第32話 際限ない怒り
瞬きをしない内に、二柱の神様は神殿から少し離れた宙にいた。
「アルヴァ様!」
「……無駄です。あの方は如何な理由から始まったものにしろ、戦いでは何らかの決着がつくまで止まりません」
前方の空中を見上げながら廊下から飛び出して、すっかり嵐の後の庭に駆け出した私は背後から諦めに満ちた言葉をかけられた。
キアラン様が廊下を数歩だけ進み、空中にいる神々を見上げる顔もまた、声以上に諦めに満ちている。
「でも」
私も再び空中に視線を戻すと、そこにはさっきまでと異なった光景があった。
二柱の姿しかなかった場に、十は越える死神の姿があったのだ。
「死神が、あんなに……」
「あれらは死神が作った分身です。死神はその役目のために複数の個体を生み出すことが出来るのです」
複数に分かれた死神がアルヴァ様を囲い、向かっていく。中央に立つ形となっているアルヴァ様は、鎌を振り上げる死神に対して何も持たない。しかしにわかに、手ぶらの右手を宙で何かを掴みとる動作をし、向かってくる死神の方へ手を振ったかと思えば――死神が急に動きを止めた。
そのまま前に再び進む前に、衝撃を向けたように何度か身体が跳ね、震える。それでもぎこちなく持ち上げようとしていた鎌が、何か大きな高い衝撃音が響くや砕け散る。
(剣……?)
目を凝らした死神の身体を貫き、突き抜けている物があることを捉え、もっとよく見るとそれは刃であった。
何本もの剣に貫かれた死神。
それが何度も、何体にも及び、一分としない内に空中の一部はすでに死神の磔場と化していた。
動かぬものとなったもの越しにまだ動いている死神を追っていると、次なる変化が起きた。
「消えた……?」
幾つもの刃に貫かれた死神の分身と思われるものが、一つ、二つ……と時間を異にし靄のように曖昧になり、消えた。
その消え方は、神々がその場を後にするときに見る消え方ではないと思えた。現に他にはまだ死神がいることと、刃に貫かれ、まるで死を迎えたように……。
生の概念どころか死の概念もないはずの神様。それが、死ぬというのか。
「キアラン様、あれが消えたのは」
「あれは分身だから消えたのです。分身もいくら――」
庭に死神が現れたことで、声が途切れた。
緊張が走り、口を閉じたキアラン様が表情を変え、廊下から出て来る。
その前に。
「――――っ!」
近くに生み出された死神は激しい音を立てて神殿の柱に衝突した。
瞬間、空気が震え、揺れ、衝撃の余波に圧倒される。
死神が叩きつけられた神殿の柱は、いかな傷がついているところも見たことがないのに、ヒビが入り、死神の背後は酷くへこみ破壊されている。
キアラン様が小規模な嵐を起こし強い風により叩きつけたのではない。音もなく素早く鋭く投擲された刃に腹を貫かれ、そのまま柱に縫い留められた。
飛ばされた刃は、単なる刃ではない。切り裂き傷を与えることができるだけの代物に有らず、相手を圧倒する力の込められた刃。余波で空気を動かすほどの一撃で下位の神の行動を奪い、一方的な攻めの始まりとなる。
見ている私も息をつく暇もなく、死神に向かって飛ばされる刃は増え、何本もの輝く長剣に、両手、両足、腹、胸を串刺しにされ大気を重く揺らし……死神は破裂した。
「……分身もいくら同じ働きをするとはいえ」
キアラン様に、庭にいるのは止めておくようにと最低でも廊下と導かれて空中を気にしながら下がると、キアラン様が話しはじめた。
死神の分身が現れて途切れた続きだ。
「私達に神を作る力はありません。分身は神のように不死ではいられないということでしょう。そうであれば、とても厄介なことです。ただし、もちろん本体は神の身体ですから、いくら痛めつけようとも『死ぬ』ことはありません。そのため、今まで死神は閉じ込められていました」
「アルヴァ様は、大丈夫でしょうか」
「死神に傷つけられることを心配していらっしゃるのであれば、まずあり得ません。あれを見てそんな光景が繰り広げられるとお思いですか? 心配するべきは反対です」
「死神の方、ですか?」
「死神はどうなろうと知りません。どうせ死ぬことはないのですから。その反対ではなく、アルヴァ様が死なない神を相手に消すことを固執した場合のことです」
気がかりな目は、アルヴァ様がいる方へ。
キアラン様が恐れていたのは、それなのだと明確に察する。
――「今度こそ、お前の存在をこの世界から消してやる」
深い劫火の怒りを宿した目と声でアルヴァ様が言ったこと。必ずそうしてやると聞こえた言葉。
今、一角とはいえ天界を揺らすほどの力を発揮しているアルヴァ様が、消える分身であればともかく、消えないどころか死なない神を消そうとしたならば。
彼はどれほどの力を持って、死なない神を消そうとするというのだろう。
「神様が死なないのなら、これは、終わるんですか……」
彼が何らかの決着がつかないと止まらないとなれば、一体。
「神が消滅させられた話は聞いたことがありません。……が、あれを見ているとあり得るのかもしれないと思ってしまうものがあります」
「まさか」
「ええないでしょう。それに死神が消えなくとも終わりが来ない可能性は全くないのでご安心を」
「アルヴァ様が止まる方法があるんですか」
「時間が経てば、確実に」
(時間……?)
