第34話 全ての記憶
――そもそも前世の記憶に引っ掛からなかったことがおかしかったのかもしれない
私の中にある前世の記憶は短いもの。若いときだとわかる記憶ばかりで、年老いた記憶がなかった。どのように死んだかの記憶はなく、かといって戦場からは離れたので殺されるとは考えられず、無意識に病気で死んだとか思っていたのか。
真実は、記憶の底に仕舞われていた。
『死神』とは死を司るというよりは、死を迎える人間の魂を刈り取る神様なのだそうだ。冥界神に仕え、刈り取った人間の魂を冥界まで運んでくる神様。
その神様が如何様にして道を外したのかは分からない。ただ『死神』は、担っていた役目により、もしかすると他の誰よりも人間を見てきた神様だった。
二百年前当時、稀に人間を愛する神々によって天界にいた僅かばかりの人間が次々と殺される事が起こっていたという。
その時点では何者――天界であるからにはどの神がそのようなことをしているのかは掴めないながら、その知らせはアルヴァ様の耳にも入った。アルヴァ様は私に余計な不安を抱えさせないようにと私には教えなかった。如何な神様であろうと、大抵は数少ない上位アルヴァ様より劣った神様であり、彼が神殿にいれば私が害されることはないからだ。
しかし私はそうとは知らず、タイミング悪くも地上の家族に会いに行くために天馬で地上へ降りた。
そのときを狙われた。
一連の事を起こしていたのは死神と呼ばれる神様。私は地上で死神に殺された。地上に降りた死神が私を殺すために振るった刃はその周りにまで影響を及ぼし、その場にいた私の家族の命までも奪った。私が、地上に降りたから――
私がその神に殺されたとき、アルヴァ様は異変に気がつきすぐに地上へ降りた。いつもなら戦場以外へは不用意に降りないようにしている彼が駆けつけたとき、私の命はすでに尽きており、狂ったように高笑いする死神がそこにいたという。
愛した女の亡骸、殺した死神。彼の感情が波打つのに時間はかからなかった。黒の眼から涙が流れ、地に落ちると同時。
――一度目、世界は滅びた
平和な土地に戦を生まれさせる力を越え、暴力そのものの怒りの塊が四方へ広がり地上を蹂躙した。あらゆる生物、植物、……地上の『生』は絶えた。
一度目、アルヴァ様が覚えていなかった地上世界の滅亡はこのような経緯で行われた。
しかしそれでも死神は死なない、消えなかった。滅び、力の名残が渦巻く中、亡骸を抱いていたアルヴァ様が立ち上がり再度力を荒れ狂わせようとする前に創世神様により、死神は捕らえられた。
アルヴァ様もまた創世神様に止められ、一度は神殿に戻ったが神殿においても、召し使いたちが数人消えた。アルヴァ様の発する力に耐えられなかったのだ。彼らにも個体差が存在する。
その後の状態によって死神が生きていることでどのような行動をするか分からないことと、あまりの嘆きようにそのままでも地上へ影響を及ぼすとされ、アルヴァ様は私に関する記憶が消された。
これが、アルヴァ様に前世の私の記憶がなかった理由。
けれどもアルヴァ様は荒々しく暴走しなくなった代わりに、頻繁に地上へ行くようになった。
記憶も何もないはずなのに、何かを探すように地上をさ迷った。
訳も分からず荒んだ彼の存在は、地上へ影響を及ぼす。じわじわ、じわじわと。
争いが地上を侵し、埋め尽くしていった。
地上で人間達が互いに争い、殺し合う。
――二度目、世界が滅びた
事態を知っていた神々は勘づいた。彼は、失った存在を求めている。
創世神様が『何か』を探すアルヴァ様の、消したはずの記憶の名残を消そうとしても、出来なかったという。
神々がどれほど説得しようとしても、アルヴァ様は止まらず、――彼自身にも止められなかったそうだ。
どうすれば戦を司る神は止まるのか。このままでは何度でも地上は滅んでしまう。強制的に止める他ないのか。
最終手段が、以前キアラン様の口にした『眠らせる』ということ。
その前に、可能性のある手段を取らせてほしいとキアラン様が創世神様に言ったそうだ。――「今一度、アルヴァ様に彼女の存在を」と。
アルヴァ様が私を探しているのなら、私がいればいいのではないかと。
万が一生まれ変わった私により、前世の私の存在を思い出したり私の死の記憶を含め全てを思い出したとしても私はそこにいる。だから、まず止めるために私をと。
これが私が呼ばれた理由の本質。
