第9話

 ミカエルの握るクリスタルが異常に輝き始めた時、彼女は清潤高校の正門前に居た。


「間違いない。此処だ」


 彼女は確信した。そびえ立つ校舎をぎろりと見つめながら、そこに悪魔バエルが潜んでいると判断したのだ。

 クリスタルの輝きはしばらくすると消えていった。その事実をミカエルは気づいていない。

 ミカエルはこのまま乗り込むつもりでいた。太陽剣こそ構えてはないが、それでも戦闘態勢のつもりか拳をぎゅっと握り締めていた。


 しかし、怒気に満ちた彼女の表情を掻き消す者が現れた。


「ちょっとキミ」


 ミカエルの横で声を掛けてきたのは、周辺をパトロールしている警察官だった。お巡りさんは怪訝な顔を浮かべつつ、派手な格好をするミカエルの肩をとんと叩いた。


「ちょっと、いいかなキミ。ちょっとだけ、話聞きたいんだけど」


「なんだ?」


 唐突に肩を触れられたミカエルは、即座に振り向いてその警察官を視認する。


「……何者だ?」


 ぱっと見たところで、彼が悪魔の類ではないとすぐに判断した。魔力が一切感じられなかったからだ。しかし、先程の携帯電話が呪具ではないかという疑念が頭の片隅にある故、彼が装う道具の一つ一つに懸念を抱いていた。


「キミね、ちょっと苦情が来てるんだよ。キミだよね? あのー……、わかるよね? キミほら、男の人の携帯電話、盗ったんでしょ?」


「何の話だ?」


 ミカエルは警察官の手を払い除けた。


「携帯電話だよ。わかるでしょ? さっき男の人から奪い取ったでしょ?」


 語気を強める警察官の言葉に、ミカエルはようやく全体を把握した。


「ああ、もしや……」

 と、彼女は懐におさめていた携帯電話を取り出し、それを警察官の顔に突き出した。


「この呪具のことを言っているのか? 貴様、これが何か知っているのか?」


 その威圧的な態度に、警察官は首を傾げつつも更に声を荒げて返す。


「あのねぇ、キミ、いくら盗撮されたからって勝手に奪い取っちゃダメでしょ? ちゃんと警察に通報してくれないと困るんだよねぇ」


 警察官は少しばかり誤解しているようであったが、ミカエルがそれを訂正するわけもない。お互いがどこか勘違いしているのだから。


「心外だな。これが呪具であれば奪い取るのも当然だろう? それとも貴様は、得体の知れない何かに抗うことなく付き従える勇気があるか? 小心者の私にはそれはない。故に抗う。故に、奪い取ったまでだ」


