第2話 ウミガメはなんで泣いてるの?

そういうわけで、俺は今公園のベンチに座っている。とても寂れていて、ほとんど人なんてこなさそうな公園だ。

こんなところでただ座っているだけなんて、一体俺に何をさせたいんだろうか?

まぁいいや、ここら辺で話を戻そうか。

俺は急に謎の女の子に話かけられたわけだが。一体この子はなんなんだろうか?

俺は返事ができず、沈黙が場を支配していた。


先にこの静寂を崩したのは少女の方だった。

「あなたはどう思いますか?」

少女はその長く美しい黒髪をかき分けながら、二言目を発した。

この子はなんの話をしているんだろうか?

どう、ってなんのことだ。俺は意味がわからなかった。

ああ、そうか涙の話だな。涙の話? 涙の話ってなんだ? 涙は赤がいいってどういう意味だ?

俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。


「どうって、というか君は誰なんだ?」

やっとの事でひねり出した言葉は、率直な俺の疑問だった。

「ああ、すみません。そうですね私は公園の主です」

「主?」

少女の答えに、俺の疑問はまた一つ増えた。

「そうです、公園の主。この公園が好きなんですよ。だからよく来るんです。でもこの公園寂れてるじゃないですか。だからあんまり人が来なくて、それで久しぶりに人がいるなと思ったんで、話しかけちゃいました。迷惑でしたか?」

少女は少し伏し目がちに言った。


「いや、別にそんなことはないけど……」

「そうですか、なら良かった。それであなたはどう思いますか?」

「どうって、涙の話か?」

「そうです。赤がいいと思いませんか?」

この子は何が言いたいんだろうか?

俺にはわからなかったので、結局また質問で返すことしかできなかった。

「どうしてそう思うんだ?」


「そうですね、ダーウィン知ってますよね?」

「ああ」

「でしたら、ダーウィンの涙についての仮説知ってますか?」

「いや、進化論のダーウィンだよな? そんなのがあるのか?」

そんなのは聞いたことなかった。俺の中でダーウィンと言えば、イコール進化論くらいの知識しかない。


「簡単に説明すると、ダーウィンは感情を理由とする涙を流す理由にいくつかの仮説を立てました。そのうちの一つに、人に助けを求めるために涙を流すというものがあるんです」

「でも、一人でいる時も涙を流すだろ? だったらそうはならないんじゃないか?」

つい反射的に反論していた。

「そうですね、フレイという人もそう言って、この仮説を否定しました。でもそれは間違いだと私は思います。むしろ一人だからこそ、誰かに気づいてもらうために、涙を流すんだと思うんです」

そう言う彼女の声には少し熱がこもっているように感じた。


一呼吸置いて、彼女はまた話し始めた。

「それに、感情が原因の涙を流すのは人間だけだと言われています。ウミガメは別に悲しくて泣いているわけじゃないんですよ。これこそがさっきの仮説が正しい証拠だと思うんです。

人間以外の動物は、鳴き声や動作で悲しみを表します。人間にもそれと対応する言葉というものがあります。ただ、言葉というのは非常に厄介で、たまに嘘をついちゃうんですよ。強がったり、誤魔化したりしちゃうんです、私は悲しくなんてないって。だからそんな面倒くさい人間のために、悲しみの涙があるんですよ、きっと」


彼女の力説を、俺はずっと黙って聞いていることしかできなかった。

「確かにそうかもな」

やっと話す機会がまわってきたとき、口から出たのは肯定の言葉だった。

彼女の話を聞いていると、本当にそうではないかと思えてくる、そのくらいの説得力があった。だから俺は、半分は本心で肯定したのだろう。ただ、半分はきっと俺に自分がないからなんだろう。自分の意見がないからとりあえず肯定するんだ、俺は。


「でもそれがどうして赤色がいいって話になるんだ?」

結局、この話がなんで涙の色の話になるのかがわからなかった。

「さっきの話を聞いていて涙には欠陥があると思いませんでしたか?」

「欠陥?」

「はい、欠陥です。それが色なんですよ。涙の色は弱すぎるんです、悲しみを表すには。透明じゃ駄目なんですよ、悲しいときに透明じゃ気づいてもらえないと思うんです。

さっきあなたも言ってましたよね、一人で泣く時もあると。その時、涙の色が透明だと少し床を濡らすくらいでしょう。もし後からそこに人が来たとしても、その涙の跡に気づく可能性はとても低いと思います。

でも、もしそれが赤だったら? その人はそれに気づきます。そして何事だと思い、泣いていたであろう人に話を聞きに行くでしょう。

こっちの方がいいと思いませんか?

