第11話 居眠り
「眠い……」
夜の帳が下り数時間、廊下を歩いている私は若干足元が覚束ない。
眠い。眠気が今までの中で一番強く襲ってくる。
最近日中に欠伸をすることも増えてきて、頭がぼんやりすることもあったけれど、ここまで身体が重いとは奥の庭は特に急いで駆け回っていたからかな……。
「痛っ」
またふらっとすると、それだけでは済まずに柱に頭を打ち頭を抱え座り込む。
ああ痛い。眠い。感じる痛みも他人ごとみたいに二の次で、眠すぎた。これは駄目だと私は少し休憩してから部屋に戻ろうと、寒くもない暑くもない天界の気候と、誰かが通る確率が低いことに甘えてそのまま柱にもたれかかる。
「ちょっとだけ……」
抵抗を止めた意識はそこから急激に薄れていった。
――――――身体が揺れている。
「――――」
誰かが何かを言っている。
この声は。
「……アルヴァ様……?」
知った声の主の名を呟くと身体の揺れ、特に肩からの揺れが止まる。
私の意識は浮上していて、最初に思ったのは微妙にお尻が痛い。うっすら目を開くと、何かにもたれかかっている状態らしいことが薄々理解でき、今にも閉じてしまいそうな瞼をどうにか堪える。
ここは……廊下?
神殿のどこかの廊下。暗い。
眠気が覚めきらずぼんやりしていると、そこでやっと誰かが前にいることに気がつく。
「……アルヴァ様、こんな夜遅くに何してるんですか? 廊下ですよ?」
「それは俺がお前に言うことだ」
「……?」
ぼやけた視界で、よく見えないアルヴァ様が呆れたようになったことは見なくても分かった。
「廊下は寝る場所ではない。人間には違うわけでもないだろう」
「……人間には睡眠が必要なんですよ」
「そうだろうな」
そうだ、眠くてここで少し休憩してからと思ったんだ。
「思えば、お前顔色が悪いな」
「そんなこと、ないです」
「くまか」
手が伸びてきたと見えると、目の下に触れた。
「寝ていないのか」
「寝てますよ」
ああまだ少し眠い。ふらふらするなぁとは感じていたところに、とうとう限界が来ていたのかもしれない。
目の下を撫でた指の心地よさに瞼が落ちた途端、元々ぼんやりしていた現実味が決定的になくなった。
「……でも、……アルヴァ様が、どこかに行ってしまわないかと思うと、心配ですよね」
地上へ降りてしまわないかと思って。
寝不足気味なのは、いつでもアルヴァ様を止められるようにと睡眠時間を短くして、その上気を張っていたためだろう。本音ではアルヴァ様の部屋の前にいたいくらいなんだから。
庭のことに集中しているようで、四六時中つきまとうことが出来ないアルヴァ様が本当に部屋にいるのかと気がかりだった。
そういう意味では、彼の姿が四阿にあったことは安心できたのだ。
「……心配?」
私は頷こうとする。
「酷い庭が、アルヴァ様を表してるみたいで……」
地上に戦禍が広がることを止めに来た。
そのはずが、庭を見て神殿の刺々しい空気を感じ、アルヴァ様の私が知らない目を見て、このまま彼が地上へ降り続けると彼が取り返しのつかないことになってしまいそうに感じた。
物騒な、冷たい瞳は放っておいてはならないと。
「取り返しのつかないことになるかもしれないって、こわかった、ですね」
目の下に触れていた指が固まったまま動いていないと感じ、意識が現実に傾く。
閉じてしまっていた目を開くと、アルヴァ様がいるけれど、顔はやっぱりよく見えない。
「お前、」
「……?」
「ここにいるのなら、こんな真似はするな。……俺も驚く」
何だ、そんなことか。
「アルヴァ様公認で、いてもいいんですか?」
「俺が出ていけと言えば、出ていくのか」
「出て行きませんね。たぶん。……でも、これ以上なく嫌われるのならさすがに辛いので、どうでしょう」
緩く微笑んで、アルヴァ様を見上げる。
「出ていけと言いますか?」
それはすごく悲しい。
だってアルヴァ様とまた会えて、過ごす時間は懐かしすぎて、落ち着いて、好きだから。失った時間を取り戻しているような気持ちに、勝手に陥ることがある。
心の奥から、温かく感情が溢れる。
「いいや」
アルヴァ様のその言葉に、どうしようもないくらいに安堵する。
「お前がいる空間は、悪くない」
指が、私の目にかかる前髪を払った。
逸らされない目が細められる。黒い瞳がもう淀んではいないことを、今、知った。
以前の彼に、重なった気がした。
「それは、良かったです」
「地上には降りないから、寝ろ」
「そ、ですか?」
自分でも何を声に出して何を話しているのか理解できていない。
「……あ、あと、一つだけいいですか」
「何だ」
「欲を言えば、ですね、名前で呼んで欲しいですね。私にだって、名前があるんですから……」
私はシエラ。
あなたとははじめましてのシエラだ。
***
起きたら、なぜか椅子に座ってこちらを見下ろすアルヴァ様がいた。耳につけられた飾りがきらきらと揺れ、星の輝きのようだと思った。
「……何で?」
私はベッドに横たわっていた。
見える限りでもここは私が使わせてもらっている部屋でも、アルヴァ様の部屋でもない。神殿のどこかの部屋ということしか分からなかった。
ベッド脇にアルヴァ様がいる事象に驚き何度瞬いても変わらないもので、どうしたことか。
「おはようございます?」
状況が分からないながらに挨拶しておく。
「起きたか」
「起きました。これは如何様な状況でしょうか」
なぜにアルヴァ様がそこにいて、私は寝ていて、知らない部屋なのか。
「お前が寝た。それも俺の服を掴んでからな」
「服?」
指摘されて見ると、右手が固く何かを握り締めていた。服。辿ると、アルヴァ様の服。
すぐに離したものの、皺になってしまったかもしれない。
「こ、これはすみません。……寝たって何ですか?」
寝たとは、私が寝るとすれば部屋に戻るはずだから……頭がすっきりしているわりに昨日の記憶が曖昧だ。
「あの、もしかするとなんですけど、運んでくださったりとか……」
「お前が寝たからな」
「寝たとは、どこで」
「廊下だ」
「……廊下は寝るところじゃないですよ?」
「知るか。お前が寝ていたんだろう。……見つけたときは死んでいるかと思った」
「死っ……縁起でもないんですけど……」
止めてほしい。
「廊下でうずくまっていて起きたかと思えば、また急に意識を失い、これだ」
「ご迷惑、おかけしました……あの、」
「次は何だ」
「寝言とか言ってませんでした?」
「ああ言っていた」
「ど、どんなこと言ってましたか」
「さあな」
寝言の記憶はないから、内容は分かりようがない。起きたと言われてもそんな記憶もない。自分の頭の具合を恨む。
「とりあえず忘れておいてください」
「嫌だ」
「嫌だ!?」
結局アルヴァ様は寝言の内容を教えてくれなかった。
「寝不足で倒れるのは止めろ」
とだけ言ってきた目から虚な色がなくなっていることに、今、気がついた。
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