戦神の求めた唯一

久浪

『今世の真実』

第1話 昔と今





 前の私は、戦場を幾つも渡り歩く、傭兵だった。

 天職と言えたのかもしれない。父が傭兵で、戦場を駆けて得たお金で暮らしは成り立っていた。そんな環境で育った。

 長女にして長子だった私も、父の職が理解出来ていなかった頃から父に憧れ、せがんで剣を奮う真似事をした。

 すると私には剣の筋があり、男に力で負ける分を補う技術と身軽に俊敏に動ける身体能力、その身体能力を十分に生かせる動体視力も備わり、……やがて女ながらに父親と同じく傭兵の道へと進んだ。

 家族を養うため、他にやれることもなかったから一心不乱に戦場を駆けた。


 しかしそれにも限界が来る。

 死と隣り合わせの場で、今まで生きて来られたのは運が手伝っていたに違いなかった。

 手から使い慣れた剣が飛び、身体が平衡を失い転ぶ。無防備になった私の眼前には、血に濡れた切っ先。

 捉えたときも捉えた後も躊躇い一つなく近づく刃に、本能で死を覚悟した。とうとう死ぬときが来たのだと。覚悟し続けていたこと。

 固く目を閉じて思うのは、家族のこと。家のことを全てしてくれながら、酒場で働いている妹。近所の鍛冶屋で最近雑用から昇格した弟。同じ鍛冶屋で雑用をしている弟。

 年に何度帰ることが出来るか定かではなく、時にまとまっていられるときもあれば戦が長引き一年で一度も帰ることができないこともあった。

 けれど今、もう帰れない、会えない、残していくこと諸々のことを覚悟した。

 覚悟して。


 ――後に正体を知る、一柱の神に助けられた。


 どれほど経っても痛みにも何にも襲われることはなくて、怪訝に思い恐る恐る目を開いた。

 前に立ちはだかっている男はまるで別人――否、全くの別人だった。

 背が高い。鋼色の髪に、深い黒の眼。服装はこの場にそぐわぬ鎧防具、武器もなしの無防備な姿。

 そのはずなのに、隙がないと感じるのはなぜか。

 戦場にと感じさせるのに、戦場につきものの血が一滴足りともついていない。気高い姿。


「あなたは……」


 以前、異なる戦場で見たことのある男だった。戦場に溶け込むような姿は、黒色の瞳と目が合いつかの間目を奪われた直後、土煙に紛れ消えていた。

 それから幾つも、幾つも異なる戦場を切り抜けている内に、場が見せた戦場の化身の幻覚だったのだろうと忘れかけていた姿。

 けれどこうして目の前にすると、記憶の端に残っていたのだと知った。


「……え、」


 血の臭いが染みつく地。

 私は自分の周りの異変に気がついた。私を刃で貫こうとしていた敵兵を含め、見える距離には誰も立っている者はいなかった。

 目の前の男を除き、すべて。

 その光景を作り出したのは突然現れた男だと直感し、見上げ男に目を戻すと、男はずっと私を見ていた。

 鋼色の髪が温い風に揺れた。


「助けて、くれたの?」


 一体なぜ。

 彼は何者なのだろう。

 呆然とする私の前に男は目線を近づけるように膝を折った。


「結果的には、そうなるな」


 静かな低音の声。


「なぜ?」

「お前の戦場を見ていた」

「私、の?」

「ああ、そうだ」


 声音は特に変わったものには聞こえなかった。

 一方で男からは異様に無視できない気配があり、最もよく引き付けられたのは瞳。珍しい色合いではないが、私を覗き込むような瞳と、何度か目を合わせたことのあるような気がした。