 ミカエルは携帯電話をまじまじと見つめた。


「で、これは何だ? 貴様は何か知っているのか?」


「……キミ、おちょくるのもいい加減にしたほうがいいよ?」


「おちょくってなどいない。これは呪具なのか? あるいは別種の何かか? 私は何も知らない。貴様が何か知っているのであれば、ぜひ、教えてもらいたい」


 ミカエルは素直な反応を示しているに過ぎない。

 しかし警察官にとって、彼女はコスプレイヤーの類だと判断されつつ、更には少々困った人格を有した人物なのか、もしくは警察を茶化している愚か者と捉えられている。


「ちょっと交番まで来てもらえるかな。付いてきて」


 警察官はミカエルに「来い」と手を振って、付いてくるよう促したが、ミカエルはその場を一切動かなかった。


「ちょっと待て」


 逆にミカエルが警察官を制止した。


「私の質問に答えてもらおうか」


 ミカエルがそう言うと、警察官はとうとう堪忍袋の緒が切れたのか、鬼のような形相で彼女に怒鳴った。


「いい加減にしろ! 警察舐めてんのかお前!」


 その怒声に対し、ミカエルは動揺しなかった。只々彼の憤りを受け止めるだけで、しっかりと顔を見据えていた。


 しかし彼女は次第に眉間に皺を寄せ始め、


「おい、貴様、もう一度聞く。これは、何だ? 詳しく説明してくれ」

 と、携帯電話を頭上に掲げた。


 だが警察官は聞く耳を持たず、


「いいから来い!」


 と彼女の手を強く握り引っ張ろうとした。


 しかし、ミカエルはその場を一ミリも離れることはなかった。じっとその場に立ち止まる彼女に対し、警察官は思わず声をあげた。


「え?」


 力強く引っ張ってもなお動じない彼女に、警察官は冷や汗をかいた。


 ミカエルは携帯電話をふところにしまうと、やがて右手を胸の前に構えた。


 彼女の手の内から光が生まれ、それは剣の形を成した。――太陽剣が顕現すると、彼女はその柄をぎゅっと握り、剣先を警察官の顔に突き出した。


「――ぅッ」


 突然現れた黄金に輝く剣を前に警察官は萎縮せざるを得なかった。殊更ファンタジックなそれが眩しいほどに輝いているので動揺を隠せない。


 しかし、次第に彼は落ち着きを見せ始めた。否、のだ。


「…………あれ」


 気の抜けた顔を見せる警察官。全身が脱力し、残ったものは安心感と――眼前に立つミカエルへの信頼感であった。


「……うむ」


 ミカエルは太陽剣と天使の力を用いて、警察官を疑似的なマインドコントロールに掛けた。厳密には、負の感情を一時的に抑圧し、安らぎを与えつつ、自身が絶対的信頼のおける人物であると錯覚させているに過ぎない。


 この状態に掛かった者はミカエルの言うことに度の過ぎてない限りは全て頷く。しかし、あくまでも人間界に存在する魔力への耐性を有さない者だけであり、天界や魔界といった魔力を持つ生命体には効果が無い。


「どうだ。落ち着いたか?」


「……ええ」


 ほうけた顔を見せる警察官は、だらっとした姿勢でいた。


「私は敵ではない。安心しろ。少しばかり聞きたいことがあるだけだ」


「わかりました……」


 ミカエルの握る太陽剣が徐々に消えていく。その間に彼女はいくつかの質問を投げかけた。


 携帯電話についてや、その他の事を聞いていく中、彼女が最も真剣な表情で問いかけたものは、


「学校に行くにはどうすればいい? できれば……目立たないように」



◆◆◆



 清潤高校一年三組の編入生はルーザーズの烙印を押された。

 だが、当の本人である馬場得太郎ことバエルは気にも留めていない。というより、その枠に収まっている事実を認識していない。

 午後の授業を終えた彼は、事前に予習しておいた高等学校の必要最低限の知識が功を奏したことに安堵していた。

 じっと居座ったままでいるバエルの姿を、隣の席の橋本愛華は横目でチラッと見る。


 帰り支度をしている彼女は何気なく、


「もう放課後だよ。帰らないの?」


 と、じっとしているバエルに話しかけた。


「そうか。もう終わりなのか」


 適当に返すバエルはゆっくりと席を立った。


「橋本」


「なに?」


「少し、話があるのだが、良いか?」


 バエルの突然の提案に対し、橋本は少し戸惑った様子を見せる。

「い、良いけど……」



 バエルと橋本は校舎裏の中庭に居た。

 夕日が校舎の間に差し込んでいる。その日陰に入り込んだ二人は、なにか話していた。


「お前について、少々調べた。休み時間にな」


 腕を組んだ状態で話しかけるバエル。対して橋本は、彼の言葉を耳にした途端ぼうっとしていた顔つきが真剣なものへと豹変した。


「……調べた?」


 聞き返す橋本にバエルはゆっくりと頷く。


「アタシの何を調べたの? 秘密にしてることなんて無いけど?」


 肩に掛けていた鞄を掛け直す。


「スクールカースト制度――清潤高校に存在する生徒間の階級制度。お前はその中でルーザーズに位置する。厳密には〈ターゲット〉と称される、全体の被虐者だな?」

 問いかけるように話すバエルだが、しかし橋本は虚空を見つめるだけで返事は無い。


「ターゲットは、イジメという集団暴行あるいは少数のグループ、もしくは個人による肉体的精神的な差別や暴行、嫌がらせを受ける者の呼称。このスクールカースト制度の中でも最も残酷なポジションらしいな。お前はそのターゲット……何故か? 理由も無しに被虐者に陥る訳がない。だから調べた。どうやらお前は――」


