第36話 望み






 教会の方にだけ行っておきたいと、私にとっては長くキアラン様に『誤魔化し』を任せていた教会に行くことにした。

 キアラン様曰く、実は教会の誤魔化しをしてくださっていたのは運命の女神様で、短い関係なら関係で結ばれるかもしれなかった『糸』を一時的に切っていたとか何とか。

 短い間とはいえお世話になったお礼を言い、ミレイアさんにも会うと、ミレイアさんは残念がってこれからの道のりを祈ってくれた。

 ミレイアさんに言いたい。今世で一所に落ち着く場所が中々見つからなかった私に、その場所が見つかったと。


 私が求めていた落ち着ける場所はここだった。かつてアルヴァ様と過ごし、これから過ごしていく場所。


「シエラ」


 一緒に行くことはせず、私が戻って来ることを待っていたアルヴァ様に出迎えられ、抱き締められる。

 今までアルヴァ様が私に地上でのことを聞いて来なかったのは、どうやら私が地上に戻ってしまうかもしれないと思ったからだとか。

 そんな心配をし始めていたとは、まったく困った神様である。


「行くか」

「はい」


 差し出された手に手を重ねると、アルヴァ様は優しく目を細めた。




 ***





 創世神様の神殿は、実際に行っても結局どの距離感でどの辺りに位置しているのか分からなかった。その前に、天界に途切れる先なんてあるのだろうか。

 ここにもいる召し使いの案内に長い廊下をついて行っている途中、運命の女神様を見かけた。廊下の先を一瞬通りすぎただけなので、見間違えかもしれない。


 通された部屋は白く、広く、前方に三脚椅子があるくらいで、あとは何もなかった。椅子も白く、影もなかったので近づくまでわからなかった。

 天井を見ようと見上げてみると壁は辛うじて区切りが分かるのに対して、天井は見えなかった。どこまでも続いているように感じる。

 アルヴァ様に手を取られ、隣で見えない天井を見上げ続けていると、この世で最も貴いと言える存在はその場に現れていた。


「よく来た」


 どこから響いてくるのか、全方位から等しく響いているような声に驚いて、とっさに顔を戻した前方に――色の掴めない方がいた。

 透明、白、青、黒、薄紅……本当にこんなに色が変わっているのなら目まぐるしくて敵わないが、瞬きをする度に、私が僅かに動いて見る角度が変わると見える色が変わっているような存在は、目鼻立ちも含め顔も服装も明確に捉えられない。


「創世神様……?」


 声が先日どこからともなく響いてきたものと同じことと、この神殿が創世神様のものと知っていたこと。それとは別に、現れた存在こそが創世神様なのだと分かるものがあった。

 案の定、創世神様が頷いた。


「ここは時の巡りが遅いのだよ」


 私たちを椅子に進めてから、創世神様は軽く話しはじめた。

 この神殿の時間の巡りは遅い。創世神様の仕事上、普通の時間の巡り方ではずっと人間の魂ににかかりきりになり、こうした時間もとれなくなるからだそうだ。

 たぶんアルヴァ様は既知のことだろうから、私の緊張を解そうとしてくれたのだろうか。


「さあ、何から話そうか」

 

