第17話 崩壊の合図はどこにもなかった




 アルヴァ様は地上へ降りていた。キアラン様によると戦地ではない場所にも降りるから、地上には戦禍が広がっていたはず。

 最近では見る影もなくなってきて安心する反面、なぜそんなことをしていたのだろうかと思う。最初に聞いたときにも、どうしてそんなことをと思った疑問は消えていない。

 キアラン様は知っている様子がありながら、教えてくれなかったこと。神様には神様の事情があるとしても、地上へ降りる素振りがなくなった今だからからこそ、理由を知れるのではないか。

 大半の時を天界で過ごしたアルヴァ様は、地上へ降りるとしても人間の平和を崩さないように戦場以外へは不用意に降りないようにしていた。今だってこんな風にいられるのに。

 アルヴァ様が戦禍の原因となっていたことには理由があるはずだ。あれほどまでに私の知らない荒んだ目をしていた所以が、知りたかった。


「地上へ……」


 私の問いをなぞり、声にする。


「そうか、俺は降りていたな」


 言われてはじめて思い出したかのように、アルヴァ様は呟いた。その事実があったことを自らの中で確かめているみたいにも聞こえた。


「俺は」


 顔が、空を臨む。

 黒い目がどことなくぼんやりとする。


「俺は、何かを探していた」

「地上でですか?」


 視線は空のまま、頷きが返る。


「何を、探していたんですか?」

「分からない」

「え」

「何かを探さなければならない気がして、俺は気がつけば地上に降りていた」


 独り言のようにぼんやりとした声で語り、小さい声で「何かを」と繰り返した。

 唐突に、その横顔が仰いだ空に吸い込まれていきそうだと感じて、手を伸ばしたくなった私の手が、意思に連動して芝生の上で動く。

 けれど実際に手を伸ばす前に、上を見ていたアルヴァ様がこちらを向いた。


「ここのところは、それを、忘れていた」


 手が向こう側から伸ばされ、


「お前がいたからだ」


 頬に触れる。

 私はそれに僅かに反応してしまいながらも、動きは止まっていた。頬を滑る手の感触はもちろん、注がれる眼差しに意識を引き寄せられている。


 まるで愛しいものに対するように柔らかく細められている目は、少し前まで度々見られた凝らすようなそれではない。

 黒い瞳に自分が映っていること瞳に宿る優しい色、羽が触れているような手つき全てが合わさりなぜか泣きそうになった。


「俺は、お前といると安らぐ。酷く荒んでいたものが宥められていくようで、それが不思議でならなかった」


 アルヴァ様は静かな低音の声で言う。


「お前と過ごすにつれ、心地良さは大きくなるばかりだった」


 彼の言っていることが耳に響く。そんなことを思ってくれていたとは思えなくて、容易には信じ難い言葉。







「だが」


 少し声音が変わったことを境に、突然、手が離れる。

 アルヴァ様自身も遠くなったように感じて、私は瞬く。そこにいる。手が離れただけで距離は変わっていないのに、


「こうしていても、いいのか」

「アルヴァ様?」


 アルヴァ様の様子がおかしい。

 視線が離れる。


「俺は、――――何を探していた」

「アルヴァ様!?」


 風が巻き起こり目を一度瞬くと、もう彼の姿は目の前から消え去っていた。







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