「あー、はいはい、わかった」


 橋本は言葉を遮るように手を振った。


 バエルの顔を睨むように見つめる橋本。


「二年の先輩の告白を断ったから。これが原因。以上!」


「…………ああ、そうらしいな」


 橋本自身が真実を口にしたことに、バエルは少々驚いていた。


「全体像は把握したが、細かな点は正直理解できない。私には、告白や恋愛、付き合う、といった概念がうまく把握出来ないのでな。これから学ぶことにしよう」


「どうぞどうぞ学んでくださいな。で、話ってこれ? アタシがターゲットになった理由を確認したかっただけ?」


「いいや。提案だ。否、厳密には協定というべきか」


「……どういうこと?」


 橋本は目を細めた。


「橋本、昼休みにも言ったが、お前はこのスクールカーストという制度に不満は無いか?」


 バエルは冷淡に問いかける。


「…………無いわけない」


「ふむ。ではその反骨精神を第一信条にすべきだ。共に、スクールカースト制度などという悪習に立ち向かおうではないか……!」


 バエルは大袈裟に両手を広げた。歓迎するぞ、と言わんばかりの様子だが、橋本は呆れた顔でそれを眺めていた。


「だからさぁ……アンタほんと分かってないんだって。こっちもいい加減疲れてきたよ」


「立ち向かう意志が湧いてないだけだろう」


「いいや、馬場君、馬場得太郎君――」


 橋本はわざとらしくフルネームに言い換えて、


「――アンタももう、立派なルーザーズなんだよ」


 と、その告白はやけに冷たいものであった。橋本は敢えて冷たく言い放ったのだろう。この事実があまりに受け入れ難く、この先の困難を見据えているようでもあった。


 だがバエルは、「はあ?」と言わんばかりに首を傾げるばかりである。


「……って、アンタ理解してる? ルーザーズだよ? アンタはもうルーザーズなの!」


「誰がいつそう決めたのだ?」


「誰って……そりゃ皆が決めたんだよ」


「皆? 皆とはすなわち、清潤高校の生徒を意味するのか?」


「そうだよ……。個々の生徒の階級は生徒間の雰囲気とか、空気? みたいなものでいつの間にか決まってるのよ。皆が『あいつはギークだな』って思ったらそうなる。で、アンタは多分……アウトローよ」


「アウトロー……」


「アンタみたいにリーゼント頭してたり、不良みたいな格好してる人、もしくは非行に走ってる人なんかは皆アウトローって呼ばれてる。頭の善し悪しに関係無くね。まあ、アンタの場合見た目で一発アウトロー行きだけど」


「……不愉快、とも思えんな」


「強がってるんだよ」


「否、なんとも思わんのだ。橋本、お前は蟻に優劣を決められても憤りを覚えるか? 蟻がお前の不満点を述べ始めてもどうも思わんだろう? 所詮蟻だ。踏み潰せば終いなのだからな」


「……例えが意味不明だけど」


「まあ、要するに、私がルーザーズだろうがアウトローだろうが、あるいはウィナーズであっても、別にどうでも良いことなのだ。たかが子供の分際で、階級制度などという大袈裟なルールを敷いている事自体、私はあざ笑う他ないと思うがな」