その時間が来るまでが問題だと、キアラン様の言葉から読み取れそうだった。
時間が経てば自然に終わる……ということなのだろうか。そうとは思えないのが現状だけれど、長い付き合いのキアラン様が言うのであればそうなのか。
「せめて、地上へ降りて戦うことだけは避けて頂きたいことですが……」
「地上に降りれば、地上が…………滅びますか」
「ええ。――二百年前は地上で戦い、地上が滅びました」
それが一度目です、とキアラン様は暗い目をしていた。
「アルヴァ様は、思い出してしまった」
アルヴァ様は過去の何を思い出したのだろう。私が殺された過去――私が死んだ後、どのようにして彼は私の死を知り、その後地上は滅んだのか。
私が見なかった過去の一端が、今目の前にある。
「アルヴァ様は死神を許さない。今回また貴女を殺そうとしたこともあり、二百年前を凌ぐ怒りがあるでしょう。このまま行けば止まるより前に天界も無傷というわけには……」
キアラン様の視線の先、複数いた死神は、今は一つ。他に同じ姿をした偽物はいなくなり、従って本体のみ。
分身を作るにも限度があるのか、他が消えても分身が生み出される気配はなく、姿一つでアルヴァ様に対峙することになった死神。鎌を振り上げるより早く、分身が柱にそうされたように宙に縫いつけられた。
分身が貫かれた本数とは比べ物にならない量の剣に刺され、指先一つ動かせない状態になっていた。
神々の血は、赤くはないという。
聞いたことしかなかった話が現実に、赤くない液体が前から刺され、背中から出た切っ先から垂れる。一滴に終わらず、地上へ向かって、落ちる。
端から見ると絶命していてもおかしくない死神。だがあれは神様だ。いくら刺されようと、切り裂かれようと死なない。
磔にされた罪人のような死神に、離れたところから着実に近づく一柱の神。
ここまで終始一方的な戦局を繰り広げていたアルヴァ様が、一振りの剣を手に、死神の前まで至る。
「あれは、まずい」
キアラン様の言葉の内容を聞き返せる状態ではなかった。
遠目でのアルヴァ様の姿は、一見すると静か。けれど死神を逃さない目はあの、怒りを煮詰めたような目をしているのだろうか。
まだアルヴァ様の身体の横に下げられている剣が、光を発し、それは徐々に徐々に強くなる。光が増すにつれ、空気の振動を感じる。
強制的に空気が張り詰め、対象として見定められているのはこちらではないのに、動くことが許されない。
それが強く、大きく。
アルヴァ様が柄を逆手に持ち、一切の躊躇いなく降り下ろす――
『止めよ』
何も出来ず、見続けるしかなかったとき、どこからのものか分からない清らかな声が響き渡り、アルヴァ様の手が鈍った一瞬。
一瞬を縫い、二柱の神様の間から剣に宿るものとは異なる光が生まれ、あっという間に世界に波のように満ちる。
相対する神様の姿どころか、剣、柱、草花の先に至るまで、全ての輪郭を消した――――
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