第2話

 悪魔の住む世界・魔界の中枢を担うのがソロモン王率いるソロモン七二柱だ。彼らは各々の個性と才能によってソロモンに選ばれ、王の護衛も兼ねて魔界の勢力拡大と他の並行世界をいつか征服するという野望を果たさんが為に、しかしそれといって何か努めているわけでもなく、ただ巨大な城で自由気ままに生活していた。


 七二の悪魔にはそれぞれ自室が用意されている。悪魔は群れをなすことをあまり良しとしない。彼らは己の力が最高の地位に座しているという誇りを胸に、何時しか序列一位の座に君臨せんと下克上の精神を隠し持っている故に、各々独自の、外界からの干渉を受けない部屋が用意された。でなければ、ちょっとしたいざこざで悪魔同士の争いが起こりうる危険性があるからだ。


 だが、一方でソロモン七二柱には一人を覗いて共通する懸念を抱いている。それは、序列一位に座す悪魔・バエルの強大な力には誰も勝てないという事実だ。序列二位のアガレスは、バエルの次に強いと番付された存在だが、彼自身が――一位と二位の差は雲泥である――と語っているのだ。アガレスはバエルに最も近い存在故に、一位の実力を直視した故に、下克上の精神などとうの昔に投げ捨て、今となっては最も忠実な部下となっている。その為、アガレスより以下の悪魔たちも、一位のバエルに対して反抗の意志を示すことはまず無い。何故ならそれは自殺志願と何ら変わりない行為だと認識しているからだ。


 七二の悪魔の自室が並ぶ廊下にバエルは居た。

 彼はある悪魔の自室のドアをこんこんと二回ノックした。


「はい」

 と中から出てきたのはパジャマ姿のフォルネウスだった。


「――ぅッ!?」


 彼女はバエルの姿を見るやいなや姿勢を正し、強張った表情を向けながらもしかし身体は小刻みに震えていた。


「フォルネウス」


 バエルは彼女の名を呼んだ。


「は、はい……!!」


 血の気の引いた顔を見せるフォルネウスの心臓の鼓動がドクドクと音を立てる。


「少し話がしたい。部屋に入っても良いか?」


 バエルの問いかけに、フォルネウスは反射的に、


「どうぞ!」


 と応えた――が、彼女は刹那的に自身の部屋の状況が客を招くにはあまりに汚い様子であることをすぐに思い出した。


 だがバエルは既に一歩踏み込み、彼女の部屋に入ってしまっていた。


「……うむ、少し散らかっているな」


 床には人間界の産物、漫画やアニメといったオタク的グッズは勿論、ゲーム機器やパソコンなどが至る所に散らばっていた。壁には美少女アニメのポスターが貼ってあったり、もあった。


「すみません! 今すぐ片付けますので!」


 慌てふためくフォルネウスにバエルは「構わん」と制止した。


「少し話がしたいだけだ」


「は、話とは……?」


 バエルは部屋中にある人間界のオタクグッズを眺めた。その様子を横で見るフォルネウスは、


(もしかして人間界のモノを勝手に持ち込んでることに怒ってらっしゃるのかな!? だとしたら私、殺されちゃうのかな!?)


 と、びくついていた。


「お前に、人間界の知識を少しばかり教わりたいと思ってな」


 美少女アニメポスターを凝視するバエルの言葉に、フォルネウスは一旦首を傾げた。


「……はい?」


「こんなにも人間界の道具を所有するお前なら、ある程度の知識は頭に刻まれているのだろう? フォルネウスよ」


「えと……に、人間界の知識といいますと……?」


 フォルネウスは序列一位の悪魔が何を言わんとしているのかイマイチ把握出来ていなかった故に首を傾げたままでいた。


「私はこれから人間界に赴く。……視察という目的でな」


「バエル様ご自身が人間界に行くというのですか!? しかも侵攻ではなく視察!?」


 目を大きく見開くフォルネウスにバエルは説明を施した。


「王のご指示で人間界に潜入することになったのだ。お前の、このような……娯楽的作品に興味を惹かれたらしい。人間界を滅ぼす前に、こういった向こうの世界の創造物を鑑賞したいのだろう」


「ソ、ソロモン王が……そのようなことを……!」


「人間界のことなら、私よりもお前のほうが詳しいに違いないと思ったのだ。人間界を視察する上で助言があれば是非ともご教示願いたい」


「わ、私なんかの助言など……」


 自分を卑下するフォルネウスにバエルはそれを否定するように口を開いた。


「人間界の創造物をこんなにもたくさん揃えている、ということは、フォルネウス、お前は人間界に何回も足を踏み入れているな?」


 その問いかけにフォルネウスは頭を下げながら応えた。


「えと、えと……す、すいません勝手に人間界に行って! レ、レイラインゲートでこっそり秋葉原に行って…………、その……」


「別に人間界へ勝手に行ったことを咎めるつもりはない。むしろ好都合だ。恥ずかしい話、このバエル、今まで人間界に行ったことは一度も無い身、その点で言えばフォルネウス、お前が蓄えた人間界のその知識を、是非ともこの私にも教えてもらいたいのだ。ただそれだけだ」