 バエルの自信満々な態度に橋本は呆れっぱなしであった。彼が本意で言っているのは間違いないだろう。しかしここまで来ると現実逃避しているだけなのでは? とも思いかねない。あるいは、未だ制度の事を完全に把握できていないだけなのかもしれない。


「アンタの席に虫の死骸を置いたのは、多分うちのクラスのクイーン、柳原留依だよ」


「ほう。それは興味深い話だ」


 バエルは関心しつつ耳を傾けた。


「柳原留依は一年三組のクイーン。昼休みにアンタと一戦交えた女子は上原弓子。あいつは柳原のサイドキックスで、まあ要するに子分ね。柳原は三組の生徒のほとんどを手中に収めてるの。見た目可愛いし、頭も良いから、男子には人気で女子にはカリスマ性を発揮してるって感じ。だからあいつの命令には絶対服従。おそらく、アンタの席に死骸を置くよう指示したのは柳原で間違いない。指示された生徒は……何故かアンタがすぐに見抜いてたけど……」


「敵意と恐怖心が異常に感じられた。まあ敵意に関してはその柳原というクイーンがずば抜けてはいたが」


「それでわかったでしょ? アンタは三組ほぼ全てを敵に回したのよ」


「それはお前も同じだろう?」


 バエルが問いかけると、橋本は一瞬動揺しつつも、


「ま、まあね」と応えた。


 その、少し寂しげにも見えるが、悲しみにも満ちている表情を、バエルは見逃さなかった。彼女が精神的な苦痛を受けているのは間違いない。


「アタシだってどうだっていいと思ってる。嫌がらせなんて蚊に刺された程度のことだしね。いざとなったら警察にでも通報してやるし」


 強がりを見せる橋本。


「アンタの言う通り、たかが生徒が考えた変なルールに過ぎない。スクールカーストなんて、他所からすればただの御飯事なんだし。あと二年乗り切れば、その後は自由になれる」


「その二年を耐え忍ぶだけの時間にするのか?」


「そうよ」


 橋本は目を開いてみせた。


「耐えるだけ」


「抗う意志はないと?」


「だからね馬場君、抗うって考えがおかしいんだってば」


 橋本は額に手を添えた、熱のこもった頭を冷やさんとばかりに。


「何に抗うの? スクールカースト? それとも生徒? ジョックやクイーンに文句でも言うわけ? 結果は変わらないわ。アタシ達をルーザーズたらしめてるのは、アタシ達自身、生徒そのものなの。反逆行為なんてものは、かえって自分の首を締めるだけ」


 橋本がそう言うと、バエルは「ふむ」と顎に手を当てて思考を働かせた。


「つまり、スクールカーストに弱点は無い、と?」


「弱点、まあ、そうね、無い。……ウィナーズからルーザーズに転落することは多々あるけど、ルーザーズがウィナーズになるのは滅多に無い。というか、アンタはウィナーズになりたいの? ジョックになりたい?」


 彼女が問いかけるとバエルはまさか、と鼻で笑った。


「どうでもいいと言ったろう」


「じゃあ、アンタの言う抗うって、具体的にはどうするわけ?」


 バエルは拳を胸の前に掲げ、それを力強く握り締めた。


「私達を愚弄する輩を、一人ずつ潰していくのだ」


「……暴力?」


 げんなりとした顔で聞き出す橋本に、バエルはニヤリと笑ってみせた。


「否、その者が最も苦痛であることをすれば良い」


 バエルの解答に橋本は肩をがくんと落とし、わざとらしく溜息を大きく吐いた。それからゆっくりと彼に背を向け、さようならと手を振った。


「それなら一人でやってくださいな」


「お前は延々と耐え忍ぶだけか?」


 遠ざかっていく橋本の背中に言葉を放つバエル。

 橋本はしばらく返事をしなかった。彼と彼女の距離が二〇メートル程開いたところで、


「じゃあ試しに抗ってみれば? それはつまり全校生徒の九割を敵にするってことだからね」


 と、振り向くことなく応えた。

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