第4話

 人間界――日本。


 都内某所に位置する私立清潤せいじゅん高校には暗黙のルールが存在する。

 それは生徒間で構築されたスクールカースト制度、いわば格付けだ。


 清潤高校の生徒一人ひとりに、個々に見合った格付けが成される。生徒の人気が高ければ高いほどその序列での地位は高くなり、逆に不人気であれば差別を受ける負け犬の扱いをされる。


 何を基準にして格付けされているのか。

 細かく言えば容姿や恋愛経験、スポーツや勉強、趣味といった様々な要因が付いて来るが、それら全てを総合した結果ポジティブな印象を持たれる人物は上位の存在・ウィナーズとなり、あるいは間抜けであったり不良であったり被虐者であれば下位の存在・ルーザーズとなる。


 男女ともにこの階級制度は存在するが、一部、男子と女子でその呼び名が違っている。


 ウィナーズと呼ばれる上位の生徒達の各々の階級は以下の通りだ。


 序列一位〈ジョック〉――男子の中でも一際人気者で、同性異性問わず好かれているキャラクターであり、容姿が優れていたり運動神経が抜群であったりと、言わばエリート的才能を備えつつ、カリスマ性を発揮する人物が多い。

 女性の場合はジョックではなく〈クイーン〉と呼ばれ、男子同様に、所謂美女あるいは美少女と呼べる容貌の持ち主がその地位に多い。


 序列二位〈プリーザー〉――ジョックの取り巻きであり、日常的にジョックの側で過ごしている。基本的にはジョックと仲の良い友人がその地位に居座る事が多く、例外としては新たなジョック候補として徐々に地位を挙げている下克上のスタンスを持った人物も居る。

 女性の場合は〈サイドキックス〉と呼ばれ、プリーザー同様にクイーンの取り巻きである。だが男子と違い、その数が多く、一人のクイーンに三〇人のサイドキックスがいるケースもある。


 序列三位〈プレップス〉――一言で表すなら金持ちである。セレブの立ち位置であり、個人のステータスが下位にふさわしくても金さえあればこの階級に留まることが出来る。しかしプリーザーやジョックとの差は大きく、彼らにとっては都合のいい財布という印象であろう。


 序列四位〈メッセンジャー〉――ウィナーズの中で最も地位の低い存在。簡潔に説明するならばウィナーズのパシリである。個人の総合ステータスが普通かそれ以上といった具合の生徒が此処に落ち着く。ルーザーズではないため、学校では最低限の生活が約束されている。


 ウィナーズはその地位と権力によってルーザーズをこき使う場面も多く、場合によっては教職員より強い立場に居座る。


 下位の存在・ルーザーズは上位の生徒たちにとって負け犬の烙印を押された存在と見なされ、時に奴隷的な扱いを、時に除け者にされ、時にイジメの標的ともなり、その存在は言わばウィナーズの玩具と言っても過言ではない。


 一般的に馬鹿で間抜けな人物であると断定されれば〈スラッカー〉となる。


 馬鹿ではないものの、普通の人とは少しズレた奇人変人の類は〈フリーク〉。


 所謂、オタク的趣味を持つ人物は〈ギーク〉と呼ばれる。


 学業は優秀ではあるが勉強するばかりで他が劣っているガリ勉を〈ブレイン〉。


 イジメの標的となった人物を〈ターゲット〉と呼び、上位下位問わずイジメを受ける。


 他にも、世間的にヤンキーと揶揄される人物を〈アウトロー〉、学校に通わない不登校生徒や日常的に保健室に通う生徒などを〈フローター〉と呼んでいる。


 これらは全てルーザーズであり、この階級に格付されたもの達は基本的に蔑まされながら学校生活に勤しんでいるのだ。彼らの中に序列は存在せず、ルーザーズはひとえに全てが負け犬とされている。


 この階級制度はクラスごと、もしくは学年ごとに、と様々な場面で用いられており、基本的に一クラスにジョックが一人、クイーンが一人、といった具合である。一学年六クラスの清潤高校なので、例えば一年生にはジョックとクイーンがそれぞれ六名ずつ、計一二名居るということになる。


 その中でも優れた人物が学年の中のジョック、クイーン、となり、学年女王、学年王といった呼び名が通っている。


 基本的に年功序列であるため、三年生が最も地位が高く、次に二年生、一年生といった次第だが、あくまでウィナーズだけの話であり、ルーザーズとなると年齢による差異は一切発生しない。


 では、学校全体の王、あるいは女王は誰になるのか?