「ほ、本当に私なんかで良いんですか?」


 上目遣いでバエルに問いかけるフォルネウス。


「二度も言わせるな。フォルネウス、お前の知識を私に寄越せ」


 バエルがそう言うと、フォルネウスは「わ、わかりました」とか細く声を上げた。


「で、では……」


 とフォルネウスは自室の奥に設置されたコンピュータへ足を運んだ。

 マウスを手に取り、モニターに映し出された検索サイトを眺めながら、


「人間界に潜入するとなると、まずは変装しなければいけません」


 とバエルに顔を向けることなく話した。


 何故魔界に人間界のパーソナルコンピュータがあり、なおかつインターネットに繋がっているのか――その疑問の答えは、簡潔に述べると――フォルネウスの魔術によって人間界のネットワークを魔界の自室に繋げている、というお粗末な理由になる。パソコンは人間界に行った際に購入した一つだ。


 バエルは、彼女が操作する機械について無知であった。それについて質問を投げかけようとも思ったが、後々で良いだろうと内心で判断した。


「バエル様の見た目では目立ってしまいます。ので、人間の姿に化ける必要があります」


「ふむ。人間の姿か」


「私や他の悪魔の中には、比較的人間に近い容姿を有している者もいますが、バエル様は……例外ですので……」


 確かにフォルネウスの容姿は人間に近い部分が多くを占めている一方で、バエルは人間に近い体型ではあるがその見た目は禍々しい悪魔だとひと目で解るものである。そのままの姿では混乱は避けられないだろう。


「ではどういった姿に化けるべきだろうか?」


 バエルが尋ねると、フォルネウスは目を輝かせながら振り返った。


「どうせ化けるのであれば、やはり至高の存在に化けるべきでしょう!」


「し、至高の存在……?」


 フォルネウスは壁に貼ってあった横長いポスターをどんと叩いた。

 それはリーゼントヘアのヤンキー少年が仁王立ちした絵が描かれていた。『OPEN!!』と記された文字はおそらく表題だろう。


「これは私の大好きなアニメ『OPEN!!』の主人公、照井てるい灼熱しゃくねつです!」


 フォルネウスは純粋無垢な少年のごとく、屈託の無い笑顔をバエルに向けて話している。


「……そうか」


「とにかく! カッコイイんですよこの主人公! 灼熱は見た目はもろヤンキーなんですけど情に厚くて正義感に溢れてて、弱きを助け強きを挫く! って感じで! まあ世間的にはちょっと時代遅れな主人公なんですけど、そこがまた逆境に立ち向かってるって感じでイイんですよ!」


「フォ、フォルネウス、少し落ち着け……」


「リーゼントヘアってダサくね!? っていろんな人が言うんですけどそんなの関係ないんです! 男ってのは見た目じゃない! 心なんです! 心!」


「フォルネウス、わかった。お前の思いは伝わった」


「我々が蔑むべき人類の一人ではありますが、この男は下等生物の中で最も偉大な存在といえます! ので、ぜひ! このお姿に! 化けてください!」


 鼻息を荒くして要求する彼女に、バエルは少々引いていた。


「……わ、わかった」


 バエルは人間の姿に化ける点においてはどうでも良いという考えがあった。故に、フォルネウスが至高の存在と謳うアニメキャラクターに化けることに何の抵抗も無かった。


 バエルの身体がぐにゃりと歪み始めた。足元から頭に掛けて捻れていく。原型の面影が一切なくなった所で、今度は逆に捻れていった……次第にバエルの身体はポスターの照井灼熱の姿とそっくりなものとなった。


 しかしあくまでイラストの人間を真似た結果である――照井灼熱とは似ているようで似ていない人間が出来上がった。具体的には本人と比べ目が鋭かったり、眉間に皺があったり、と。


「おお……!」


 フォルネウスは瞳を輝かせた。

 バエルは身体だけでなく、照井灼熱が着用していた短ランと赤いシャツも完全にコピーしていた。


「すごいです! 完全に変化しています! さすがですバエル様!」


「これで良いのだろうか」


「ぜんっぜんオッケーです!」


「ふむ……」


 バエルは手足を眺めたり、自身のリーゼントヘアをそっと触ってみたり、と人間態に変化した自分自身に少し違和感を感じていた。


「やや気色の悪いものだな……まあ後々慣れるだろう」


 バエルの感想に聞く耳を持たないフォルネウスは、すでに次の行動に取り掛かっていた。


「潜入、潜入……潜入となると!」


 フォルネウスはパソコンの検索サイトで『高校』と入力しエンターキーを叩いた。


「やはり学園ラブコメディや青春スポ根モノの舞台……高等学校は如何でしょう!?」


「何の話だ……?」


 バエルは困惑気味に話す。


「潜入先ですよ! 潜入先! 人間界を視察する上で、一度に様々な出来事が体験出来る場所はやはり高等学校だと思うのです!」


 フォルネウスは興奮気味に語る。


「なるほど、潜入先については何も考えていなかったな……」


 バエルは納得した面持ちでいた。


「そのお姿であれば、高等学校はピッタリな場所です!」


「と、いうと?」


「バエル様が化けていらっしゃるそのお姿は、『高校生』という種族でして、その『高校生』が生活する場所が『高等学校』もしくは『高校』と呼ばれる教育施設なのです!」


「なるほど、人間界の教育施設か。ふむ、人間界の知識を学ぶという点では打ってつけの場所だな。いやはや、そこまで考えていたかフォルネウス。さすが序列三〇位、知略に長けているな」


