ブレイク・スクール・カースト

曲野

第一章 悪魔と天使が降り立つ日

第1話

 魔界――そこは悪魔が統治する並行世界の一つ。

 赤黒い溶岩が流れ落ちる先に漆黒に染まった巨大な城が堂々と建っている。悪魔の王・ソロモンが所有するソロモン城には、彼が率いる七二の悪魔たちが暮らしている。


 ソロモン七二柱ななふたばしら――彼らはそう呼ばれ、魔界の同族からも恐れられし存在である。その圧倒的悪魔力あくまりょくによって、その気になれば天界や冥界、人間界なんて直ぐにでも滅ぼすことが出来よう。


 災厄の化身達を従えるソロモン王は小太りの中年男性のような容姿をしており、禍々しく輝く紫色の王冠を被り、血で染め上げたと噂されている真紅のマントをひらりと靡かせながら、城内部のある廊下を淡々と歩いていた。


 その後ろを歩くのは彼の部下でありソロモン七二柱の序列一位に座す悪魔・バエルである。黒を基調とし赤い線が走った燕尾服を着用した身長二メートル程のバエルは、薄暗い灰色の肌をその服で覆い隠している一方で、捻れた長い角を後頭部に掛けて伸ばしたその顔は、目や鼻、口といった部位が定かではない言わばのっぺらぼうの面であり表情というものを見て取れない。


 だがバエルは王に忠実な下僕の一人であり、彼の顔が不確かなものであってもそこにはソロモン王への忠誠がしっかりと刻まれている。


「はー……気怠いわー」


 バエルと王の身長差は六〇センチといったところか。溜息混じりに倦怠感を表したソロモン王に、バエルはやや腰を屈めて言葉を返した。


「気分が優れませんか?」


「いや、なんかさー……なんかこうさ……なんかさー……暇なんだよねー」


 間延びした口調で話すソロモン王に対して、悪魔バエルは淡々と応える。


「我が王、恐れながら申し上げますと、王は暇の身であっても構わないのです。我々ソロモン七二柱の悪魔共が、王の平和を乱さぬように魂を尽くす次第故……」


「いや違うんだよバエル。お前はなー、そういう固い所が駄目なんだよ」


「申し訳ありません」


 バエルはその場に立ち止まり、跪いて頭を下げた。しかしソロモン王はそれを気にも留める事なく、ひたすら淡いランプに照らされた廊下を進むだけ。


「ワシってさ? 王じゃん? ソロモン王じゃん? なのにさーなんか王様らしいことしてないじゃん? ワシ今まで王様らしいことした? なんか言ってみてよ? ワシの武勇伝、ちょっと聞かせてよバエル」


「王は王であることで充分かと。我々にとってソロモン王は、王で有り続けることが何よりも王らしい振る舞いなのです」


「ちょっと意味わかんねーよーバエルー。はあ、やっぱワシってカリスマ性が無いんだよねー……もっとさ、冥界の王様みたいに絶対君主みたいなさ、誰からも恐れられし存在! みたいなのになりたいんだよねー……」


 ソロモン王は頭に被る王冠を手に取り、それをまじまじと見つめた。

 バエルは黙々と彼の後を追うばかりであった。

 しばらくの静寂の後、ソロモン王は突然何かを思いついた。


「あ、そうだ!」


 ソロモン王は紫色の王冠を再び被ると、満面の笑みをバエルに向けた。


「人間界滅ぼそうぜ」


 真っ白に輝く歯をちらつかせるソロモン王は続けてこう述べる。


「人間界滅ぼしてさ、ワシの知名度上げてさ、そんでもって皆から怖がられてさ、そしたらワシ、めっちゃ恐怖の大魔王ってことでカリスマ性がアップアップするんじゃない!? な? するよなバエル?」


「素晴らしいお考えであります、王。非力な人類が蔓延る人間界となれば、人類絶滅など容易い故に、私一人でも充分でございます」


「じゃー、早速今から人類絶滅してもらっていい?」


 ソロモン王の足取りに変わりは無かった。延々と続く長い廊下を歩きつづける二人の会話は末恐ろしいものであったが、これは非現実的とは言い難い。ソロモン七二柱の頂点に君臨する悪魔バエルからすれば、人間界の破滅は朝飯前なのだ。


 廊下は横一〇メートルの幅で、左右の壁に等間隔でドアが設置されている。それらは全てソロモン王が従える七二の悪魔たちの個室の玄関である。廊下が長いのは七二の悪魔の個室が並んでいるからだ。