「私、あなたと会ったことある?」


 場所を忘れてこんなことを尋ねられたのは、彼の影響だったと思う。


「ある。場に紛れ込む姿で何度か」

「あなたは」


 あなたは、と何を問うべきか。何から問うべきか迷った。

 服装か、この状況か。

 この状況……周りの喧騒がいつまで経っても聞こえない。争いが止まってしまったかのよう。


「お前は言ったな。自分は傭兵をし、戦場で戦い続けることでしかお金を稼げない。大雑把だから、と」


 笑って言ったな、と男は手を伸ばし指で私の頬を擦った。離れていった指には赤い血。

 指の動きは追わず男を見続けていた私は、目の前の瞳に重なる記憶を甦らせていた。

 言った。身の上を深く語らない聞かない傭兵が集まる焚き火から少し離れたところで、何度か会った男がいた。

 瞳が、重なった。


「それならば、お前に興味を引かれた俺はお前が自分から飛び込んでいく戦場を見るのもいいかもしれないと思って、見ていた」

「……」

「だがさっきお前は殺されかけた」

「うん」

「俺はお前が死ぬ姿を見たくないと思った。だから、助けた」

「どうして」

「失いたくないと思ったからだ。これ以上の理由がいるのか?」

「でも、私そんなにあなたのことを知らないし、失いたくないと思われるような、助けられるような関係じゃない」


 すると男は「そうだな」と頷いた。


「それならこれから俺はお前に俺のことを教え、お前は俺にお前のことを教えてくれればいい」


 ――戦場を離れて


 ひどく、その言葉が胸に染みたことを覚えている。


「俺の名はアルヴァと言う。お前の名は何だ?」

「私は……私の名前は、エレナ」


 自己紹介には場違いな戦場で私が名乗り返した名前を、彼は一度確かめるように呟いた。


「これ以上はここを離れてからだな。行くぞ、エレナ」


 不思議と伸ばされた手を取った。

 その男の正体が人ならざるものであり、それゆえの所業の光景と知るのは後のこと。


「俺は戦を司る神だ」


 そう彼は、彼自身の正体を述べた。

 戦場で戦を司る神に助けられた私は彼と共に過ごすようになり、互いに愛すことになる。





 ***







 愛し愛された事実も、傭兵だったのも今は昔の話。共に過ごしていき、私は死んだのだろう。死に際の記憶はない。


 糸がぷつんと切れたように、幸せな記憶途中、私はいつの間にか生まれていた。前世の記憶を持ったまま。


 ――死を迎えた人の魂は、魂や体を生み与える神様の元へ帰ると教えてもらった。この世界を、世の全てを造り神までをも造ったという全ての生みの親。

 その創世神と呼ばれる神様のミスだろうか。私は前世のものと思われる記憶を持ちながらも、新たな体に生まれていた。


 今の私は、何てことのない身体機能を持った教会に身を寄せる女の一人。

 剣からも、戦場からも程遠い場所にいる。


「シエラ!」

「はーい」

「そこはもういいわ。そろそろ中に戻りましょう」

「はい」


 二度目は短く返事して、私は箒を手に控えめに駆けていく。長いスカートが脚にまとわりつき、冷えてきた空気が風となって肌に触れる。

 走っていく先には大きく立派な白い建物。


 前世の記憶を持ち、前世とは異なるとある小国に生まれて十七年目、私は教会に身を寄せていた。


「掃いても掃いても葉っぱが落ちてきて、このまま終わらないんじゃないかと思いました」

「おおげさね」


 掃除道具を片付け、外に面した通路を歩く。隣では同じ服装をした女性が笑う。

 この教会で働く一年先輩の女性で、私と同室。


「この調子なら一週間後には全部落ちてしまっているとは思いますけどね」

「そうすると今度は雪よ」

「ミレイアさん、そんな未来のことを今気にしても仕方がないですよ」

「シエラ、冬は来てみればすぐそこなのよ。ほら空気の冷たさを感じて」

「っ、み、ミレイアさん不意打ちのそれはよくないです」


 暖かい首筋に手を差し込まれて飛びすさる。

 ミレイアさんは手を握ったり開いたりしながら、悪戯っぽく笑っていた。悪いお人である。


「……?」


 再び歩いていると、他に人気のなかった通路の一角で神妙な顔をして額を突き合わせている、長い衣を身につけた神父様たちを見つけた。


「……でも戦端が開かれたとか」

「……直にこの国も巻き込まれるでしょう」


 通りすぎ際、何とも物騒な会話が洩れてきたではないか。

 思わず振り向くと、神父様たちはまだ何事か話している様子。声は潜められているから、もう聞こえない。

「嫌ね」と隣が呟いた。

 ミレイアさんが笑顔から変わり、眉を寄せて険しいお顔をしていた。


「ここのところいつ戦が始まるのかっていう話ばかりよ。本当に、嫌」

「そうですね。戦は辛いものですから」


 などと、かつて傭兵の類をしていた私が言うには説得力がないだろうか。とはいえ私も今は戦える術を持たない人間だから本音極まりない。

 この小国の周りで、初めは離れたところから始まった戦の火が広がり、とうとう戦禍に巻き込まれる一歩前といったところまで来ているのだ。そろそろ覚悟も必要かもしれない。


「祈っていきましょう」

「あ、はい」


 ぼんやりしていると、急にミレイアさんが進路を変えた。

 向かう先は、祈りを捧げる聖堂。

 この世界を、世の全てを造り神までをも造った創世神様を始めとした神々を祭られている。

 そして今の世、誰もが創世神様はもちろん戦を司る神に祈りを捧げる。先に聖堂へと入ったミレイアさんも、おそらく。

 私はといえば、掲げられた神を象徴する印を見上げて首をかしげる。


「この場合、どう祈るべきでしょう。戦が起きないように祈るべきか、起こっても酷いことにならないように祈るべき……?」


 口に出すと、隣で祈る動作をしていた先輩が閉じていた目を開いて呆れたようになる。


「それは起きないことを祈るべきでしょう?」

「そうですよね」


 迷っていた私はようやく祈りの姿勢に入り、目を閉じる。


 ――たとえ人がここでいくら祈ろうと、その声、願い、望みが如何なる神にしろ気まぐれに耳を傾けようとしない限りは天に届かないことを知っている。


 それでも、今は手の届かない天にただ祈る。







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