエル様、事は急を要するものであります」


 跪くアガレスに、バエルは問いかける。


「何だ? 何か起こったのか?」


「バエル様の後を追うように、天使が人間界に向かったのです」


 バエルは目を大きく見開いた。


「……それは本当か?」


 と尋ねるバエルに、グラシャラボラスが応えた。


「本当です。エリゴル様が見たとおっしゃってます」


「……そうか。エリゴルが言うのであれば間違いない。……ふむ、天使か。可能性としては存在していた。天使が追ってくるかもしれないという予測はしてはいたが、こんなにも早いとは思わなんだ」


 アガレスは立ち上がって述べる。


「そうなると、天界の者共も我々同様に、レイラインを監視する技術を得ているということになります。バエル様だけでなく、私とグラシャラボラスも向かったとなると、向こうも動きを変えてくるに違いありません」


「そう分かっておきながら、お前は此処に飛んできたのか?」


「恐れながら申し上げますと、天使の連中がどういった力を持っているのか、またどのような勢力を引き連れているのかも定かではない状況で、通信機のやり取りだけではあまりに不安でしょうがなく…………、ええ、私のわがままです。バエル様に傷一つ付かぬようにお護りしたい一心でした……」


 頭を下げるアガレスの肩に、バエルはそっと手を添えた。


「良い。頭を上げろ」


「…………」


「アガレス、人間界に来た以上、派手な行動は慎め。グラシャラボラス、お前もだ」


「御意」


 アガレスとグラシャラボラスは同時に頷いた。

 バエルは一歩踏み出して言う。


「詳しい話は、アガレスが用意した場所ですることにしよう。では、案内してくれ」

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