第4話 初対面の再会




 暇をもらえるか聞いてからと言った私に、キアラン様は何度か瞬いたのち、「そういうことですか」と呟き、次いで「心配はいりません」と言った。私が天界にいる間、不在に気がつくこと、疑問に思うことがないようにしてくれるとのこと。そんなことが出来るのか。

 神様の言うことなので、私が疑うことはない。それならばと次は寝るときの服から仕事着に着替え、せめてもとミレイアさんに一方的に挨拶してからキアラン様の手を取ると――気がつけばそこにいた。


 巨大な、白い石とも木とも分からない不思議な材質で作られた美しい建造物の前。人が作ることは不可能だろうと思わせ、目が奪われる。

 周りを見ると見える範囲に別の建物はなく、ただただ遥か遠くまで澄み渡る空が広がる。


 懐かしさが、胸に滲んだ気がした。


 けれど中に入ると、郷愁に似た感情は薄れた。

 あ、ちょっとすみません服握ってもいいですかなんて口走りそうになった。それくらいに不気味な雰囲気を感じざるを得ない場所を歩いていた。滑るように歩むキアラン様と違って私が歩く度に靴音が鳴る。

 中に入っても建物が形作る柱、床、壁、天井と材質の美しさは変わらない。そのはずなのに何だろうこれは……。


 長く長く、突き当たりが遥か向こうにやっと見えるくらい長い廊下は暗い。歩く廊下の幅は十分すぎるくらい広いのに、微妙な圧迫感を覚えるようなのは……暗いから?

 目だけを落ち着きなく左右にさ迷わせていた私は先を行くキアラン様をちらっと見てみる。キアラン様は普段そうであるように、無表情とも涼しい顔とも言える様子。

 その様子が、キアラン様が元々大抵のことに動じることはないから変わった様子が見られないのか、周りのこの雰囲気が通常なのか、私が感じてることが気のせいなのか。

 どれなのだろう。仮に最後の選択肢だとしても、現在の私には気のせいだとは思えない。


 ――ここは私の知っている場所じゃない


 右手から壁が消えた。

 外、庭に繋がる通路に出てきたのだ。


「これは……」


 広がった光景に、ここまでに感じていた雰囲気で不安で曇っていた表情が強ばる。


(酷い庭……)


 一言で表すとそうだった。

 酷い。

 広がるはずの広い庭に本来あるべき華やかさ溢れる庭、もしくは庭木だけがあり剪定されたすっきりした庭、いずれも広がらなかった。

 花はない。

 木々はあるにはある。

 まだまだ先に続く庭に誘うかのように道を作る植木は葉もまばら。辛うじてついている葉は茶色に侵され朽ちかけ、枝も頼りないほど細く枯れかけ。

 地面一面に敷かれていたのだろう芝生は元は青々としていたはずがこちらも枯れ、変色している。

 花の色とりどりさがないのは百歩譲って良いとして、美しい緑さえもないどころか、これはこんなに広い庭なのにもったいない……を通り越して酷い。

 庭がない方がまし。

 天界という場所にあるまじき姿だ。


「酷い有り様ですね……」

「主の様子を反映しているのです」


 これが?


「……見た目の問題ではありませんよ」


 考えが分かったかのように付け加えられた。

 キアラン様を見上げると、彼は見るのが辛いというように庭を映した灰の瞳を細めた。


「キアラン様?」

「今、この神殿ではどこも似たような様子です」

「どこも……」

「召し使いも最早機能を果たしていません」


 神々の神殿には、人ではなく神様でもないが神々に仕えるために永い生を持つ存在がいる。数は普通、そこまで多くない。神殿は人の造形物のようにどれだけの時が経とうとも自然に壊れることも汚れることもない。食事を摂らなくてもいい。食事は嗜好品として嗜まれることはある。

 以上により、神殿維持のためや食事掃除担当といった手がいらない。神々によっては食事することを好んだり、庭にも色々なこだわりにより、多くの召し使いを置いている神殿もあるとか。

 召し使いは何も言わなくとも、何かをしようとする。主のために何かをすることが意義なのだ。例えば、このように庭があれば召し使いたちは何も言わずとも主に相応しい庭を作り上げ、時に趣も変える。


