第230話吟四雖
吟四雖
雑言
酒酣後 歌歇時
請君添一酌 聽我吟四雖
年雖老 猶少於
命雖薄 猶勝於
眼雖病 猶明於
家雖貧 猶富於郭庶子
省躬審分何僥幸 値酒逢歌且歡喜
忘榮知足委天和 亦應得盡生生理
(分司同官中
予爲河南尹時、見同年鄭兪始受長水懸令。因歎四子而此篇也)
四つの「雖も」を吟ずる。
雑言。
酒をたらふく飲んだ後、歌を心ゆくまで歌った時に、もう一献を傾け、この私が「四雖」を吟ずるので聴いて欲しい。
確かに私は老人世代になったけれど、まだ長史の韋績よりは若い。
すでに薄命かもしれないけれど、それでも長水県令の鄭兪よりは、ましだろう。
目が病気と言っても、まだ侍郎の徐晦よりは、しっかりと見える。
貧乏の身とは言っても、まだ庶子の郭求よりは金がある。
自らの身を省みて、自らの分を考えれば、本当に幸せなのだ。
これは、酒を飲み、歌を歌って喜ぶべきことだと思う。
栄誉などは忘れて、自足を知り、それ以上は天の調和に委ねるだけ。
これによって、必ず命の法則を知ることができるに違いない。
(洛陽の同僚の中で、長史の韋績は七十歳を越えている。庶子の郭求は貧乏が最もひどい。郎中の徐晦は病を得て失明してしまった。私が河南尹であった時に、同期に進士合格した鄭兪は、ようやく長水県令を拝命したことを知った。そこでこの四人の姿を悲しんで、この詩を作った)
○大和八年(834)、洛陽の作。
○年齢、資産、眼病、出世等を友人と比較して、わが身はそれほどではない、だから酒を飲み、歌を歌おうという内容である。
あからさまに他人を批判していると捉えれば、「いかがなものか」と批判することもできるけれど、おそらく口が悪い友人同士で遠慮も不要だったのではないか。
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