第3話 突然の訪問




 薄色の金の髪に灰色の目という色彩を持つ男性。ゆったりとした白い衣服を身につけた姿からは、やはりその存在を強調するような光が沿う。


「キアラン様ですよね……?」


 私は起き上がり、もう一度恐る恐る同じ名前を声にする。

 何だこれは夢かと。それにしてもこんな夢を見ることはなかったので不思議極まりない。確かめるための行動。


「私を、覚えておられる?」

「は、はい、まあなぜか」

「……まさか、創世神様が……」


 あちらから声が返ってきて会話は一応成立。

 目が冴え、夢説がほぼ消滅しかけている一方で見えていることは確かとはいえ、にわかには信じられない気持ちでいっぱいだ。


 ――目の前に現れた男性の正体は一柱の神


 普通に生きていれば人間が目にすることはまずない存在。実際に関わることがなければこのような姿をしているのだとも知りようもない存在と、私は前世関わっていた。その繋がりで関わっていた神様。

 しかし今世。前世とは生を異なった私は生まれて十七年、どこにいてもおかしくない人間として過ごしてきた。そもそも前世が稀だったのである。

 とにかく、教会で祭られている神々の一柱と教会で働く人間に過ぎない位置関係となっていた私の日常には二度も起こるはずのない出来事だと思っていた。


「あの、本物ですか?」

「変なことをお聞きになりますね。私の偽物がいるのですか?」

「いや、そういうことではなくてですね……現実ですか?」


 目を擦ってみても生真面目な言をする前の神様は消えないし、頬をつねってみると痛い。夢の中でも痛覚ってあるのだろうか。こんな現実としか思えないような夢ってあるのだろうか。


「現実以外にどのような選択肢が?」

「夢、とか」

「では現実です」


 あ、そうですか。

 少し動けば軋むベッドが、身動ぎしたことで音を立てた。

 現実だと肯定されてまず行ったことは、部屋の中を意味もなくきょろきょろ見回すこと。そして、気がついたことあって前に立つ神様を避けてその後ろを見る。様子を窺ったミレイアさんは、眠りに沈んでいるようで目を開く気配はなし。同じく起きる様子はない。


「ご心配なく。他の人間が起きることはありません」


 ほっとしていたら、上からそんな言葉が降ってきてキアラン様をそっちのけにしていたことを思い出した。

 慌てて傾けていた身体を元に戻し、ベッドの上で出来るだけ居住まいを正す。


「え、えぇと、キアラン様」

「はい」

「これは現実ということで良いんですね?」

「はい」


 未だに信じ難い。

 きちんと座って、対する前には知っている顔があるのだけれど、知っている顔だからこそ夢ではないかと思う。だってこの神と関わっていたのは今世ではなく、前世のことだから。

 容姿も声も、記憶以外のものが変わってしまった私の中で遠い昔のように感じざるを得なくなっている今、何か透明な壁を一枚隔てているような感覚が……。


貴女あなたは、エレナさんでいらっしゃいますね」


 眠りは身体が欲しているのかどこかぼんやりとしていたら、一つの名前で呼びかけられて心より先に身体が反射的にぴくりと反応する。

 エレナ――懐かしい。前世の私の名前。

 今とは異なる容姿をしていた私の名前。

 懐かしいと思うことは避けられないが、かつての呼び方をされた私は薄く微笑む。


「キアラン様……私は、私の名前は、シエラです」


 生まれ、この姿で生きてきた私の名前はシエラ。

 前世の記憶があっても前世の私と、シエラとして生まれ過ごしてきた私の道は完全に別れているのだろう。

 前世の記憶を誰にも話すことはなく――話していても狂人だと思われていただろうか――自分の中だけに仕舞っていた。シエラと呼ばれ、家族も誰もいない新たな環境により知らしめられる新たな生を歩もうと思い、シエラとして歩んできた。身体能力も違い、必然的に別の生き方をしてきたから、前世と重なることもなかった。


