第84話睡起安坐
後亭晝眠足 起坐春景暮 新覺眼猶昏 無思心正住
淡寂歸一性 虚閑遺萬慮 了然此時心 無物可誓喩
本是無有郷 亦名不用處 行禅與坐忘 同歸無異路
「道書云無何有之郷 禅経云不用處 二者殊名而同歸」
眠りから覚めて、安らかに座っている。
裏の亭で、昼寝を十分にとった。
起きてぼんやりと座っていると、すでに春の夕暮だ。
目覚めたばかりで、見える風景もふわふわとしている。
何も心に浮かぶことがなく、これこそ心が安住の地というのではないか。
浮世のしがらみから逃れて、ようやく本来の自分に戻った。
様々な思惑も無く、心は空っぽだ。
明晰そのものとは、こういう時の心なのだと思う。
これは、言葉では例えることができない。
これこそが「無何有郷」であって、また「不要処」と言われているものだ。
仏教における禅の心、道教における坐忘の心。
帰するところは同じ、異なる道すじではない。
「老荘の書物に無何有の郷とあり、禅の経文に不用処とある。二つの言葉は表現は異なるものの、同じ境地を示している」
※安坐:心安らかに坐る
※眼猶昏:寝覚めでぼんやりと見える風景
※淡寂:執着から離れた清涼な状態
※一性:本来の自分
※虚閑:何者にも縛られない空無の状態
※無有郷:理想郷
※不要処:外物が関わらない境地(仏教用語)
※坐忘:外物も自分も忘れて道と一体になること(莊子)
○元和十一年(816)、江州の作
○江州では廬山にて、僧侶と交流を深めたという。
○仏教への関心を強めながら、中国古来の老荘思想と共通するものを探る白楽天の思いを、しっかりと詠んでいる。
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