第2話 私の境遇




 実は私がこの教会に来てから、それほどの歳月は経っていない。数えて三ヶ月といったところか。

 ミレイアさんと会ったのも当然それほどというわけだけど、彼女と打ち解けた会話を交わすことが出来ているのは一重にミレイアさんの人柄ゆえだ。ミレイアさんは誰にでも気さくな接し方をする人なので、私は彼女が仕事を教えてくれる人で運がいい。


「子猫無事に捕獲です!」

「それなら早く降りてきて。誰かに見られちゃう」


 訳あって木に登っていた私は下からの催促に、掲げていた子猫を抱いて木を下りる。

 脱いでいた靴の上に着地すると、手の中から「ミャー」と高く細い声が上がる。


「きみは下りられないのに登るのは駄目……痛っ!」


 離す前に茶色の子猫に注意を垂れようとしていたら、手入れされていないために伸びっぱなしの爪が食い込んだ。

 小さな猫の不意打ち攻撃に堪らず手を離すと、手からごわごわとふわふわと境目の手触りが滑り落ちる。


「あ!」


 短く痛みに声をあげている内に、気がつけば猫はどこぞへ走って行ってしまうところだった。


「あー……」


 恩知らず。いやいや野良猫は小さな存在といえど警戒心が強く、人間を避けるもの。

 木の上でずっとか細く鳴き続ける状態から助けられたことに満足しようではないか。

 しかし残念。子猫はとても可愛かった。

 最早可愛いらしさの毛の先も見えない方向に向かって、残念な声を伸ばさずにはいられなかった。


「行ってしまったわね」

「行ってしまいました」


 ミレイアさんはあまり残念そうではなかった。


「シエラは身軽ね」


 木から下りられなくなっていた猫の救出のため木に上る間、誰かに見られては少々はしたないということで見張ってくれていたミレイアさん。あっさりと猫の去った方向から木を見上げた。太い幹から枝が伸びるのは数メートル先。


「これくらいなら大したことないですよ」

「少なくともあんなに早く上れる子を見たことがないわ」

「そうですか? あ、私以前はあちこちを転々としていたときに芸をする方々と一緒にいたこともあって芸を教えてもらったこともあるので、そのおかげはあるかもしれません」


 確か子どものときのことなので影響はある、かもしれない。そうは言えど人並みからは外れない程度だとも発覚したのだけれど。


「あちこち? 旅でもしていたの?」

「簡単に言うとそうです」


 ミレイアさんが引っかかったのは別の箇所であったよう。

 肯定しながら、そういえば教会に来てから聞かれたことも言う機会もなかったと思い当たる。聞かれたこともなかったことに今気がついた。

 もしかして気を遣って踏み込まずにいてくれたのだろうか。出会って三ヶ月ということもある。


「私、ここにお世話になると決まる前はあちこちを回っている薬師の人について回っていたんですよ」


 途中止めることになった足を進めはじめてから、行きがてら話すことにした。

 別に隠すことではない。気を遣われるほど悲劇的な話もない。

 話しはじめるとミレイアさんにじっと真剣な眼差しを向けられていることを感じた。


「その人は血も繋がっていないおじいちゃんだったんですけど、物心ついたときにはどうも親も家族もいなかった私を、ふらっと出会っただけなのに一緒に連れて行ってくれた人なんです。そのおじいちゃんがあちこちを回る薬師だったので、ときに馬車で旅をしている方々に途中まで乗せて行ってもらったりと旅をしていました」


 国を出ることはなく、あくまで国の中をあちこち。東西南北へ。


「まぁそこそこのおじいちゃんでしたから五年前に創世神様の元へ旅立ち、私はそこから、薬師は出来ないので色々頑張りながら転々として――ここに来ました!」


 そしてここが現在地ですと途中の細かい旅話を大分省いて話を纏めると、ミレイアさんはまず「あなたのおじいさまがご無事に創世神様の元への旅を終えていますように」と呟いた。私は「ありがとうございます」と微笑む。