神々とは、勝手である。
***
死神の鎌には元々人間の魂を刈り取る働きがある。本来なら鎌にかかった私の魂は絡めとられていたはずが、その神様が狂ってしまったからか、単なる殺戮の道具となっていたことで多少の怪我のみで済んだ。
私が目覚めたのは知らない真っ白な部屋で、大きなベッドに沈みこんでいた。首には包帯も何もなく、血が染み出てきていた傷さえもなかった。
死神により欠けていた記憶を思い出した私に、私が知らない全てを教えてくれたのはキアラン様と、一柱の女神様だった。
キアラン様は語り、そして私に謝ったが、私は真実を隠していた理由が分かったから首を横に振った。
キアラン様が部屋を後にした後、残ったのは私と女神様。
銀糸のような長い美しい髪を持つ彼女は、以前アルヴァ様が地上へ降りてしまって混乱していたとき、現れた女神様だ。
彼女はまだ少し欠けている話を続ける。
「わたくしはもちろん、全ての神々には人間の魂を見分けることは出来ません。生まれ変わり、地上に生まれ落ちてしまえば多くの人間の中から探し出すことなど不可能です。しかし、創世神様だけは魂の一つ一つを把握しておられます。……今回にあたりあなたがそうだとして呼ばれたのは創世神様の許しの元、そのようにせよとされたためです」
クッションにもたれかかり話を聞く私がいるベッドの側の椅子に座った彼女の手の上に、光の加減で僅かに見える糸のような線があらわれる。
「あなたの運命の糸となる予定でした」
「運命の、糸?」
彼女の正体は人間のあらゆる運命、縁を結ぶ女神様だった。
「本当であれば人間が生まれる前に結んでしまうものですが、わたくしはあなたがそうであるとは知らないときに、あなたの運命がろくに結ばれずに生まれてしまったことに気がつきました。こういうことは残念ながらごく稀にあります。その際は後から縁を結ぶことになり、わたくしも気づき結ぼうとしましたが――アルヴァ様のことを止めて頂くということで、創世神様からそのまま留め置くようにと言われてしまいました」
女神様が手のひらを握ると、糸は消えた。彼女の緑の瞳が私に向けられる。
「わたくしは、生まれ変わったのであればいくら記憶があっても全く同じ人間ではないと言いました。運命の糸を結ぶことがわたくしたちの使命ですから、止めることは反対でした。しかし、アルヴァ様を止められる可能性があるかもしれないと結局は引きさがることになりました。――あなたは、利用されたことになります」
人間の運命を結ぶ女神様は、人間の人生を左右すると言っても良い。いくらか人間側の考えを持っているというのだろうか。彼女は気遣わしげな目をしている。
利用されたと言われるとそうだ。
アルヴァ様が地上世界を滅ぼした原因は、死神であり私でもあるだろう。
そして、運命の女神様は何も言わなかったが、創世神様のミスか意図的なものかで私は前世の記憶があった。アルヴァ様は危険性ゆえに記憶を消され――正確には思い出したわけだから封じられていたと言った方が正しいか――それでも地上へ降り続け、私を探していた。
探してものをしているのなら、その探しものが見つかれば良いが、創世神様以外の神々は人間の魂を探すことは出来ない。私は死んで生まれ変わり、容姿も違う。それ以前にアルヴァ様には記憶がない。
探しものは見つかりようがなかった。
そこで探されている私を神殿に連れていくことにした。前世の私の記憶もないが、考えられる穏便な手段は他にはない。
これが利用と言わずして何と言おう。
けれど私は首を振った。
「いいえ」
そんなこと――神々の思惑なんてどうでも良かった。
幸せな思い出ばかりがあったところに、良いとは決して言えない最期の記憶が付け加わった。思い出したかったとは言えないけれど、思い出したことで胸に湧いてくる思いがある。数ヶ月前、アルヴァ様を止めに来るために神殿に来て、彼と再会したときよりも濃くて、熱くて、胸が塞がりそうになる。
「また、アルヴァ様に会えて良かった」
どうにか声を出して女神様に言うと、女神様は予想外の答えが返ってきたように目を瞠った。
「前は別れも言えなかった私が、このようにアルヴァ様にまた会うことができたことは、とても……とても嬉しいことです」
私の目からは涙が伝い、止まらなかった。
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