 ソロモン王とバエルの前方で、一人の悪魔の部屋の扉が開いた。がちゃり、という音につられ、そこに目を向けた二人が見たのは――ソロモン七二柱序列三〇位のフォルネウスだった。


 水色のセミロングヘアで黒縁の眼鏡を掛けた性別雌のその悪魔は、悪魔というにはおどろおどろしさが皆無で、着用している服も少女が着そうな可愛らしいパジャマであった。


 よく見ると、彼女は両手で大量の箱を抱えていた。ソロモン王とバエルには詳細が分からなかったが、それは――日本のアニメ文化を代表する美少女アニメのブルーレイディスクのパッケージだ。


「あ」


 フォルネウスはバエルと王に見つかったことで思わず声を上げた。その拍子に両手で精一杯抱えていた大量のブルーレイディスクを床に落としてしまった。


 その中の一箱がソロモン王の足元へと転がっていった。


「……ふむ」


 ソロモン王はそれを手に取った。


「……『マジカルパニック魔法少女アイラブブラ子ちゃん!』」


 そのパッケージに描かれていたピンク色の髪をした美少女アニメキャラをまじまじと見つめ、そのアニメタイトルを声に出して読んだ。


「おおっ! 王はこの異様な文字を読めるのですね!」


 バエルは、日本語をすんなりと読めたソロモン王に感心し手を合わせた。

 その様子をじっと眺めるフォルネウスは、引きつった顔を浮かべつつ王に尋ねた。


「ソ、ソロモン王……日本語が解るのですか?」


 フォルネウスのこの質問は実にどうでも良かった。それは彼女自身が思う所である。何故なら、彼女が所有するこのブルーレイディスクは、今しがた王が滅ぼそうと考えていた人間界の産物なのだ。それを魔界の自室に隠し持っていたフォルネウスにとってこの状況は危機以外の何者でもなかった。


(……まずぅぅい! 王様に人間界のアニメグッズ持ってることバレちゃった! 殺される!? 私殺されちゃうのかな!?)


 フォルネウスは機嫌取りをしようと先程の問いかけを行ったに過ぎない。彼女の顔色は徐々に青ざめていく一方で、


 しかしソロモン王の表情は穏やかだった。

 むしろ興奮していた。


「どぅ、どぅへへへへ、何この可愛らしい女の子! なんだこの……こ、これは! パンツか!? 縞々のパンツが! これお前、丸見えじゃないか! なんだこの淫らな箱は!」


 語気を強めてはいるがそれは全て性欲に関する興奮であった。紅潮した頬を見せる王に対し、バエルは冷静に受け応えた。


「恐らくそれは人間界の道具アイテムだと思われます。フォルネウス、これはお前の所有物だな?」


 バエルの冷淡な問いかけにフォルネウスは慌てふためきつつ応えた。


「そ、そうです! これは私の……モノであります……!」


「一体どこでこんなものを手に入れたんだ?」


「こ、これは……その……こ、こっそりと人間界に行って……アキバという所で買ったもので……」


 震えた口からか細い声を発するフォルネウスに、ソロモン王が駆け寄っては彼女の両肩を掴んだ。


「な、なんだと!? これは人間界に売っているものなのか!?」


「そ、そうです! これはブルーレイと言って、アニメが収録されているもので……」


「ブルーレイ!? アニメ!? なんだその心がワクワクするような単語は!」


「そ、その箱に描かれている魔法少女ブラ子ちゃんの戦いと日常が映像として記録されているんです……」


「え、映像だと!? この縞々パンツの美少女が映っているのか!?」


「は、はい……」


「素晴らしいッッ!」


 王はフォルネウスの両肩をぐわんぐわんと振っては歓喜の声を上げた。


「バエル!」


「はっ」


「人間界滅ぼすのは一旦中止だ!」


 ソロモン王は険しい表情を示した。その意図はソロモン王の欲望に忠実なものである。険しい顔つきとは言え、その中身は魔法少女のアニメが見たいという真剣な思考のみだ。


「わかりました」


 バエルは畏まった。


 フォルネウスは何が何やら分からないまま、呆然と立ち尽くしていた。


(と、とりあえずなんとかなった……)