 ゆっくりとした時間の流れの中、ゆったりと話は始まった。


「まずは、イーバのことからかにしようか」

「イーバ?」

「死神と呼ばれるようになったあの神のことだ」


 私が初めて聞く名前に首を傾ぐと、アルヴァ様が教えてくれた。


「アルヴァ」

「はい」

「イーバはこれより眠りにつき続ける。そなたは憎しみを捨てられるだろうか。これより向こう、イーバがそなたの大切なものを脅かすことはない」

「俺は……あれがしたことを忘れない、許さない。だが、目の前に現れないのであれば俺は何もすることはない」

「――それで良いだろう。もう目の前に現れることはあるまいよ」


 抱いた感情は捨てられないと言外に言うアルヴァ様に、創世神様は頷いた。


「イーバによって引き起こされた事によるもので、先日そなたが来たとき話そうとして途中だったものがあったね」

「はい」

「そなたは罪を犯した」

「はい」

「そなたの大切なものを奪った者を許せなかったことは分かっている。だが、結果として地上世界を二度も滅ぼし、現在の世にも戦禍を広げたことは罪だ」

「はい」


 私は真っ直ぐに創世神様を見るアルヴァ様を窺わずにはいられなかった。彼は『罪』を問われてしまうのだろうか。

 でも、と耐えられず口を開きかけようとしたとき、アルヴァ様の手が私の手を握った。見上げると、その瞬間のみ目が向けられて、私は唇を閉じた。


「本来であれば、強制的に眠らせるところを私がそうしなかった理由は分かるだろうか」

「――いいえ」

「簡単なことだ。息子にチャンスを与えたかった」

「チャンス?」

「そうだ。一度目は地上の人間にはすまないことだが、イーバによる影響が色濃かったことを考え、罪には問わないでおこう。二度目、もしも単にそなたがまだ怒りによって意図的に地上を滅ぼしたのであれば、私は罪を問うたろう。しかし、そなたも苦しんでおり、その苦しみは私のせいでもあった」


 創世神様のせい。怪訝そうになったのは、私だけではなくアルヴァ様も。


「記憶とは時に私の力も及ばぬところとなることがある。今回封じたはずのアルヴァの記憶が戻ったこともそうだが、それまでの経緯が誠に予測出来なかったことだ。

アルヴァ、そなたの記憶は大切なものに関することが深く定着しており、消すことは難しく封じることしか出来なかった。だがあとのことを考えると、それは良かったのだろうか悪かったことなのか私にも分からない。封じたからこそアルヴァは苦しみ、しかし記憶があれば別の辛い苦しみがあっただろう。――記憶がなかったそなたのことを、記憶を完全に消すことも出来なかった私がどれだけ責められようか」

(それって、つまり……)

「二百年にまたがった事はこれにて終結した。アルヴァ、そなたは止まることが出来た。今後、この度の結論を私に後悔をさせないでおくれ」

「――はい。二度と」


 力強い答えを耳にし、創世神様は満足そうに微笑んだ。

 私も安堵して、身体から力が抜けた。彼が何か罰を受けるようなことになったらどうしようかと思っていた。


「そなたたちの繋がりは、私にとってはとても不思議なことだ」


独り言のように、創世神様は呟いた。

普通全ての神々には人間の魂を見分けることは出来ず、人間の魂を送り出す創世神様だけが見分けることが出来るにも関わらず、アルヴァ様が私のことを瞬時に確信したこと。

それを実に不思議なことだとまた言い、私は、アルヴァ様と私を見ている創世神様の柔らかな眼差しを感じた。


「次はそなたと話そうか、シエラ」

「――え、は、はい」


 ほっと息をついていたら、急に話の矛先が変わって瞬時に姿勢を正す。

 創世神様の視線を感じる。


「私と、ですか?」

「そうだよ、シエラ。そなたも先日を経て、思い出したことがあると把握している」


 死ぬときのこと、死神に殺されたことを思い出した。それを含めてずっと思っていたことを思い付いて、創世神様を見ると、言ってもいいと促されているようで、創世神様にしか分からないことを尋ねる。


「創世神様、なぜ、私には前世の記憶があるのですか?」

「それは、そなたが望んだからだ」


 創世神様は微笑み、即答した。


「全ての人間の魂は私の元に帰ってくる。そして記憶をまっさらにし、容姿を変えまた送り出す。二百年前死んだそなたの魂は私が直接拾い上げた。その後に時間を設けて魂だけのそなたと色々話していたときに、そなたはアルヴァのことを忘れたくないと言った。そのときはすでにアルヴァの記憶を封じ込めたあとだったので、私がアルヴァは忘れてしまっていると言うと、そなたは――私も忘れてしまっては、本当になかったことになってしまうと言ったものだ」

