第52話秦中吟其一 議婚

秦中吟十首幷序

※秦中吟十首ならびに序


貞元・玄和之際 予在長安 聞耳之間 有足悲者 因直歌其事 命爲秦中吟

※貞元と玄和の頃は、私は長安の都で暮らしていた。

 その暮らしの中で、見聞きした事実の中に、悲しむべき事実を見つけた際に、そのまま歌を詠み、「秦中吟」と名を付けた。


議婚


天下無正聲 悦耳即為娯 人間無正色 悦目即為姝

顔色非相遠 貧富則有殊 貧為時所棄 富為時所趨

紅楼富家女 金縷繡羅襦 見人不斂手 驕痴二八初

母兄未開口 已嫁不須臾 緑窓貧家女 寂寞二十余

荊釵不直銭 衣上無真珠 幾回人欲聘 臨日又踟蹰

主人会良媒 置酒満玉壺 四座且勿飲 聴我歌両途

富家女易嫁 嫁早軽其夫 貧家女難嫁 嫁晚孝其姑

聞君欲娶婦 娶婦意如何


結婚について論じる。


天下に正しい楽曲はない。

喜ばれるのは 耳に聞きやすい曲だけである。

世の中に 正真正銘の佳人はいない。

美人とは 見目麗しい人のことになる。

その美しさが 変わらない場合でも 貧富の差は存在する。

貧しければ 世間からは見捨てられ 富貴な人には世間が取り巻いている。

華やかなお屋敷に住む富貴の娘は 金の糸で縫い取りをした薄絹の襦袢を着こむ。

人に会っても手を合わせた挨拶ひとつもしない。

まだ十六歳になったばかりの 中身などない娘だ。

そういう娘は 家の者が嫁入り話をする前から はや大騒ぎを始める。

さて そのお屋敷の納屋に住む貧しい娘は 二十歳を過ぎても まだ独り身だ。

いばらのかんざしなど 何も価値はなく 服には真珠の飾りなど あるはずがない。

それでも 何度か嫁入りの話はあったけれど いつも直前にお流れだ。

今 このお屋敷の主人は ご立派な仲人たちを集め 玉の壺に酒を満たす。


さて 皆様 まず酒などは後回しにしてくれないか。

私が歌を二つ歌うから それに耳を傾けてほしいのだ。


富貴な家の娘は お気楽に嫁ぐけれど 若くして嫁げば 亭主をないがしろにする。

貧乏な家の娘は 嫁ぐことは困難。

それでも 年齢を重ねて嫁げば 姑に考を尽くす。


さて あなたは 嫁をもらおうとしているらしいけれど どう考えるのか。


※秦中:長安の都。春秋戦国時代に秦国の支配下にあったため、長安一帯を秦中と呼ぶ。

※貞元・元和:白楽天は貞元十六年(800)進士試験合格後、一時期を挟み、元和六年(811)冬、母の死去により官職を辞するまで、長安に住んでいた。

※正声:規範に沿った伝統音楽。

※正色:真正の美人

※紅楼:富裕な人の屋敷

※斂手:両手を合わせて礼をすること。

※驕痴二八:色気づいた軽々しい十六歳。

※緑窓:女子の部屋、ここでは貧し気な家。


〇元和五年(810)長安の作。風諭詩。

 新楽府と同様に連作形式。

 新楽府が社会的、政治批判の傾向が強いのに対して、秦中吟は身近な世相をテーマとする。

〇議婚は、貧富の差によって、結婚年齢が異なるけれど、貧しい家の娘のほうが嫁としては優れていると歌う。

 白楽天なりの結婚論であり、華やかなだけの富貴の娘の結婚に異議を唱えている。


○尚、議婚については、源氏物語「箒木」(雨夜の品定め)で、式部丞の体験談に引用されている。

「それは、ある博士のもとに 学問などしはべるとて、まかり通ひしほどに、主人のむすめども多かりと 聞きたまへて、はかなきついでに言ひ寄りてはべりしを、親聞きつけて、盃持て出でて、 『 』となむ、 聞こえごちはべりしかど・・・」

( それは、ある博士のもとで学問などを致そうと思って、通っておりましたころに、主人の博士には娘が多くいるとお聞き致しまして、ちょっとした折に言い寄りましたところ、父親が聞きつけて、盃を持って出て来て、『』と 謡いかけてきましたが・・・)


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