 ミレイアさんは教会という場に相応しい人柄をしている。


「突然来たときには訳ありそうだったのに明るいシエラの源が分かった気がするわ」

「気を遣ってもらってたのに何かすみません?」

「そこまで気は遣っていないわ。マナーよマナー」


 マナーか。では私も身につけなければ。


「それにしても、転々とということは元々この土地にいたのではないの?」

「はい」

「どこかに落ち着こうとは思わなかったの?」

「そうですね……一所に留まることが出来ない性分というわけでもないんですけど、上手く落ち着く場所がいまいち……」


 そんな落ち着きのない性格や、冒険心溢れる性格が生まれたことはないはず。出来れば居住を構え一所にのんびり留まりたい気持ちはある。しかし落ち着く場所、ここだと思えるところがないのはなぜなのだろう。

 物心ついたときから家族がいないからだろうか。

 お世話になったおじいちゃんとの旅生活が身に染みてしまったというのか。


「ここは落ち着く場所になりそう?」


 考えているとミレイアさんに言われて、合った目を見つめ返して少し。


「スープがおいしいですね」

「そこなの?」

「大事ですよ?」


 首をかしげられたので、私も首をかしげる。

 ミレイアさんがふっと笑う。


「じゃあ食事分の仕事をしないとね?」

「もちろんです」


 生きるためには働かなければならないのだ。前世も今世もそこは変わらない。その働き方が変わり、どれほど日々を暮らすだけで精一杯だとしてもまあ平和な日々。

 教会に身を寄せる身になり、自分で稼ぎ日々をやりくりしていく形とは多少異なるとはいえ、働かざる者食うべからずである。

 私は今度は雑巾を握るために歩いていった。





 昼を挟んでいつものように仕事をし、寝るための部屋に戻り、早々に眠りにつく。

 明日の朝も早い。

 ここのところ寒くなってきていて暖炉のなく、外と同じ気温にまで下がっている部屋は夜になると冬かと思うほど寒い。横になって薄い布を被っても寒さは和らがないけれど、不思議と眠りには落ちていくもので、次の問題は朝起きることが辛くなっていること。と言っても意識がうとうとしてくる頃には欠片ほども考えていない。

 その日の疲れで朝、私が申し訳なくも中々起きないためにミレイアさんに声をかけられるまでは夢の中。

 だから、夜中になんて目覚めることはあり得ないはず。



 瞼の裏に淡い光が灯っていることに気がついたのがいつからかは、明確には分からない。

 眠りの世界と現実の間をさ迷っていたらしい意識は、閉じているはずの視界異変を捉えるや一気に現実に傾いていく。

 重い瞼の裏が明るい。一体、何の光だというのだろう。部屋に窓はないから、蝋燭の火を消してしまえば真っ暗。かといって蝋燭の灯りの色には思えない。

 何だろうという疑問が違和感に変わり、私は重い瞼を押し上げた。

 苦労して開いた視界は寝起きの目のせいでぼやけている。


(何の光……?)


 蝋燭に灯した小さな火のぼんやりとした暗い橙ではなく、白い。おまけにその白い光は目を開いたちょうど前方に存在し――誰かが立っている。

 光の源。薄く光が縁取る姿は長い。

 不審者、恐怖。それらの考え、感情は不思議と浮かばなかった。いや、正体を考えると当たり前なのかもしれない。

 横たわったまま光を目にし、立ち姿の下部分を目にしていた私は、心臓が波打ったことを感じていた。

 緊張のような感覚は身体を苛み、私は視線を必要以上にゆっくりゆっくりと、上へ辿っていく。まさか、と頭のどこかが予測を立てていた。


 そして、辿り着いた。


「……キアラン様……?」


 顔を目にして、今世では一度も口にすることがなかった名前をこぼすと、人と類似した姿をしていると見えて人間味に欠けた顔が驚いたようになった。






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