 私がやんわり訂正すると、キアラン様は僅かに目を瞠り、それから一つ頷いた。


「分かりました。これより先はシエラさん、と。ただこれだけは確認させて頂きたいのです。貴女がかつてのエレナさんであったこと」


 私は黙って顎を引くことで肯定に代える。


「お久しぶりでございます。急なご無礼を致しましたこと、申し訳ございません」


 相変わらず丁寧な言葉使いに物腰の神様は謝る動作をした。

 私はとんでもないと首を横に降りつつも内心は激しく同意していた。

 まったくだ、と。本当に急だ。

 神様とは永遠の時を生きる。それは人間である私が死んでもあちらは体記憶共に変わらないだろうが……。

 キアラン様、と呼びかけずにはいられなかったけれど、前世を知る神と再会して嬉しいという感情は今のところ浮かんではいなかった。

 戸惑いが強い。


「今日は、どうしたんですか?」


 前世に関わっていたとしても、今世の私に何か用だろうか。ここに、枕元に、明らかに私の元に訪ねてきたその理由は。

 戸惑いに拍車をかけているのは、理由不明という要素。

 出来るだけ落ち着いてひとまずそれからだと問う。


「私と一緒に来て頂きたいのです」

「え?」

「急なこととは承知ですが」


 何と言ったろうか、突然現れたこの神様は。


「一緒に……? って、どこへ?」

「天界へ」


 地上が人間が住まう領域だとするならば、天界とは神々が住まう領域。人間が自力では至ることさえ出来ない場所。

 唐突な言葉を完全には理解出来ていなかった思考が、重ねられた言葉にもっと動きが悪くなる。

 そんなに物分かりが悪い方ではないので、おそらく悪いのはよく分からないことを言っている神様の方だ。


「……天界へ……」

「貴女にお頼みしたいことがあるのです」


 私の理解が追い付くことをちょっと待って欲しい。

 頭の中では抱えきれなかった一部分を口に出して反芻していると、キアラン様が勝手に続きに進んでしまったので思考を解きほぐす作業が滞る。


(一緒に天界へ……頼みたいことがある……?)


 それでも何とかキアラン様の言葉を思い出し、繋ぎ合わせることが出来た。

 出来たが、意味が汲み取れない。


「……頼みたいこと?」

「はい」

「一体何ですか?」

「現在、地上に戦の範囲が広がっていることはご存知でしょうか」

「ぼんやりとは」

「その戦禍」


 キアラン様の灰色の瞳が真っ直ぐ真剣に射ぬいてくるから、私は知らず知らずの内に息を潜めた。


「今、地上に広がる戦禍は『あの方』によるものです」


 あの方、という示し方をされたのに私の理解は今日一番の早さを見せた。

 キアラン様を凝視し、一拍の沈黙を挟んだ後慎重に口を開く。


「……それは、本当ですか」

「はい。……シエラさん、どうか、助けてくださいませんか」

「助ける?」

「あの方を止めて頂きたい」


 私に、止めてもらいたい。

 一緒に天界へ行き、してもらいたい頼み。


「どうして、私に」

「貴女しかいないのです」

「……でも私はもう、エレナではありません」

「承知の上でお頼み申し上げたい」


 あまりにも真剣な顔で重ねて頼まれたので、私は断る口を閉ざした。

 実際に見たわけではないので、耳に挟んだ限りでは始まりは現在より何年か前に遡ることだそうだ。私が今世生まれたこの小国の周りで、初めは離れたところから始まった戦の火が広がっていった。戦は収まりを見せることなく現在、とうとうこの国も戦禍に巻き込まれる一歩前といったところまで来ている。

 それがなるべくして自然に起こったことではなく、神様の力で起きたことだとするのなら……


「どうして、そんなことになっているんですか。そんなことをしているんですか?」

「それは――」


 キアラン様は珍しく迷ったような様子を見せる。どのように言うべきか迷っているのか、言葉を選びかねているのか。


「……理由を聞かずに引き受けて頂くことは出来ませんか?」

「言うことが出来ない理由なんですか?」


 無言が返る。

 言えない理由とは、神々の事情というものだろうか。決して人間には図り切れない神々。


「それに私でなくても、天界の神々が止めればいいんじゃ……」

「お止まりにならないのですよ」


 間髪入れずに、否定された。


「このままでは地上世界は滅びてしまいます。だから貴女に、止めて頂きたい」


 キアラン様は真剣だ。

 冗談を言うような方ではないことは元より、この場での今の眼差しの真剣さが発言の本気さを確固たるものだと私に分からせる。

 そのため、私は疑問やらを発していた口を閉じる。

 考える。

 突然の一柱の神の訪問。何かと思えば、神々ですら止められない、とある神様の行動を止めて欲しい。

 前世、『その神』に関わっていたとはいえ、生まれ変わってしまった私に。私に、何の期待を抱いているというのか。

 今世を送ること十七年、新たに何の変鉄もない道を歩み始めていた私に。


 キアラン様は変わらず真摯な眼差しで私の答えを待っている。

 私は、唇を開く。


「……そうですね、私もこのままでは困ります。ただ待っているだけより、出来ることがあるのならやりたいと思います」


 声を届けられるのなら、その位置に行くことが出来るなら、止める努力をしようではないか。


「ありがとうございます」

「ただ、一つ」

「はい」

「私はシエラです」


 この言葉の意味が伝わらないキアラン様ではあるまい。


「承知しております。シエラさん、お願い致します」


 一柱の神様が丁寧に受け入れ、ここに『頼み事』は成立した。


「では早速で申し訳ないのですが、私と共に天界へ――」

「その前に」


 不敬にも言葉途中に口を挟ませてもらうと、キアラン様は気分を害した様子はなく単に言葉を遮られた所以を問うように首をかしげる。

 どうしたのかと問う視線に、私はあれこれと思案しながらとりあえずはこれをしなければということを言う。


「その前に、お暇を頂けるか聞きに行ってもいいですか?」


 そのときになって初めてキアラン様は私が現在一体どのような場所におり、どのような境遇なのかに意識を向けたようだった。





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