第13話 花が似合うひと



 このごろは私も安心して眠れるようになってきた。アルヴァ様が私が来たばかりのとき一度地上へ降りたきり、どこかへ行く気配がないおかげだ。日中も欠伸をすることはなくなり、頭がぼーっとすることもない。


「どこに飾ろうかな」


 朝起きて、一人庭へと繰り出した私は両手いっぱいにまとめた花を抱えている。

 庭の整備が完了した今、次に庭を大幅に変えるときが来るまでは花に手を入れることはない。が、花を神殿内に飾ろうと思って何種類か切ってきたという経緯。

 天界の花が切っても長持ちすることはすでに知るところだ。


「アルヴァ様の部屋は確定として、花瓶を取りに行って……花瓶、アルヴァ様の部屋にあったような気がする」


 何も刺さっていない空っぽの花瓶。単なる調度品の一部として棚の上に乗っかっていた。

 収穫してきた花は外で綺麗にしてきた後。あとは水の入った花瓶に花を刺すだけなので、早速アルヴァ様の部屋を目指す。

 庭から遠ざかり、神殿の奥への廊下を歩くと真っ白な光景だけが続く様に、私は腕の中の花を見る。

 いっそ廊下にも飾ってはどうだろうか。


(広いけど)


 広いことが問題。

 庭にしても神殿にしても広い。何かに手をつけようと思ったら膨大な範囲に及んでいくことになる。かといって一部だけなんていうことは嫌だから、どうしたものか。

 殺風景と言えば悪く聞こえるけれど、廊下自体は汚れ一つない白で綺麗で、優雅だ。


(……やっぱり庭を整えて良かった)


 大きな範囲に広がる庭が明るくなれば、心なしか神殿も明るくなったように思えるし、召し使いたちも今は自分たちから庭ではない他のことを行っている。アルヴァ様に対してかなり気を遣う様子もなくなった。

 そして、アルヴァ様は。


「おはようございます」


 ノックしてから部屋に入ると、アルヴァ様はソファーに座って本を開いていた。


「シエラ、……今度は何だそれは」

「花です。アルヴァ様の部屋に飾ろうと思って」


 答える傍ら、アルヴァ様の右手にある棚に早くも花瓶を見つけて嬉々として近づく。


「何種類かあるんですけど、どれがいいですか?」

「どれでもいい」

「全部混ぜますね」


 答えは半ば予想していた。「俺はどれでもいい、お前が選べ」といったことを彼は言う。

 花瓶を持とうと、たくさんの花を腕の中で片腕にまとめようともたもたしながら悪戦苦闘していると、側に背が高いひとが立った。

 誰と確かめずともアルヴァ様なので花を選ぶ気になったのかなと振り向いたら、――伸ばされてきた手が髪に触れる。


「な、何ですか?」


 どきりとして上ずった声で何とか尋ねると、私の頭の後頭部辺りを撫でているアルヴァ様は言う。

 表面のみを撫でているはずが、やけに指の動きを細やかに感じる。


「寝癖だ」

「ねぐせ?」

「どういう寝方をすればこんなことになる」


 おかしそうに彼が言ったその瞬間だった。アルヴァ様の口元に、微かな笑みが浮かんだ。



 私の心臓が一度、強く打つ。



「――ちょっと、これ、持っててください!」


 とっさに花をまとめてアルヴァ様に押しつけて、アルヴァ様がどんな顔をしたかは見ずに、私は自分の頭に手をやった。

 なるほど、後頭部辺りの髪が一ヶ所とんでもなく浮いている感触。跳ねているのかもしれない。気がつかなかった。

 でも、別に寝癖を見られたことが恥ずかしくて顔を逸らしたわけではない。

 手探りで、寝癖をどうにかしようとしている間中、一際大きく心臓が跳ねてから鼓動が忙しなくて収まりをみせない。

 意識も髪にはろくにいっていなくて、手櫛でいくら髪を撫で付けようと髪は大人しくならないのに、ほとんど意味もなく髪を撫でつけようとしていた。


(笑った)


 アルヴァ様が笑った。

 笑わなかったアルヴァ様。神殿に来て、初対面として会ってから険しい顔、仏頂面ではないけれど口角が上がることはなくて和みもしない地の顔、読めない表情。

 知らなかった顔だった。

 それらの、知らなかった表情でも良いものとは言えない表情よりも、私の記憶の中にある笑った顔をもう一度見たいと思って、軽くもう一つの目的に掲げていた。


 それが今、不意打ちでやって来た。

 微かでも何でも笑った事実。

 さっき僅かだけ見たアルヴァ様の表情が、記憶の中でもっと笑っている顔よりも鮮明に焼きついている。

 また彼の笑顔が見れたことを明確に理解し受け止めた胸が熱くなった。


「全く直っていないな」


 私に押しつけられた花を持ったアルヴァ様は、まだ、微笑んでいるままだったから眩しくて仕方なかった。


 ――彼は、実は花が似合うひと


 寝癖は諦め、どうにか心臓を落ち着けてアルヴァ様に花を持たせたことを謝って花を引き取った。花瓶に花を三分の一ほど入れ水を満たして、元の場所に戻すと、部屋の中に、彩り一つ。

 あるのとないのとでは、大分違う。

 残りの花は、アルヴァ様の部屋の近くの廊下と私の部屋に飾っておくことにした。







 ふと、教会の方はどうなっているだろうかと思い出した。忙しかっただけで断じて忘れてなんかなかったけれど、今の今まで記憶の薄いところにあったことは確か。

 キアラン様が、私がいなくなったことに気がつかないように、疑問に思うことがないようにしてくれると言っていたからそこは心配していない。

 気になったのはこの後のこと。

 アルヴァ様が地上へ降りる気配が完全になくなり、アルヴァ様自身が降りないと言った場合、私がキアラン様により頼まれた内容は完了されることになる。

 そうすると私は地上へ帰ることになるのだろうか。

 最初の最初はそうして、地上に戻ると思っていたけど……。


 決して地上が恋しくないわけではない。

 毎日の生活がやっとの日々でも、苦しいくて苦しくて仕方なくて逃れたいなんていうところまではいったことはない。何だかんだ気ままにやっていたから。

 けれど、いようと思えば一つのところに留まれた機会を幾つも見過ごしてきた。


 今世、家族も居なかったことで元々家はなく、お世話になった人と国内を旅をし続けていた先にその人は亡くなり、それからも一つの場所に留まらなかった。

 上手く落ち着けると感じる場所がなくて、ふらふらと、前世で傭兵をして戦場へ戦場へ行くときのようにあちこちに行く。


 ただ、前世であの地この地と行っていたのは傭兵稼業のためであり、最後には帰る場所があった。家族のいる場所。

 今の私にはそれがない。身を寄せてそれほど経っていない教会も、これから先どれくらいいたかわからない。


 今回、この神殿に来て私はアルヴァ様が地上に降りてしまわないか気がかりで寝不足気味になっている傍ら、しっくりきている部分があった。

 今世生きてきて初めて、ここにいることに落ち着いている自分がいる。


「……ここに、いつまでいられるのかな」


 そう、考えている自分がいる。


「何だ?」

「アルヴァ様、部屋に籠っていないで外に出ましょう」

「ああ」


 微笑みの名残がある柔らかな表情。


 時間が経つほど、本当に戦を司る神様かというほど、ゆっくりとした部分を持つアルヴァの姿が見えてきてくると、かつてのことを思い出すことが多くなってくるから、どうしたことか。






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