第31話 鍵となる
天界では耳慣れない金属同士がぶつかり合う音に近い音が耳元で鳴り響いた。
首をはね飛ばそうと肌ばかりか、肉や骨を断ち切ろうとしていた刃はそれ以上の侵入を許されず、私から離れる。
死神が鎌を携え、距離を置いた。
その様子を目にし、目を見開いて止まっていた私は現実に返り、止まっていた息が一気に出た。
「シエラ」
見開いたままだった私の目は、死神の向こうから暴風を切り裂き、刃を止めたアルヴァ様の姿を捉えていた。
私の腰を抱いて支えたアルヴァ様のもう片方の手から、刃を止めた剣が消える。
こちらを見下ろす黒い瞳、風に揺れる鋼色の髪。アルヴァ様だ。
「……アルヴァ様、創世神様の元へ行ったんじゃ……?」
「ここは俺の領域だ。妙な事があれば分かる、それで戻ってきた」
私が喋ることができることに目に安堵を表したのもつかの間、アルヴァ様は鋭い目つきで前方を睨んだ。
「お前、その鎌……ベリアルの元の『死神』だな。わざわざ俺の留守中に何か用か」
「――嗚呼、高貴ナル、高貴なる神ヨ」
死神の不気味さに拍車をかける言葉の紡ぎ様に「何だこの妙な喋り方は」とアルヴァ様が引っかかったように怪訝そうな顔をした。
「私ハ、その人間ヲ取り除く。ドウカ渡し、願ウ」
「何だと」
「天界ヲ汚す、神を汚ス人間は、ヒトタビここに存在スルだけデ、罪ダ」
「それがシエラを殺そうとしていた訳か?」
「如何にモ」
死神の首がコテン、と真横に倒れる。
「アなたも、穢レ、天界を汚ス人間を渡さぬか。愚カ、穢レ、穢サレタ神カ」
死神が一度収めていた鎌を素早く回転させ、空気を切りながら身体の前で構えると、漆黒の切っ先から雫が落ちる。
「それは、シエラの血か……?」
白い石の床に目立つ一滴を捉えたアルヴァ様が顔色を変えた。
「少し、切られただけです」
首に作られた長めと思われる切り傷は時間が経つにつれて痛み、意外と血が止まらない。
それに浅い切り傷とは思えない、奥から抉られるような痛みが絶えず生まれ、動悸がする。心臓が激しく打ち続けるのは、首にある傷のせいだけではないことは明らかだった。脳裏に走った記憶、今を遥かに凌ぐほどだったと思われる一瞬の激痛。
(……さっきの、『記憶』は……)
私は過去の記憶を頭の片隅に過らせながらも言ったけれど、首を押さえる手を剥がされてしまう。
押さえていた手は私自身の血で赤く染まり、それを目にしたアルヴァ様が眉間に皺を寄せる。
「アルヴァ様!」
神殿を取り巻く嵐が切り裂かれたことで、嵐を起こしていたキアラン様が焦燥がありありと表れた様子で来た。
「キアランか」
「はい。申し訳ありません。死神の分身に気を取られ、シエラさんを守れず……」
「いい。……俺が神殿を空けていなければ、シエラの側にいれば防げたことだった」
キアラン様が側に来てもそちらを見ないまま言葉を交わすアルヴァ様を見るキアラン様の表情が、焦燥に加え、気がかり、落ち着かない様子が複雑に混ざっている。
――そうだ。キアラン様はアルヴァ様は死神に会ってはならないと言っていた。その理由は、もしかして。
一度に大量にではないものの、傷口から止めどなく染み出してくる血。首を見ているアルヴァ様の指先が私の血に濡れる。
「アルヴァ様、あれは私に任せ、シエラさんを――」
「以前も、……以前もこんなことがあった」
「――――」
アルヴァ様が呟くような小さな声で言ったことに、キアラン様が敏感に反応した。表情が見るからに強張る。
「これも、単なる既視感か」
「アルヴァ様、」
「――違う」
傷口に手を這わせ、見上げる私の顔を正面から見る。
時折、ここではないどこかを見るような目つきをする彼。記憶がなくても、私がアルヴァ様と過ごしていて懐かしいと思うことがあるようにどこか遠くを見ていたような目は、今、彼方を見ない。
私から何かを見出だそうとしているようで、私の瞳を真っ直ぐに射抜く。
――きっと彼は思い出してはいけない。
死神と会ってはならない。キアラン様がアルヴァ様には知らせないと言った理由、それから記憶がないことを何も言わずそのままにしてほしいと言っていたことの理由が薄々分かっていた。
「アルヴァ様」
「シエラ」
頭痛を堪えるように表情を歪め、アルヴァ様は苦しげに声を出す。
「シエラ、痛いか」
「大丈夫です。だから、」
「死ぬな」
それがおそらく、死神を前にして違和感を持ち続けていた彼への『鍵』の役割を果たした。
「死ぬな……」
「私は死にませんから」
「以前も、……俺は、……」
血に染まった指が私の顔に触れ、辿る。
「――――――そうか」
決定的な瞬間は、突然。
「お前だ……」
頬を辿る指の僅かな震え。
そのまま奥に滑った手に頭を引き寄せられて、そのまま抱き締められていた。強く、離れて行かないようにとするみたいに。
「……アルヴァ様……?」
アルヴァ様にあった混乱が失せたように感じられ、恐る恐る見上げると、アルヴァ様はその目で前を見据えていた。
「お前だ」
低く、一言。既視感かと揺れていた瞳は、一変して眼光鋭く、死神に向く。
「お前が、『あいつ』を殺した。俺から『こいつ』を奪った。俺はずっと忘れていた、忘れさせられていた――」
私を抱き寄せる腕の力が強まる。
「俺は
「ツまリ、ソレを、庇うと」
「そうだ。お前は、よく俺の前に姿を現せたな。あろうことか、また同じように殺そうとした挙げ句に」
吐き捨て、凄絶な殺気を帯びた声と共に、怒気が膨れ死神に向けられる。
今や、アルヴァ様には迷いや何かに混乱していた素振りは一切無い。枷が一気に外れ、ただ壮絶な怒りに燃える姿がある。
目が、声が、発する空気、全てが。
怒り一色。
こんなに怒ったアルヴァ様は見たことがない。
「俺を敵に回す意味を知れ。今度こそ、お前の存在をこの世界から消してやる」
「――アルヴァ様」
尋常ではない、危ない雰囲気になってきたアルヴァ様の服を引っ張り注意を引くと、アルヴァ様は雰囲気とは正反対に私の頭を優しく撫でた。
そして、私を見ないままに辛うじて聞こえるくらいに、優しくも意思に満ち溢れた声は囁いた。
「俺はお前を失わない」
「待っ――」
違う。そうじゃなくて行ってはいけない、と掴まえようとした手は空を切り、同時に私から彼が離れた。
離れていく。
「――本質を見失っている堕ちた神が、俺と戦って勝てると思うな」
アルヴァ様の姿が目で追えなくなった直後、死神も消えた。
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