第40話新楽府其九 新豐折臂翁(3)

  老人言         

  君聽取         

  君不聞開元宰相宋開府  

  不賞邊功防黷武

  開元初 突厥數寇邊

  時大武軍子將郝靈佺出使 因引特勒廻鶻部落 斬突厥黙啜

  獻首干闕下 自請有不世之功 時宋璟爲相 以天子年少好武

  恐徼功者生心 痛抑其黨 逾年 始授郎將 靈佺遂慟哭厥嘔血死成

       

  又不聞天寶宰相楊國忠   

  欲求恩幸立邊功     

  邊功未立生人怨     

  請問新豐折臂翁

  天寶末 陽國忠為相 重構閣羅鳳之役 募人討之

  前後發二十餘萬眾 去無辺者 

  又捉人連拁赴役 天下怨哭 人不聊生 

  故祿山得乗人心而盗天下

  元和發折臂翁猶存 因備歌之   


  

 この老人の話を しっかりと聴いてほしい。

 開元の時代の宰相宋璟そうけいは 無意味な軍役を好まず辺功の評価を行わなかったではないか。

 開元の初期、突厥は何度も辺境に攻め入ってきた。

 その時の大武軍の子将郝靈佺とくれいぜんは使者として現地に出向き、そこで特勒とくろく廻鶻かいこつの部落を攻略、突厥の黙啜もくせつを斬り、その首を朝廷に捧げ、自らこの上ない手柄を立てたと自慢した。

 その時の宰相は宋璟そうけつ

 宋璟は、天子がまだ若く軍事を好むことを利用して、臣下が武功を求めたがるようになることを危険と考えた。

 そのため、その仲間を抑えた。

 年明けに、ようやく郎将の地位を授けたのみ、郝靈佺かくれいぜんは泣き叫ぶほど憤慨し、血を吐いて死んだのである。


 そしてまた、天宝の宰相楊国忠は、天子の恩寵を賜ることを期待して、辺功に走った。

 しかし、結局何の手柄も立てられず、世間の恨みを買っただけになった。

 これについては ぜひ 新豊の老人に尋ねて欲しい。

 天宝の末年、楊国忠は宰相の地位を得て、閣羅鳳ごうらほうと戦役を繰り返した。

 夥しいほどの兵を募り戦争をして、前後二十万人以上の人々を繰り出したものの、全員討ち死にだ。

 それでもなお、人を捉えて枷に並べて兵役に向かわせるのだから、天下に満ちるのは怨みの声ばかり、人民は安らかに暮らすことなど全くできなかった。

 そんな非道なことをするから、安禄山は人心を盗み取り、天下を奪ったのだ。

 

 元和の初め その腕を叩き折った老人はご存命だ。

 それもあって ここで詳しく この事情を歌としたのである。



※宰相宋開府:開元の名宰相として知られる宋璟。

※黷武:武力を濫用すること。

※大武軍:北方に置かれた軍の名前。

※子将:大将、副将につぐ将

※因引:弓を引く。

※特勒:廻鶻の皇族が任ぜられる官位。

※黙啜:突厥の王、長年、唐と抗争を続けた。

※閣羅鳳:雲南を支配した南詔の王。人質として唐に囚われていたが脱出。それを攻める唐軍を全滅させた。

※連拁赴役:刑具の枷に人間を連ねて連行し、兵とした。



○宋璟は「開元の治の中心となる名宰相、宰相楊国忠は天子の寵を得ようと辺功に走り大軍を全滅させたばかりか、安禄山の乱を招いてしまった。

○人々が戦役に苦しむかどうかは、宰相次第と表現している。

○天子の判断の問題や、国家体制の問題については直接言及はない。

○主に戦争に繰り出された人々の生々しい悲哀と実感を書いている。


●開元の治:7世紀前半、唐の玄宗の当時の前半の開元年間(713~741)の政治は、開元律令の制定など律令制度のもとでの民政安定策の推進などが科挙出身の有能な官吏によって推進された。

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