 それは――学校全体の頂点は生徒会長である。これはジョックやクイーンとは全くの別種で、それらよりも上の存在と認定されている。生徒会長は最早学校の王であり、生徒会長の権限が何よりも強い。生徒会選挙によって選ばれる役職故に、全校生徒からの支持を得なければ成れない存在。よってその人物は圧倒的なカリスマ性を備えていることがほとんどである。

 続いて副生徒会長、書記長、会計、といった生徒会の他の役職もウィナーズの階級より上の身分である。


 ちなみに、学校全体のジョックは〈プリンス〉、クイーンは〈プリンセス〉という異名を持つが、その権威は基本的にジョックやクイーンと何ら変わりない。

 こうしたスクールカースト制度が敷かれた清潤高校には、異様な雰囲気が常に漂っている。


 それは下克上の精神に基づくものだ。

 ウィナーズもルーザーズも、決して永遠に固定された地位ではない。いつ何時、何かが起き、それにより負け犬に陥落することもあれば、逆に王座にのし上がる事も可能なのだ。


 そういったシステムが構築されている故に、生徒同士の醜い争いが連日あとを絶たないのだ――。



◆◆◆



 六月二六日、月曜日、清潤高校一年三組の教室――

 茶髪に染めたセミロングヘア、片耳にイヤリング、ナチュラルメイクに淡いピンクの口紅、美少女を体現化した容貌の持ち主である橋本愛華は、教室の隅にある自身の席で昼食を取っていた。コンビニで買ってきたサンドウィッチを頬張っている所に、四人の女子生徒が歩み寄ってきた。


 その内の一人、サイドアップの髪型をした上原弓子は、橋本の机のサンドウィッチを手で払ってはどんと机に手を置いた。


「愛華ちゃん、ちょっとジュース買ってきてよ」


 上原の口角は緩んでいた。しかしどことなく嘲笑の意志が感じられる。

 側に立つ他の三人も同様だった。

 彼女たちはサイドキックスだ。一年三組のクイーン・柳原留依の忠実な下僕である。


「…………」


 橋本はしばらく黙っていた。口の中のサンドウィッチを呑み込むと、物言いたげな目を彼女たちに向けた。


「……聞いてるの?」


 上原は眉に皺を寄せた。


「……はいはい、分かりました」


 橋本は席を立つと、彼女たちの顔を見ずにそのまま教室の出入り口へ向かおうとした。


「あ」

 と彼女は何か思い出したのか、不意に足を止めて上原に視線を向けた。


「お金、まだもらってないんだけど」


 橋本は掌を差し出したが、上原は鼻で笑った。


「え? お金?」


 上原はわざとらしく首を傾げ、そばにいる彼女の仲間たちも同調した。くすくすと蔑み笑う様子を見て、橋本は焦燥感に駆られた。


「…………」


 怪訝な顔で沈黙を示す橋本に対し、上原はせせら笑いながら応えた。


「お金なら、あるでしょ、ほら」

 と、彼女は橋本の懐にしまってある財布を指し示した。


 橋本は黙ったまま、じっと上原を睨んだ。その視界の端で、栗色のショートボブの女子生徒――上原のクイーン・柳原留依が足を組んでこちらの様子を伺っているのが確認出来た。


 橋本は反抗心を露わにしようと口を開きかけた――が、彼女はそれが無意味なものだと瞬時に判断し、溜息を漏らした。


「はいはい」


 肩を落とす橋本に、上原達は「よろしくねー」と冷笑する。


 橋本は視線を横に向け、クイーン・柳原留依もまた意地悪な笑みを浮かべていることに対し舌打ちをした。


 教室を出た橋本は五歩程歩いた所で「死ねカス」と誰にも聞かれない程の声量で不満を口にした。


 廊下を行き交う他の生徒達は、橋本を見るやいなや冷たい微笑みを浮かべる。

 彼女はそれを視認していたが、敢えて反応することなく淡々とした足取りで売店へと向かっていった。


 橋本愛華はルーザーズの〈ターゲット〉である。



 清潤高校の売店のすぐ横に自動販売機が三つ設置されてある。

 その内の一つの前で財布を片手に、唇を噛み締めつつ立ち尽くす女子生徒、橋本愛華が居た。


(そういえば……どのジュース買えば良いのか聞いてない)


 適当に炭酸飲料でも買おうと判断した橋本は自腹で四本のジュースを購入。ついでに、と自分の分も一本買った。


 近くのテーブルに五本のペットボトルを置いた橋本は、これを一人で持ち歩く事が少しばかり困難であることを今しがた知る。


「…………どうしよ」


 頭を抱える橋本は、無理矢理持てないだろうかと試行錯誤し始めた。脇にそれらを挟めばなんとかなるが、如何せん恥ずかしい格好なのですぐに諦めた。


「どれ、私が持ってやろう」


 悩み苦しむ橋本の耳に、男の声が届いた。


「え?」


 反射的に声のする方へ顔を向ける橋本は、赤シャツに短ラン、そしてリーゼントヘアという前時代的にも思える高身長のヤンキー少年を視界に捉えた。


「うわっ」


 思わず声を出し吃驚する橋本は、手に持っていた一本のペットボトルを床に落としてしまった。


 リーゼントヘアの不良少年は転がり落ちたペットボトルを拾い上げ、


「その二本も持ってやろう」

 と橋本に手を差し伸べた。


 しかし彼女はあまりに突然な出来事に困惑する一方で、表情に変化は無いものの内心では疑念ばかり浮かんでいた。


(え、なんだ……なんだこの人。なんなの急に。……てかヤンキーだよ。この人ヤンキーだ。というよりリーゼントだよ! リーゼントの人リアルで初めて見たッ!)


