第12話 クッキー



 あの不思議な朝から一週間が経った。

 四阿周りの庭が完成し、新たに庭でのチェスは定番になっていた。アルヴァ様も嫌だとは言わないので、実は庭を気に入ってくれたというのならいいなと思う。


「これどうぞ」

「何だこれは」


 座るアルヴァ様が、立つ私を見上げた。


「クッキーです」

「クッキー……?」


 チェスを始める前に私がテーブルの上に差し出したのは一皿のクッキー。見た通りクッキーなのに、と首をかしげて教えると疑問符の付随する言葉が返ってきた。


「急に出してきたことも、クッキーに見えるかどうかはこの際いい。――俺にそういったものは必要ない」

「知ってますけど、上手く焼けたので」

「上手く……?」

「はい」


 アルヴァ様がまた聞き返すようにしてきたので自信満々に頷き返した。

 上出来ではないか。ちょっと焦げたりしたけど、今世ではじめて焼いたクッキーは前世作ったものと遜色ない出来映えになった。身体能力は違っても記憶とは侮れない。


「庭が出来たじゃないですか」

「そうだな」

「次に何をしようか考えたんですよ。その結果です」

「このクッキー? が?」

「何でそこに疑問がつくんですか、失礼な。本当は掃除でもしようかと思ったんです、そっちの方が得意なので。けど神殿って汚れないですよね」

「ああ」

「だからお菓子作りをして、食に無関心なアルヴァ様の胃袋を掴んだ上でお茶会を目指そうと思いまして」

「……変に婉曲した目標を作るな」

「ということで、どうぞ」


 真剣に皿をもう一押しして、アルヴァ様をじっと見る。


「……置いておけ」


 食べたくなるように見た目を飾るべきだったかもしれない。


 クッキーを並べたお皿は寂しく傍らに、私とアルヴァ様はチェスをしはじめた。

 努力空しく私が劣勢になることに変化はなく、今日も私が頭の中でうんうん唸って盤面を睨んでいると、「シエラ」と呼ばれた。

 アルヴァ様が、シエラと名前を呼んでくれるようになった。今日より五日前の突然の出来事である。密かに嬉しかったこと。

 呼ばれた瞬間、耳を疑い、声にじわりと胸に広がる温かさがあった。


「何ですか?」


 されはさておき、現在頭を振り絞っている最中。


「お前は負け続けて楽しいのか?」

「負け続けるから挑みたくなるんですよ」


 どうやらアルヴァ様には理解できない模様。

 チェスを何十回も挑み、すでに三桁に届いていてもおかしくはない回数負け続けている私。勝つ気配もない。私自身勝てる!と確信を持てたことが一度もないほど、アルヴァ様の強さは異次元だ。

 『前』にも一言一句同じ事を言われたことがある。チェスを教えてもらい、今と同じように挑み続けていたある日のこと。心底不思議そうにアルヴァ様は尋ねてきた。

 私のこういうところも変わっていないようで、同じことを言った。

 それをとっさに言い返していた。


「理解出来ないな」

「一度盛大に負け続けると分かるかもしれませんよ」

「お前ほど負け続けるはずがないから分かる日は来ないだろうな」

「大丈夫です。私が同じ数連続で負かせてみせます」

「それは楽しみだ」


 楽しみにしている風には聞こえなかった。

 冗談としてとっていること間違いなしなので、ますます負けん気が出てくる。


「貴重な体験をさせてみせますからね!」


 考えた末にアルヴァ様を見据えて音を立てて駒を動かすと、直後に対する駒が動かされた。


「………………」

「ほど遠そうだな」


 数秒経たずして次の手を考えることになった私はぐうの音も出なかった。







 働かせすぎた頭が疲れた私はテーブルの上に伏した。


「……負けた……」


 負けた。五戦全敗。


「いくらやっても弱いな」

「……アルヴァ様が強すぎるんです」

「今日は止めるか」

「いいえ次こそ。……あとちょっと待ってください。復活するので」


 コトコトと響いてくる駒を盤上に並べる音を耳に、伏せている顔をずらして横に向けると、綺麗な庭。

 描いた理想をそのまま映し出したかのような庭は、蝶や蜂でも飛んでいそうなものが地上とは異なって飛ばない。のどかな空気に囀ずる鳥もいない、駒を並べる音が早くもなくなると、静寂に包まれる。

 それが少しも気まずいとか張り詰めたものではなくて、とても心地よくて目を閉じてしまう。

 そうすると眠気なんてなかったはずがずっと目を閉じていたいような気分になる。このまま、この空気に浸っておきたいような。


「……寝たのか?」


 寝ていないけど口を開くのが遅れていると、しばらく突っ伏して身動きしない私が寝たのではないかと思ってだろう尋ねたアルヴァ様は、


「まあいいか」


 返事がないことで完全に寝たと判断したようだ。

 本当は寝ていない私はアルヴァ様がどこかに行く気配がなかったことで、寝ていないけれど突っ伏していたい気分に浸り続ける。

 このまま本当に眠ってしまうことは避けないといけないな、と思いながらも微睡み直前の位置をさ迷いはじめてくる。

 この場所で、アルヴァ様が側にいるということが分かってる上でのその心地よさに、これ以上なく浸りきり、無意識にまた懐かしいと思っていたからだろうか。


 頭を優しく撫でられたような、そんな、感じがしたのは夢か現実か、懐かしさと微睡みが甦らせたものかどうかは定かではない。


(………………寝てた……)


 前触れなくふっと意識が浮上して、自分の体勢と瞼の重みの名残にあのまま寝てしまったのかと悟る。

 ここは昼寝には絶好の場所だから、と目覚めの景色としては贅沢な薔薇咲き誇る景色の薔薇を輪郭まではっきりと見える過程をまだじっと過ごす。薔薇の香りはそれほど強くないから、相乗効果が……。


(そういえば、アルヴァ様、)


 いるだろうか。どれくらいアルヴァ様をそっちのけで微睡んでいたのか、と急にはっとするとパキッと耳慣れない音が聞こえた。


(パキッ?)


 向かい側から聞こえてくる、とそっと顔を上げるとアルヴァ様の姿があることにまず一安心。

 それからちょっと呆ける。

 暇をもて余した結果か、アルヴァ様は脇に退けていたクッキーを食べているではないか。丸いクッキーが歯に挟まれて折れる音。パキッ。この音だったのか。

 作った本人なのに忘れかけていた私が思わず盗み見状態の体勢をしている前で、クッキーを咀嚼したアルヴァ様は残りも口の中に放り込む。

 読めない表情のまま食べ続けている。

 咀嚼、咀嚼。もう一枚。パキッ。咀嚼。




 そして、一言。


「苦い」


 待望の感想は、読めない表情での「苦い」。

 ちょっと焦げすぎたかな。それともうろ覚えのレシピで作ったからそれが原因かな。

 私の記憶は細かいところは少々定かではないのだ。

 私は聞こえないふりをして、伏せ直した。

 次は砂糖をもっと入れたら緩和されるだろうか。


(アルヴァ様が食べてくれるなら、作る楽しみがあるなぁ……)


 苦いと言うわりに、暇潰しかクッキーを食べる音は続いた。





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