今の色だとSOSのサインとしては不十分なんです」

そこまで話すと彼女は黙ってこっちを見ていた。俺に返答を求めているんだろう。


「なるほど、確かにそうかもしれないな」

俺の口からはまた肯定の言葉が出ていた。

「そうでしょう?」

「ただ、それでも俺は今の色がいいと思うけどな」

珍しく俺の口から否定の言葉が出ていた。どうしてだろうか?

「どうしてですか?」

彼女が聞き返してきたが、俺自身もなんでそう思ったのかわからなかった。


「なんでだろうな。ただ、なんとなくそう思ったんだ。俺は自分のことがよくわからないんだ。なんとなく人に流されて、肯定してるかと思えば、たまにこう反論してみたくもなる。なんなんだろうな、本当」

口から本音が出ていた。なんで初めて会った子に、こんなことを話しているんだろうか?

「ふふっ」

少女の口元が少し緩み、微かな笑い声が耳をくすぐった。


「どうしたんだ?」

「いや、変わった人ですね。すごく面白い人です」

「そんなこと言われたの初めてだな。どちらかというと、つまらない人間だと自覚してるつもりなんだが」

それに急に涙の色の話なんか始めた、彼女の方がよっぽど変わってる。そんな言葉が出かかったが、それは飲み込んだ。

「そんなことないですよ、すごく面白い人です」

彼女は未だに笑っていた。


「そういえば、なんでこの公園に来たんですか?」

「暇だったから散歩してたら、たまたま目に入って少し休憩しようと思ったんだ」

バイトのことは言えないので嘘をついた。

「そうですか、明日も来ますか?」

「ああ、最近ずっと暇だからな」

「じゃあ、明日もまたお話ししてくれますか?私も大体この公園に来てるんで」

「俺は別にいいけど…… でも俺でいいのか?」

「はい、あなたと話してると面白いですから」

「そうか、なら喜んで」


「それじゃあ、私はそろそろ帰ります。また明日会いましょう」

「ああ、また明日」

そんな約束をして、彼女は帰って行った。


自分でも、なんでこんな約束をしたのかわからなかった。さっきからわからないことだらけだな。俺はどうしようもなく自分のことがわかってないみたいだ。

ただ、多分彼女と話すのを楽しいと感じたんだろう。それだけはなんとなくわかった。


そんなことを考えながら一時間経つと、電話が鳴った。携帯を開けると、今日のバイトの終わりを知らせるメールが届いていた。

しかし、このバイトになんの意味があるんだろうか? どこかで俺のことを監視でもしているんだろうか?

まぁいい、何にしても金が手に入るんだ。余計なことは考えなくていいか。

そう結論付けて帰路に着いた。


家に着く頃には、もう日が落ち始めていた。

家に着き夕飯を食べるときも、公園で会った少女のことが頭を離れなかった。

名前も知らない少女。しかし彼女には何か惹かれるものがあった。


彼女は一体何者なんだろうか。公園の主と自分では言っていたが、どういう意味だろう。

もしかしたら彼女は、俺と同じバイトの依頼を受けてあそこに来ているのではないだろうか?

そうでもなければ、高校生くらいの子があんな寂れた公園には来ないのではないか?

だとしたらバイトの依頼主は何が目的なんだろう? 俺と彼女に話をさせて、何かの実験なんだろうか?

こんな風な推測が頭から溢れるくらい湧き出てきた。


明日彼女に聞けば何かわかるかもしれない。

とても気になるところだが、余計なことをしてあんな割のいいバイトを逃すのは嫌だったので、彼女何か聞くのはやめることに決めて、俺は眠ることにした。

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