 黙ったままの彼女に、リーゼントヤンキー男子生徒は首を傾げた。


「……どうした?」


「え、あ、いや」


 我に返った橋本は横に首を振った。


 改めて不良少年の姿をまじまじと見てみると、赤シャツに短ランという嫌でも目立つ格好で、尚且つリーゼントの髪型に相応しい鋭い目付きに厳つい顔――見たら一生忘れない容姿である。


 にもかかわらず、橋本は彼を初めて目にした……すなわち、入学して二ヶ月ほど経つ彼女にとって、目前の不良少年を今まで目撃しなかったことが不自然でならなかったのだ。


 この一瞬でその疑念に辿り着いたのは、彼女が頭の回転が速いといった天才的理由ではなく、あまりにも唐突で衝撃的な展開だったことで、現状においては後々考えるべきことが先に出てしまったという次第である。


 その疑心が彼女の表情を険しいものに変えた。


「…………き、急に……なに?」


 橋本は訝しげな顔で問いかけた。


「いや、一人では持ちきれないだろうと思ってな。親切心、というやつだ」


 リーゼントの男子生徒はその姿からは想像できない口調で喋る故に、橋本の懐疑心はより深まる一方だった。


(……なんなのこいつ)


 不意に一歩退いた橋本は、


「余計なお世話よ」


 と、リーゼント男が握るペットボトルを無理矢理奪い取った。


「……ほう」


 しかし不良少年は怒る素振りすら見せず、また悲しむ様子もなく、ただ何かに関心した面持ちでいた。


「ていうかいきなり何なの。アタシとアンタって知り合い? じゃないよね?」


 橋本は二本のペットボトルをテーブルに置いた。


「急に馴れ馴れしくしないでくれる? それともなに? アタシがターゲットだから? 誰かに命令された? お遊びで近づいてきたわけ?」


 対して不良少年は、腕を組んでは首を傾げ鼻で笑った。


「ふん……わあわあわあわあ喚き散らすな。さっきから何に怒っている? 私に向けてストレス発散するのならお門違いだ。なにせ私とお前は初対面だ。お前を不愉快にした覚えは無い」


「何その言い方。いきなり話しかけてきたのはそっちでしょ? 喚き散らすなって……何様なの?」


「荷物を持ってやろうか、と私は言ったまでだ。それを無下にしては急に憤るお前こそ何様だ?」


「はあー、もういい」


 橋本はわざとらしく大きなため息を吐いた。それからテーブルの五本のジュースを腕で抱え込んだ。


「あんたルーザーズでしょ? アウトローかな? そのくせにアタシをからかいに来るなんてホンット最低。ヤンキーって見た目もクズだし中身もクズね」


「…………はあ?」


 リーゼント不良少年は橋本の発した単語一つ一つが理解できずにいた。しばらくその単語の意味を考える彼であったが皆目見当もつかない。


「……フォルネウスは教えなかったな。ということは、フォルネウスも知らない人間界の何かであるに違いない」


 独り言を発する不良少年を、チラッと見る橋本。


「なにブツブツ言ってるのよ」


 とついつい突っかかってしまう。

 不良少年は「いや、なんでもない」と手を挙げて、それから再び彼女に手を差し出した。


「改めて言う。私が持ってやろう」

 不良少年は再び橋本のもつジュースを代わりに持ってあげることを口にした。


「なんなのホントに?」


 露骨に嫌悪感を露わにする橋本は、その場から立ち去ろうとした。


「まあ待て人間」


 不良少年は橋本の肩に手を置いた。


「ちょ! さわらないでよ!」


 慌てふためく橋本は不良少年の手を払おうとした際にペットボトルを二本落としてしまった。


「あーもうっ!」


 と怒りを露わにする彼女に、しかし不良少年は動じることなく床に転がった二本のジュースを拾い上げた。


「これは持っておこう。どこに運べば良い?」


 と、問いかけてくるリーゼント頭に、橋本は仏頂面を向けた。


「…………はあ」


 橋本は根気負けしたと言わんばかりに溜息を吐いた。


(まあ、適当に付き合っとけば満足して消えてくれるでしょ)


 橋本は自身がからかわれていると思っているのだ。


 自分が被虐者〈ターゲット〉であることを理由に、きっとこの男は馬鹿にしているに違いない、と半ば被害妄想じみた考えを抱いていた。


 故に少々ヒステリックとも取れる言動を取っていたのだ。これは彼女の現在の境遇からすれば致し方ない部分ではあるが、しかし相手からすれば何のことだかさっぱり、何故怒りに満ちているのか解らないだろう。


 それもそのはず、このリーゼント男――


「アタシのクラスまで来て」


「わかった」


 ――ソロモン七二柱が序列一位、バエルが化けた人間である。

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