第48話新楽府其三十一 李夫人(2)

翠蛾髣髴平生貌 不似昭陽寢疾時 魂之不來君心苦 魂之來兮君亦悲  

背燈隔帳不得語 安用暫來還見違 傷心不獨漢武帝 自古至今皆如斯  

君不見穆王三日哭 重璧臺前傷盛姫  又不見泰陵一掬涙 馬嵬坡下念楊妃   

縱令妍姿豔質化爲土 此恨長在無銷期 

生亦惑 死亦惑 尤物惑人忘不得   

人非木石皆有情 不如不遇傾城色


翡翠色をした眉はくっきりと見え かつての美しい面影そのままです。

とても昭陽殿で病に苦しんでいた時のような やつれたお顔ではありません。

この魂が戻ってこなければ 天子の心は苦しむだけ、しかし、魂が戻ってきても 悲しみは増すばかりです。

灯燭を後ろに向けて暗く 帳を隔てて 言葉を交わすことはできません。

そして ほんの少しだけのお戻りで すぐに去ってしまう。 

こんなことなら 来ないほうがいいと思うほどです。

こういう形で 美女に心を痛めたのは 漢の武帝一人だけではありません。

そして 昔から 今まで これと似たようなことが 続いています。

あなたもご存知でしょう。

周の穆王が三日の間 慟哭し続けたことを。

盛姫のために作った重壁台を前に、亡き姫を偲んだことを。

そして、これもまたご存知でしょう。

玄宗の一掬の涙を。

馬嵬の路上で 哀れにも死を賜った楊貴妃への想いを 断ち切ることが出来なくて涙に暮れたことを。

たとえ その麗しい姿や艶やかなお顔が土に還ったとしても この失った悲しみは永遠に続き 消えることはありません。

生きている時には その心を乱され 死ねばまた 心を乱される。

このように 美女とは 人を惑わし 忘れられなくして 苦しめるもの。

結局 人は木や石ではありません。

どんな人に天子にも 抑えきれない情愛というものがあるのです。

そういうことを考えるならば 傾城の美女には 逢わないほうが よろしいのでしょうね。



翠蛾すいが:翡翠色に描いた眉

髣髴ほうふつ:よく似ている、そのままの様子

※昭陽:漢の宮殿の名前

※背燈隔帳不得語:暗く帳を隔てても話かけることができない。背燈は、灯を壁に向けて暗くする。漢の武帝李夫人の霊魂のために帳をもうけ、武帝自身は別のとばりの中で待ち続けた。

※周の穆王ばくおう:周の穆王は、盛姫のために「重壁の台(宝玉を累々と連ねた台)」を作ったけれど、盛姫の死後、そこで慟哭となった。

※泰陵:玄宗の陵の名前。

※馬嵬坡下念楊妃:馬嵬で死を賜った楊貴妃を悲しみ続ける(長恨歌を参照願います)

尤物ゆうぶつ:とりわけ優れたもの、この詩の場合は特段優れた美女。

※人非木石:人は木石に非ず。


〇人は木や石ではない、誰でも情愛がある。日本の文学やドラマに頻繁に出てくる表現だと思う。

〇美女が悪いということは言えないと思う、特段の美女となると、「生まれつき」の場合も大きい、となると「美女には逢わないほうがよい」というのは、特段の美女には酷で失礼な話になると思う。

傾城にしなければ問題はないのだけれど。

「美人は三日で飽きる」という説もあるけれど、なかなか男女の仲は難しい。

そういう美女に逢ったことがないのも、事実ではあるけれど・・・


参考「源氏物語「蜻蛉」:浮舟失踪後の薫

 我も、かばかりの身にて、時の帝の御女を持ちたてまつりながら、この人のらうたくおぼゆる方は、劣りやはしつる。まして、今はとおぼゆるには、心をのどめむ方なくもあるかな。さるは、をこなり、かからじ」と思ひ忍ぶれど、さまざまに思ひ乱れて、「人木石に非ざれば皆情けあり」と、うち誦じて臥したまへり。


(自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女(浮舟)が可哀そうに思えてしまうのは、匂の宮に自分が負けているためなのだろうか。しかし、それ以上に、今は浮舟が亡き人かと思うと、心の静めようがない。とはいえ、そもそも身分違いの女のことに悩むなど愚かしいことだ、そうするべきではない」

と我慢するけれど、いろいろと思い乱れて、「人は木や石ではないので、みな感情をもっている」と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。


薫としては、ことさら浮舟との身分差を意識し、またライバルの匂の宮に「寝取られた浮舟」について考えないようにとするけれど、どうしても心が静まらない。


「人は木石に非ず」、この表現の使い方において、白楽天は天子が慟哭するほどの哀しみで使い、紫式部は薫という特異なキャラを使い薫自身よりは「薫にそんな風にしか思われない浮舟の悲哀」を薫の言葉の暗喩として表現していると思う。

白楽天は直球、紫式部はすごい仕掛けの変化球のように思う。

なかなか、複雑である。

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