第15話 勝利への糸口




 上位の神様っていうのはけっこう怠惰だ。

 怠惰とは怠けている言うと働きを怠けていることになるので言い方が悪く、時間があると言うべきか。

 あくせく働いているのは大抵中位以下の神様らしい。

 この前来た風を司る神々は、中位。四柱いるから仕事分担して、自分の担当季節以外は気ままにしているよう。



 例外はある。ほとんどが天界にいる神様たちではあるが、天界以外の場所にいる上位神は忙しめのようだ。

 例えば、『冥界』にいらっしゃるらしい通称冥界神べリアル様。人間が死を迎え、創世神様の元へ戻る前に人間の魂が一度通過する場所。生前に犯した罪があれば償わなければならないかどうか判断を下される。

 その冥界には、仕切る上位神はべリアル様一柱だけ。人間の魂が一日にどれだけ冥界へ行くのか分からないなりに、忙しくもなるだろうと思う。


 その点、天界にいる上位神の一柱であるアルヴァ様は暇になろうと思えば暇になれる神様だ。

 世には彼が戦を起こさなくとも戦があれど、その全てを四六時中見守る義務はない。ほとんど趣味の領域になりつつあるとアルヴァ様が言っていたことがある。もちろん、前世のときに聞いたお話。


 とはいえ、ここのところ私はアルヴァ様が戦場を映し出す鏡を出しているところは目撃していない。

 今の彼が戦から遠ざかることは、いいことだ。


「アルヴァ様も朝ごはん食べます? 必要なくても美味しいものを食べるのは良いものですよね」

「焦げたクッキーは止めろ」

「……」

「おい?」

「変わらない味も貴重ですよ」

「つまり」

「……クッキーは、進歩が見えません」


 問い詰められて、さっと視線を逸らしてぼそりと明かした。クッキーはあれから改善されることはなかった。

 私としては満足な出来なのに。


「そんなことだろうと思った」


 アルヴァ様はふっと息を洩らし、口元に笑いをこぼす。笑う回数が増えてきた。





 朝ごはんは神殿の台所と呼ぶべきところで一人で摂った。神殿の『台所』は、神様が本質的に食事類を必要としないことからとてもこじんまりとしている。

 庭が荒れていた当初も神殿の中にある台所は汚れは一切なし。その代わりに長く使われていなかったことを感じさせる廃れた空気が満ちていた。

 それもまた庭と同じで過去の話。

 人間である私は天界にいても人間なので、食事をしなければお腹が空くし、死んでしまう可能性もある。従って台所は毎日使用することになり、使用感と生活感が出てきた。

 食料品は定期的に届けられ、召し使いたちがおいしい料理を作ってくれるので贅沢な食生活を送っている。

 クッキー含めお菓子作りもそこで行い、召し使いたちに教えを乞うている。

 前から思っていたけれど、彼らは色んなことが出来すぎる。いわゆる家事類に関しては完璧だ。


「疲れ知らずですよね」

「何の話だ」

「彼らのことです。それに万能ですし」

「人間であるお前の身を比べてどうする。存在の根から違う」

「まあ確かに」


 植木の向こうから、道で開けた場所を横切り、また植木の向こうに消えていった召し使い。

 彼らは昼夜問わず一日不眠不休で働き続けられる。これもまた、神々が睡眠を必要としないように彼らも疲れ知らずで睡眠要らず。庭が広さに似合わない早さで完成したのも、彼らの仕事が早いことに加えてその面が働いていた。

 今、私が一緒になっているとき以外は彼らは元々の役割である神殿の環境維持のために動いているようだった。


 今さらながら、アルヴァ様は召し使いたちが何かと働いていることは気にしていない様子。

 主が何も望まないから神殿の隅にじっといた召し使いたち。

 和らいだ表情をするようになったアルヴァ様。

 これが無理に召し使いたちを引っ張り庭を大いに手入れしたゆえなら、意味はあったのだと、染々する。きっかけって必要なんだろう。

 全てが良い方向に向かっているように思えた。


(……アルヴァ様がこれまでのことで神殿に留まってくれるのなら、他の神様でも出来たような気がする。思いつかなかったのかな)