「も、もったいないお言葉ですッ!」


 フォルネウスは「ありがとうございます!」と深く頭を下げた。


「どれ、もっと多くのことを教えてくれ」


「あいあいさー!」


 フォルネウスはそれからもバエルに様々な知識を授けていった。


 が、バエルは知る由もない。

 授かった知識は皆、偏ったものであるということを。

 所謂――アニメや漫画といった非現実的娯楽作品から発生する知識を教えてもらったということだ。



◆◆◆



 魔界、天界、冥界、人間界の四つの並行世界は一つの線によって繋がっている。この線を『レイライン』と呼び、魔界や天界などで使われる魔法や魔術といった超常的な力は、此処から発生する魔力によって成立している。故にレイラインは魔力の源とも言われ、だがその存在自体は未だ謎が多い。


 人類は未だ文明レベルがレイラインを解明出来る程度に達していない為、魔法や超能力等を用いることは出来ずにいるが、魔界や天界の住人たちは既にレイラインの研究に着手しており、ある程度の応用技術は確立している。


 中でも世界間を移動する技術に関しては、人間界を除けばどの世界も既に使用段階にある。だが下手に別の世界へ侵入することは世界間の争いを起こしかねないとの理由で各世界が自粛している傾向にある。


 魔界の王、ソロモン王は「めんどくさい」との理由で他世界の侵攻にあまり乗り気ではなく、天界の主も同様に「かったるいよね」と争いに消極的である。冥界もそれに近い理由である。


 だが人間界に対しては別だった。

 他の世界と比べあまりにひ弱な世界故に、魔界も天界もその気になれば世界征服など容易いと野望を抱いてはいるが、現時点で保たれた均衡を先に破りたくはないと皆相手の出方を待っている次第でもあった。


 しかし今回、ソロモン王の命令により人間界に潜入することになったバエルは、現状の各世界が抱える問題について懸念を抱えていた。


 レイラインゲート――と呼ばれる大きな門がある。


 ソロモン城の広大な講堂には一切の座席が無い。加えて暗黒に満ちたその空間には一本の道のみが淡い蝋燭によって照らされており、その先には高さ一〇メートルの巨大な鉄の門が立っていた。これこそが世界間を行き来する際に通る門――レイラインゲートだ。


 バエルは講堂の出入り口の前に、本来の姿で立っていた。

 その横にアガレスとグラシャラボラス、そしてフォルネウスが並んで立っている。


「お前たちにこれを渡しておく」


 バエルは加工された真っ黒な石の欠片を三つ取り出し、それらをアガレスたちに手渡した。


「これは……通信機ですか」


 バエルが渡したのは、魔力によって作動する通信機だ。


「これは普通の通信機とは違い、別世界にいる者にも通信出来るようになっている。もしも万が一、何かあったときにはこれで連絡してくれ」


「わかりました……!」


 アガレスはぎゅっとそれを握った。


「では、行ってくる」


 バエルが一歩進むと、進行を妨げるようにアガレスが口を開いた。


「ほ……本当にお一人で行かれるのですか!?」


「ワタシも行きたーい!」


 グラシャラボラスはわざとらしく大声で叫んだ。

 しかしバエルは気にも留める事なく門へと歩み続ける。


「フォルネウスもなんか言ってやりなよ。バエル様だけずるい! って」


 グラシャラボラスは自分より背の低いフォルネウスの肩を叩いた。

 フォルネウスはやや戸惑いつつも、


「わ、私は……いつでも……その……」


 と、自身が密かに人間界へ何度も行っている事を言おうか迷っていた。が、バエルがレイラインゲートに近づいた事で閉じていた門が開き、共に轟音が講堂に響き渡ったのでフォルネウスは口を閉じた。


「バエル様、本当に行ってしまわれるのですね……」


 アガレスは悲しみに満ちた表情を浮かべる。


 門の一歩手前まで来たバエルは、レイラインゲートの姿をじっと眺めている。

 門の向こうは、異次元とも呼ぶべきか、エメラルドグリーンを背景に、多彩な色の曲線が稲光のようにあらゆる箇所を走っている光景があった。これがレイラインである。あとは此処に入り、歪む異次元空間の中で人間界へ通じる門――ロスリンズゲートを潜れば良いのだ。


「私が帰ってくるまでの間、魔界を頼んだぞ」


 バエルは首を後ろに捻り、残る部下達にそう告げた。

 アガレス達は丁寧にお辞儀をし、序列一位の言葉をしっかりと胸に刻んだ。


「いざ、人間界へ」


 バエルはそう言ってレイラインへと足を踏み入れた――。

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