第33話 彼の記憶








 時間の概念が意味を為さないほどながい時を過ごす存在、神々の一柱であるアルヴァ。

 二百年前、彼が出会ったのは一人の人間の女。

 アルヴァが時折天界にて鏡を通して見る戦場をしなやかに駆け、服、肌、短く切った明るい茶の髪に至るまで血に染まっているような女。


 恐ろしく血が似合わない人間だと思った。


 人間に等しく流れる赤い血がこんなにも似合わないものなのかと不思議なほど。それも戦場にいるような者が。


 女は傭兵。

 男のように特別逞しい体つきをしていることもない女は、素早い身のこなしを武器にして人が死ぬ戦場で戦い、生きのびていた。

 いくら自らのいる陣営が戦に勝とうとも、彼女は安寧に身を委ねることはなくむしろ、次の戦場へ向かう。


 生きていられるのは運が関係しているとしか思えない女が、男に劣らぬ体格に恵まれているわけでもないのになぜ剣を握り、戦場に臨み続けるのか、アルヴァは興味を抱いた。

 そして、地上に降りてみることにした。

 女は傭兵。

 平和の満ちた土地に降りることは避けるべきアルヴァには好都合だった。人間に紛れる様相をして女に会った。言葉を交し、彼女が傭兵をする理由を知ったと同時に、彼女が戦いの場を離れるとどんなに明るい笑顔を浮かべるのかを知った。

 その一方で、「他に何も役に立つ術を知らない、知っていても上手く出来ないの。だから私は――」

 父に習った剣一つでここに立つのだと言った。

 血生臭い戦場にいるべきではないようで、そのように笑えるからこそ戦場にあり続けられたのかもしれない。


 アルヴァはそれから、天界にいても鏡を通して頻繁に戦場を見るようになった。

 その女のいる戦場を。

 稀に故郷の家族の元へ帰ることがあっても、彼女は自分から次から次へと戦場へ突き進んでいく。全身を似合わない鮮血に染め、自分と誰とも分からない血にまみれ、


 ――お前に血は似合わない


 敵を殺そうと向かってくる敵兵がいる限り、命を奪い合う戦場にいるために、生に限りあり心臓を突かれれば死ぬ人間はいつでも死と隣り合わせで、


 ――お前はその場に相応しくない


 一つの戦場で、辛くも命を長らえることがよくあり、目が離せなかった。


 ――お前は戦場にいるべきではない


 とうとうそのときはやって来た。

 女の手から剣が飛び、身体が傾き地に転ぶ。完全に身を守るものを無くしたその身に迫る剣。

 女に死を与え、この世界から奪おうとする刃。

 その瞬間、アルヴァは未来さきに見た失う光景を拒絶し、地上に降り、女以外の戦場の全てを凪いだ。

 その場で女と向き合い、アルヴァは自分の内を図りながら言葉を紡ぎ、手を差し伸べた。そのとき重なった手のことは、後にまで忘れようのないものだった。


 アルヴァが選んだのは、女――エレナがどのような戦場でも生き延びられ敵を切り裂け、勝利をもたらす戦乙女となる加護を与えることではなかった。

 地上の戦場と遠く離れた天界で、笑うエレナの姿に、アルヴァはああこれだと感じた。

 笑い、走る。

 戦場でしていた行動と同じようで、違う。彼女は戦場にいるべきでも、そのような場で笑っているべきでもなかった。


 それから天界にて共に過ごし、戦を司る神であるアルヴァは血が似合わない女を愛し、腕の中に得た。


 だが、安寧に浸り幸福の絶頂期――――――突然、失った。


 地上で見つけ、腕の中に抱いた女はすでに命を無くしていた。

 似合わない血が派手に彼女の衣服と肌を染め、アルヴァの衣服や手を染めた。その赤い血は彼女自身から生まれたもの。

 酷い傷だった。背を切り裂かれた傷は肩口から腹部まで。後ろから通された刃は前まで到達したのだろう、一筋の傷は完全に貫通していた。心臓を確実に突き破られ、それを除いてもこの傷で、人間である彼女が生きていられるはずもなかった。


 止まることを知らない血が地に落ち続け、アルヴァの手からも愛した女の血が一滴、伝い落ちた。




 失い、怒り、側に取り戻すことは当然、叶わなかった。




 アルヴァは、神殿で過ごすことにどこを歩こうと彼女がいないことに、彼女が好きなように花を植えていた庭を見る度に、襲いくる空虚に何よりも愛した存在を失った事実を知らしめられた。

 記憶を無くした後も。


 そして、空虚を埋める『何か』を探し続けていた。











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