 でも私が再びアルヴァ様に会えたのは――。


 対戦途中で駒が不規則に並ぶ盤上を睨んでいる合間、ちらっとアルヴァ様の方を窺うと、彼はチェス盤の横のカップを持ち上げ、口をつけるところだった。

 チェスをはじめる前にそっとお茶を置いておくと、飲んでくれる。ちなみにお茶も最初は「苦い」と言われたけれど、次には無言だったから持ち直し成功だった。お茶に関しては前世で「美味しい」と言われた記憶があるので、修正可能ということだったのだろう。

 ……そういえばクッキーを美味しいと言われたことはなかった。今になって気がつくとは何事か。


 とにかくチェスには負けても、盤外での作戦は成功である。


「本当に変化なしだな」


 呟きつつも、添えたクッキーも食べてくれる。苦いと言いつつも食べてくれた一度目を思うと、もしかしてクッキーは苦めが好みか。焦げたクッキーと言っても、焦げて香ばしいクッキーが好きだったりするのでは。……ないか。


 一度ケーキ(ほとんど召し使い作)を置いてみたけど、手はつけられなかった。どうやらつまめるものならつまんでくれるけど、ケーキといった、口に入れるまで一段階手間がいるものは興味もないようだ。

 前世の私はほとんど庭しかいじってなくて、クッキー作りは間にちょっとくらいだったから知らなかった。

 食事も眺めていることはあっても、アルヴァ様は自分で食べようなんていうことはなかった気が。


「シエラ」


 名前を呼ばれる瞬間が好きだなと思う。

 つかの間、考えていることをすっと忘れてしまいそうな心地になるのは、どうしたことだろう。

 それはおくびにも出さず、緩んだ口元はそのままに返事する。


「いつまで考えているつもりだ」

「考える時間をおまけしてください。アルヴァ様がすぐに駒を進めるので、私は頭を使ってばかりなんです」

「それは俺が悪いのか?」

「アルヴァ様も私も悪くないところが考えものですね」


 どさくさに紛れて私も悪くないことにした。

 アルヴァ様は強すぎるので、多目に見てもらえる点がないと勝ちが見えてこない。これはそんなハンデをもらって悔しいとかいう以前の問題だ。


「まあそうでもしなければ、お前が負ける早さが増すだけだからいいか」


 納得のされ方が事実には間違いない分、どうしようもない。


「ただ、この盤面からの逆転はない」

「あるかもしれないじゃないですか。私が次にすごい手を思いついて、アルヴァ様の方の隙をつくかもという可能性はゼロではないと思います」


 目を皿のようにして盤面を見る向こう、「すごい手って何だ……」とアルヴァ様は呆れ混じりになった。

 私だって勝利なんて絶望的に限りなく近いとは分かっているにしても、すぐに諦めるのは嫌というだけ。それに、驚く手がまだあるかもしれないというのは本音。

 アルヴァ様の方の隙を突くというのは、今のところ非現実。彼の陣営には、まるで無敵を冠する軍隊のように隙がない。


 アルヴァ様は、チェスに限らずこの手の遊戯が強い。言えば、戦略が物を言う遊戯や戦略に物を言わせられる遊戯。

 ちょっとしたカードゲームも強いから、勝負運も強いのだろうとしても、強い。

 私から見てそうであるだけなのだろうか。と思って、聞いてみたことがある。

 そのときの答えを要約すると、延々とこの手の遊戯を勝負し続けていたときがあった。その相手とは互角の勝負で互いに勝ち越し負け越しを繰り返す状態だった、ということだそうな。ついでに、盤上の遊戯でなく実戦であれば彼が勝つことは間違いないらしい。

 だからこそ、遊戯がいいと。


 その神様とは何十年か前に喧嘩別れしたそうで、この先百年は会わないだろうなと言っていた。どんな喧嘩の仕方をしたのか。喧嘩をすればそれだけ会わないのが神々の常なのか。


 それはさておき、勝負し続けていたの「し続けていた」がどれくらいの時かと考えると、人間が消費する時間とは段違いだとは容易に想像できる。

 そのように同格の相手と長くしのぎを削ってきた結果、私が相対するこの強さは神様の次元ということで。


 盤面がすぐに私の劣勢になることは当然。

 アルヴァ様が悠々として、私が心安らぐ景色広げる庭に相応しくない難しい表情で盤を睨むことも定番と化している。


(――閃いた!)


 熟考の末、ぱっと表情を明るくさせて嬉々として駒をコンと進めると、すぐにコンと音が鳴る。これ以上悪くなるかという自軍の状況が悪くなった。


「…………」


 勝利への糸は今日も千切られた。





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