 ふぅ、と胸をなでおろしたフォルネウスを、バエルはぎろりと睨んだ。瞳という部位はないが、フォルネウスは彼に睨まれた事を察知し、すぐさま姿勢を整え深く頭を下げた。


「よし、決めたぞ!」


 美少女アニメのブルーレイのパッケージをまじまじと見つめながらソロモン王が口にした。


「バエル、お前今から人間界行って来い」


「――ッ」


 バエルは一瞬戸惑いを見せた。だがすぐに跪いては「承知しました」と淡々と応えた。


「良いか? お前には重大な任務を与える。まず、人間界を視察してこい。ワシ達は人間界について無知だったのだ。…………だってこんな素晴らしいモノを作る世界なんだもん! …………で、だ。ついでにこの『マジカルパニック魔法少女アイラブブラ子ちゃん!』がもっと欲しい。なあ、フォルネウス。このような代物が人間界にはまだあるんだろ?」


「え、ええ、たくさんあります……!」


「よぉーし! じゃあ決まり! バエル、みなまで言わずとも解るな?」


 美少女アニメのブルーレイを頭上に掲げるソロモン王の問いに、バエルは応えた。


「おまかせを――」



◆◆◆



 ソロモン城の最上階のその下、中央に位置する広々とした一室は悪魔バエルの書斎である。部屋の中央より少し奥に下がった位置の、真っ赤なカーペットの上に設置された焦茶色の机に座るのは勿論バエルだ。


 部屋の隅には巨大な本棚が立ち並ぶ。それらは全て魔界のあらゆる事象について記された書物で、全てバエルの所有物だ。


 一切窓の無いこの部屋、ガラス状の筒が複数天井から生え出ており、それらの中に灯された光がこの部屋を照らしていた。


 バエルは肘をつき両手を組んだ姿勢でじっとしていた。


「人間界に行ってくる」


 バエルは淡々と述べた。


「本当ですかバエル様!?」


 大きく反応を示したのは、バエルの座る机から一歩引いた位置に立つソロモン七二柱序列二位のアガレスだった。艶やかな青い髪を肩まで伸ばし、きりっとした瞳にすっとした鼻、整った顔立ちの持ち主で、灰褐色のコートに身を包んだ細身で長身の男性悪魔――彼はバエルに忠実過ぎる悪魔の一人だ。


 その一方で、アガレスの横でボーッと突っ立っているのが序列二五位の女性悪魔・グラシャラボラスだ。長身のアガレスとは対照的にその身は小柄で、幼く見える顔つきに灰色のショートヘアと、少女の容貌である。象牙色の布地を基にした軽装であるが首元に赤いマフラーを巻いている。