「召し使いたちはどこに?」

「この神殿内にいます」


 いるのなら、誰かが来れば「一人」くらいは姿を現すはずだ。

 やっぱりここは、おかしい。


「いますが、主が何も言わないのではなく、庭を整えることも何も望まないので何もすることなくどこかにひっそりといます。萎縮していると言ってもいいでしょう……いくらかは消えもしたようです」


 消えた。

 召し使いは神ではない。神々に仕えるに相応しい永い生を持つが、死という概念がある。


「アルヴァ様は、」


 驚き弾みで口にした名前がキアラン様に続き、あまりに久しぶりすぎて喉につかえた。

 息を吸い、言い直す。


「アルヴァ様はどんな様子になっているというんですか」

「それを知るには、見て頂いた方が早いです」


 歩みは止まっていない。横目に荒れた庭が続く。

 キアラン様が進んで行く先に、いるのだろうか。見た方が早いと言うキアラン様はそのために進んでいるのか。


 頼み事を聞き、神殿に来てから大きくなる違和感と不穏さは足を鈍らせてしまいそうだ。

 他にも、不穏さ云々以前にこの先に『彼』がいるのかもしれないのだとここで自覚し、不意に呼吸に困る。緊張だ。キアラン様と突然再会してしまったのとは訳が違う。

 会いたいような、会いたくないような。ここまでついて来たくせに、会うのが怖いような。


(落ち着け)


「一つだけ、申し上げておきたいことが」


 緊張を自覚してしまい、手を握っていた私は知らない内に床を見ていた視線を上げる。


「アルヴァ様のことで」

「……何ですか?」

「アルヴァ様には、貴女の記憶がありません」

「? まあ私は今から『初対面』ですから」

「違います」


 今世、この姿では初めて会うし、初めましてで会うつもりだった。

 記憶があるなんて、見た目だけでは分からない。容姿からしても前世と今世の私は全く同じというわけにはいかないのだから。

 初めまして、だ。

 そういう意味で言ったら、キアラン様は首を真横に振る。否定。


「そういう意味ではなく、――以前の貴女の記憶がないのです」

「……え」



 生ぬるい風が吹いた。

 植木のみずぼらしい葉が擦れ合う、かさかさという音。

 一枚、朽ちかけた茶色の葉が地に落ちる。

 赤みの混ざった、私自身の濃い茶の毛先が視界を過る。


 風は私の元まで至ると、風に紛れた何かのにおいが鼻を刺激する。

 血の臭いだ、と直感した。

 それも、料理中に指を切ってしまったような種類の血のにおいではない。砂埃が混じる場所で流された、生臭い血のにおい。

 そのにおいは錯覚だったのではないかというほどに一瞬擦っていただけで、風もろともなくなる。

 一瞬を追い、私は風の吹いてきた方を見た。



 男がいた。

 神殿の奥へ通ずる通路から、庭に面する通路へ出てきたのだろう。左手から音もなく、気配もまるで感じさせずに幽霊のように出てきた男性は人とは一線を画した貴さを感じさせる立ち姿を持つ。

 キアラン様よりも背が高く、服装も異なり、軍服を思わせる服装。

 見える横顔は、柔らかさが欠片もない鋭い美貌。後ろへ流す髪は鋼の色合いをし、目は――前方に向けられていた顔が動く。

 眼は、複雑な色合いの、淀んだ血の塊のような黒をしていた。


(……物騒な目……)


 強盗がする目よりももっと物騒な目が、捉えられた私にピリピリとした感覚を及ぼしてくる。

 合わせて周りの空気を殺伐としたものに早変わりさせ、私には何の敵意もないのに、一触即発の空気も漂う。眉間に皺が刻まれる。

 庭の有り様は『この神殿の主』の様子を反映している、というキアラン様が言ったことが腑に落ちた。

 その神が出す雰囲気はこの神殿に足を踏み入れてから立ち込める雰囲気そのもの。


 ――私は、こんな彼を知らない


 思ったとほぼ同時。

 その神様の唇が、動く。


「お前は、何だ」


 私の呼吸は、凍りついた。







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