第20話 それが本当であるのなら




「……キアラン、そのことだけは本人に言わないことが条件であったはずです。そのためわたくしも今回、」

「罰なら何なりと受けましょう。あの方が救われるのであればいくらでも!」


 女神様の言葉を遮り、キアラン様が珍しく声を荒げた。普通ならたじろいでもおかしくはないところ、女神様も引き下がらない。


「――言ったはずです。いくらアルヴァさまが失った存在を探していようと、同じ人間は存在しません。一度死を迎えれば魂は創造神様の元へ、また異なる人格容姿を形成して人間界へ巡ります。アルヴァさまが探す人間と完全に同じ人間は永遠に現れないでしょう。彼女が記憶を引き継いでいたとしても、全く同じように育つことはあり得ません。そのことは重々承知のはず」

「それを無意識下で理解していてもあの方は諦められなかった――それが今の全てでしょう」

「それならもう罰をお受けになればよいのです。人間の世をまたも無闇に荒らしている罰を。いくら理由があっても、このままでは……。止まることが出来ないのであればそれしかありません。創世神様が機会をお与えになるから……」

「元はといえば、根源はあの方ではない! それなのに、こんなことに……」

「――あ、あの、一旦落ち着きませんか」


 やり取りがどこまでも続きそうで、キアラン様の語気も強まる一方。私自身混乱して上手く事態を理解できていないのに、仲裁すると、二柱の神様は私がいることを思い出したかのように声を止める。


「……キアラン、ご覧なさい。彼女は混乱しています。私はそもそもこのような方法には反対でした。たとえ、記憶が残っているということで創世神様がお力添えをしていようと」

「あの、私がいなくなってから、二百年って何ですか」


 視線が定まらず途切れ途切れに問うと、女神様が現れたときよりずっと鋭くなった視線をキアラン様に向ける。


「キアラン、あなたが責任を持ってお答えに」

「分かっています、ミラ」


 キアラン様も挑むように応じ、私を見る。


「シエラさん、驚かれるでしょうが、かつての貴女――エレナさんが亡くなってからすでに二百年の時が経っています」

「でも私、そんなに時が経っているようには、」

「それほど時が経っていないように自然に思ってこられたのは、地上世界が再創造されたことによります。前回再創造されたのは、たった七十年ほど前ですから、文明度合い等が馴染んだものだったことからだと思います」


 二百年。

 私は、今世生まれて前世の記憶があるまま生まれてきたようだと理解してから、前の私が死んでから何年経ったのかと考えたことはなかった。それは記憶がぷつんと途切れ、新しい生にすぐに繋がれたように感じていて、死んでそれほど経っていないと無意識が判断していたのだろうか。

 キアラン様に言われて生活を振り返っても、生まれた国が違うことから多少見慣れないことがあっても、文化の違いだと思ってきた。支障をきたしたことはない。

 それが、二百年経っているとは。


 いや、私が死んでから何年経っていたかはいい。驚くけれど、生まれ変わるのだからそれくらいかかるのかもしれない。


 ――「記憶を失ってもなお貴女を探している。ずっと、貴女がいなくなってから二百年」


 私がいなくなって二百年。


「アルヴァ様が、『私』を探している……?」


 声に出して反芻してから、ぎこちなくキアラン様を見上げる。


「まさか、地上へ……?」


 キアラン様が厳かに首肯してみせた。


「でも、どうして、アルヴァ様には私の記憶がないのに」


 そうだ。それなのに、『探す』なんて。


「どうして私を探しているなんて分かるんですか」


 そんなはずない。

 そんなはずがない、と私は思いたいのだろうか。分からない。とても、どうしようもないくらいに、酷く混乱している。


 キアラン様は、今度は首を真横に振る。

 明確な否定。


「……あの方が唯一、人間である貴女を愛し、貴女を失った後に何かを探すように頻繁に地上へ行く。貴方を探す以外に理由は思い当たりません。現に今回貴女にここに来て頂いて、アルヴァ様は貴女に意識を向けておられました。アルヴァ様の中には、深く貴女の記憶が根付いている証です」

「……うそ」

「それに、アルヴァ様が地上を滅ぼしたのは一度目は貴女を失ったとき。二度目は貴女の記憶を失った後、頻繁に地上へ降りるようになりその産物として戦を振り撒かれるようになり、やがて人間は自滅していきました」

「――――」


 表面しか、表面の一部しか聞いていなかった私は、明かされたことに言葉を失った。


「シエラさん」

「は、はい」

「お願い申し上げます。アルヴァ様を止めて頂きたい。今ならまだ、間に合うはずです」


 思考が混乱の極みに達した私の前で、キアラン様が言う。教会の小さな一室で私に頼んだときと同じで。けれど、灰色の瞳に真剣さに加えて悲痛さが混ざっていることに、気がついた。

 神々が止められなかった彼。最後のなけなしの手段のように、彼を止めることを頼まれた私。キアラン様にとって、人間である私を最終手段にしたのにアルヴァ様は地上に降りたから、さっき絶望にでも染まりそうな顔をしたのだ。


「貴女にしか止められない、救えない、貴女にしか」


 私の心が大きく騒いだのは、目の前のキアラン様の様子がきっかけ。混乱による思考の糸の絡まり合いが、千切れた。


「シエラさん?」


 急に走りはじめた私の背中にキアラン様の戸惑った声がかかったけど、私は止まらない。

 庭を突っ切り、四阿の奥、柵も何もなくて白い地面が途切れた先に足を踏み出せば、眼下に真っ逆さまな場所に出る。その、ギリギリまで行き、下を覗き込む。

 天界と地上の間には階段なんてない。

 当たり前だ。人間は行き来できなくとも、神様だけが行き来できる領域。

 だから、もしも人間が自力で天界から地上へ行こうとすると――。


 いけるか。雲を見ていると、高低差が曖昧でいける気がしてくる。


「行ける。いける気がする」

「何をしているのですか貴女は!」


 落ちそうなくらいに身を乗り出して下を見ていると、追ってきたキアラン様に下がらせられた。


「何って、アルヴァ様を探しに手っ取り早く……」

「死にますよ!」

「じゃあ、私はどうやってアルヴァ様のところへ行けばいいですか!」


 どうやって彼のことを見つければいいのだろう。神様ではない私は、彼の元へ行くどころか彼を見つけることすら不可能なのに。

 混乱が失せ、身の内を満たす焦燥に、キアラン様に言葉を叩きつける。


「どうやって……!」


 アルヴァ様の元へいけばいいのか。

 彼を、私が今世ではじめてここに来たときのような目に戻してはならない。雰囲気も、何もかも。

 それはアルヴァ様が地上に降りれば戦が云々も大事だけど、そのためだけではなくて。


(アルヴァ様……)


 もう、前世は前世だと違う人間なのだとのなけなしの壁が崩れ去っていることは分かっていた。

 前世の記憶があるからこそ、私の中にぽっかり空いている空洞はここに来てから少しずつ少しずつ埋まっていた。

 アルヴァ様と過ごす時が増えるほど、私だけが記憶を持っている齟齬を感じながらも分かったことがある。

 アルヴァ様が、今もまた好き。一緒に過ごしていると、忘れていたはずの気持ちは大きくなるばかりだった。

 彼を迎えにいかなければ。

 彼がかつて、私がいる戦場に来てくれたように。


 その術がほしい。私が、なぜか目から流れはじめた涙を拭っていると、キアラン様が言う。


「私がお連れします」





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