「ああ。王の命令だ」


 ソロモン王の指示により人間界の視察を命じられた事を、バエルはアガレスに報告しようと此処に彼を呼んだ訳だが、何故かグラシャラボラスも居る。


「それより何故グラシャラボラスが此処にいる?」


 バエルが尋ねると、口を開いたのは当人のグラシャラボラスだった。


「アガレス様が独り言で『バエル様に急に呼ばれた! 何かあるに違いない!』って言ってたから、面白そうだなって思ってついてきた」


 グラシャラボラスは顔に一切の変化を表さず、淡々と釈明した。


「わ、私はそんな大声で独り言を言ったりしないぞ!」


 少々動揺を隠しきれていないアガレスは、グラシャラボラスに指を突き立てて否定した。


「その後にアガレス様が『も、もしや、とうとう私とバエル様がひ――」


「ダアァァッ――! だ、黙れ小娘! それ以上言ったら冥界に吹き飛ばすぞ!」


 アガレスはグラシャラボラスの口を両手で押さえた。彼の頬は赤らめていた。彼の額には冷や汗がどくどくと流れているのが一目瞭然だった。


 バエルはその様子をじっと眺めてはいたがそれ以上の言及は控えた。


「まあ良い。別に誰に聞かれても構わないことだ。一応部下には報告しておくべきだと思ってお前を呼んだに過ぎない」


「し、しかしバエル様! 些か急すぎやしませんか!」


 グラシャラボラスの口を未だ押さえ続けるアガレスは、人間界へ赴く事があまりに急であることに疑問を呈した。


「ソロモン王のご意思だ」


 バエルは手短に応える。


「ですが、人間界を侵攻するとなるともう少し準備を整えてからのほうが良いのでは……?」


 アガレスが尋ねている隙に、グラシャラボラスは強引に彼の両手をはがした。小さな手で唇を拭くグラシャラボラス。


 バエルはアガレスの疑問に少し訂正を加えた。


「否、侵攻ではない。――視察だ」


 それを聞いたアガレスは数秒ほどその意味を脳内で整理した後で、


「視察!?」


 と身を乗り出して返した。


「し、視察とはどういうことです? わざわざ人間界を視察するのですか? 何の為に!? いずれ滅ぼす世界を調べたところで何の意味があるというのですか!?」


 アガレスに続いてグラシャラボラスも冷淡に述べる。


「視察なんて面倒くさいことやめて、ちゃちゃっと人類絶滅しましょうよー」


 バエルは落ち着けと言わんばかりに掌を向けた。


「王はこう言ったのだ――我々は人間界について無知である――と。敢えて王は、人間界のことわりを知ることにしたのだ。その意味が解るか?」


「……わ、わかりません」


「いずれ人間界を滅ぼすだろう。我々ソロモン七二柱の手に掛かればそれは容易いに違いない。だがいつ何時、何が起こるかは我々も予測し難い。尚更、人間界という、魔界とは違う未知の世界での活動故に、不測の事態に備える事も困難だろう。だからこそ、前もって人間界を調べ上げ、いざ侵攻を開始する際には効率よく破滅へと導く事が出来るということだ……ろう」


 バエルは自らそう語ったが、彼の脳裏には――美少女アニメのパッケージを抱え込むソロモン王の姿が浮かんでいた。


「……な、なるほど!」


 アガレスは大きく目を見開き感心を表した。


「そのような考えがあったとは……!」


「でもバエル様の力があればそんな回りくどいことしなくてもいいじゃん」


 グラシャラボラスは細めた目をバエルに向ける。


「何事においても油断をしてはならない」


 バエルは諭すように口を開く。


「確かに私の力を前にしては、抗うことすら出来ぬまま人類は簡単に滅ぶだろう。だが、敵は人間界のみにあらず。我々の敵は人類以外にも、天界の天使や冥界の死神がいる。人間界を攻めている間に他の世界の者共に襲撃されては遅いのだ。だからこそ、あらゆる物事において柔軟に対処できるよう慎重に事を進めなければならない。…………ソロモン王は、そうお考えなのだ……ろう」


 バエルはそう述べつつも――美少女アニメキャラのグッズに溺れるソロモン王の光景がちらついてしょうがない。


「あっそーですかー」


 グラシャラボラスは唇を尖らせた。


「ということで、だ。私一人で人間界に潜伏しようと思う」


 バエルがそう言うと一番に反抗の意思を示したのはアガレスだった。彼は机に身を乗せてはバエルに顔を近づけて喚き散らした。


「それはどういうことですかァッ!」


「私単独で乗り込むということだ」


「駄目です! 危険です! いくら人間界といえど、何が起こるか分からないのですよ!? 先程バエル様ご自身がそう仰っていたではありませんか!?」


「――違う」


 さっきまでとは打って変わって冷淡且つ低い声を放ったバエルに、アガレスは勿論、グラシャラボラスまでもが身を引き締めた。


「アガレス、序列二位のお前であれば言わずとも分かっていると思っていたのだがな……」


「…………」


 バエルは淡々と言葉を発してはいるが、その一語一句には憤怒とも捉えられる感情が篭っていた――と、アガレスとグラシャラボラスが勝手に感じていた。


「私が魔界を去った後で、魔界を――ソロモン王を任せられるのはお前達なんだぞ」


 バエルは、アガレスとグラシャラボラス各々に顔を向けて話した。


「……分かってくれるか?」


 バエルが問うと、グラシャラボラスは小さく「わかった」と応えた。アガレスは目に涙を浮かべながら震えた声を出す。


「バ、バエル様……! そのような慈悲深いことを……!」


「泣くな。みっともない」


 バエルは鬱陶しいと手を払うような仕草を見せた。それから席を立った彼は、続けてこう話す。


「では、早速行くとするか……」


 ソロモン王の命令は――今から人間界に行ってこい、である。


「い、今からですか!?」


 涙を手で拭うアガレスは驚いた顔を示した。


「王の命令だ」


「あまりに急過ぎる……! 準備という準備も出来ないではありませんか!」


「いいや――」


 バエルは部屋の出入り口へと歩み寄った。ドアノブに手を掛けた所で、


「人間界に詳しい者から少々知恵を授かってから行くつもりだ」


 と言って部屋を去った。


 部屋に残った二人はしばらくぼーっとしていたが、その沈黙を破ったのはグラシャラボラスの妬みだった。


「いいなー、ワタシも人間界に行ってめちゃくちゃやりたいのに」


「……バエル様」


 グラシャラボラスは破壊衝動の欲を満たしたくてしょうがないようであった。

 アガレスは未だバエルに心配の念を抱いていたのだった……。

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