「私が……」

「アルヴァの記憶を封じたことはなかったことにはできない。一度成立してしまったことだ。故に次に死を迎えてここに戻ってきたときには全てをまっさらにすることを条件に、前世の記憶を残した。死を迎える悲しい記憶と、私と話した記憶は除いて」


 私が覚えておきたいと言い、創世神様はそのわがままを聞いてくれたというのか。

 キアラン様がアルヴァ様の記憶がない本当の理由等を全く話さなかったのは創世神様の言いつけで、私の残していない部分の記憶も戻してしまうかもしれないと思ってたからだそうだ。

 がなければ戻らないが、可能性は低くするに越したことはない。


「そなたが覚えておきたいと言ったアルヴァとの記憶は、私自身このまま両者共消してしまっては良くない予感がしていたため、経緯も考え合わせた一時的と限定した上でだった例外だ。故にそれは良い。

 しかし少し、そなたは生まれることが早かった。私の手を離れてからもうしばらく、神に殺された魂は修復されて然るべきであり、それから巡ってゆくはずだった。少々早かったために、世の縁が結ばれることなく生まれてしまった。そなたは、生まれたときから縁に恵まれ難かったろう。さらに、今回に当たり結ばれる前にあった運命も結ばないようにしてしまった」


 運命の女神様が言っていたことだった。アルヴァ様のことを止める方法として私という存在が挙がり、創世神様から結びかけた運命をそのまま留め置くようにと言われたと。

 私はそれに関しては何も言おうとは思っておらず、創世神様もそれが分かったかのように続けることはなかった。


「さて、此度そなたたちが揃い来たことの意味は分かっているつもりだ」


 アルヴァ様と私がここに来た理由。

 アルヴァ様と出した結論がある。

 私とアルヴァ様の望み。


「創世神、俺はシエラを伴侶にする。同じ時を過ごしていきたい」


 繋がる手がより深く繋がる。

 意思、覚悟、想い。全部籠った手。

 アルヴァ様の言葉に、不覚にもどきりと心臓が跳ねながらも、私も創世神様を見続ける。

 創世神様は少しの間静寂を作り、それから、ゆったりと言葉を発する。


「人間は神になることは出来ない。ただ、同じ時を過ごす存在になることが出来る」


 神々に愛され、天界にいる人間には生き方として二種類ある。一つ目は前世の私のように人間としての時間を生き、天界にずっといたり地上に降りたりするかは別で、人間として歳を重ねていく道。

 二つ目は人としての存在を超越すること。ただ、人間は神様にはなれない。不死にはなれないが、寿命を無くした存在になれる。

 それが出来るのは、神々を生み出せるのが創世神様のみのように創世神様だけ。


「シエラ、そなたは同じ時を生きる存在になる覚悟があると言うか」

「はい」

「ほぼ永遠の時を得ることとなる。それは、歳を重ね自然と生を終える運命があると刻み込まれている人間にとっては苦痛となる日も来るやもしれない。神とて、そのようになる者もある」


 それは神々の身ゆえの忠告。

 けれど、私はアルヴァ様と結論を出していた。


「創世神様、どうか私に、アルヴァ様の側にいることを許してください」


 実はとても寂しがりやな彼が孤独に耐えなくてもいいように。温もりを忘れないように。もうあの神殿で一人、空虚を感じることがないように。

 そして、それだけではなくて、アルヴァ様のことを再び好きになってしまってずっと側にいたいという私のこの願いをどうか許してほしい。


「アルヴァ様の側から離れないことを、許してくださいませんか」


 ――今度こそ、彼の側に。

 望み、創世神様に訴えかけるのはそれのみ。






「そこまで緊張せずとも良い」


 身体に力が入る私に対して、創世神様が笑った。


「そなたに覚悟があり、互いが望むのであれば私が口を出す問題ではない。――人の子よ。そなたをこの世界に迎い入れよう」








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