終幕 僕たちが生きるのは
14 深夜のダム湖。君との再会
――十三日目
午前零時半。
僕は慣れない夜道の中車を走らせてダム湖公園――僕らが最初に出会ったあのダム湖公園である――に着いた。
辺りは山に囲まれ、ダム湖を縁取るように立てられた電灯はどこか哀愁を誘うオレンジの暖色灯であった。無論それだけでは灯りは十分ではなく、月も出ていないため、初めて訪れる深夜のダム湖は深い闇に抱かれていた。湖面に至っては黒い油を満たしたようで、電灯の光を反射してチロチロとてかっている。
車を降り、エンジンの音が止むと、まっさらな静寂の波が押し寄せて来た。深い、重い静寂。波の立たない湖面はひたすらに無音。
ああでも、これは何て心地よい空気だろう。
僕は覚悟を固めた胸に、冷えた夏の空気を存分に吸い込む。この空気と同じくらいに今の僕の心は澄み切っていた。あの鈍痛さえもたらすほどの倦怠感も、灰色に閉ざした気分も、露ほども感じなかった。
やがて、僕の神経を刺激するものを一つだけ見つけた。自動販売機だ。夜のそれは、この場にそぐわない無粋な白色光を晒している。
思えば、全てはこれから始まったのだったな。この自販機の前で野上雪奈に声をかけ、彼女が探していた
僕は自販機には向かわず、駐車場の端まで歩いて来て、階段を降りた先にある小さな公園の芝生やら時計塔、その先に広がる漆黒のダム湖、その右端に連なるノッポの電灯の配列を眺めた。
もう一度、自販機の方を見遣る。
――そこには、あの日の雪奈の姿、飾らない素朴な装いの中にミニスカートが色香を引き立てる、可憐で無邪気に見えた少女の姿が投影された。子供のように、なりふり構わず自販機の下に落としてしまった五円玉を探す麗しき少女。忘れるはずもない。
すると、野上雪奈の像は僕の回想から逸脱して立ち上がり、自販機の商品を眺め始めた。少しの間そうしていると、今度はちらりとこちらを振り向いた。
僕の心臓が一度大きく跳ねる。僕の記憶の中の雪奈にはこんなシーンはなかったはずなのだが。間抜けにもそんなことを思っている間も、雪奈の像はやや遠慮がちにこちらを見つめていた。
「おにーさん……?」
こちらの顔色を
「あ、ああ。ごめん、ぼーっとしていた」
「ふふ。随分と速いですね。約束の時刻は一時だったはずですが?」
雪奈はそう言いながらこちらへ歩いて来た。
「家で待っていても落ち着かなくてな。さっさと来てしまった」
「ええ、私もです」
何の気もなく会話を交わす。お互いに、何事もなかったかのように。
でも、このままそうはいかない。
「来てくれてありがとう」
「いいえ。私も勝手にいなくなったりしてすみませんでした」
「なに、こうして来てくれただけで嬉しいよ。……会いたかった」
最後の一言は、自分でもびっくりするくらいにしみじみと、映画で男女が愛を囁き合う一幕のように情緒的に口を突いて出た。
「もう、私には愛想が尽きたのかと思いました」
自虐的に言う雪奈。どうやらお互い距離を取ってしまった理由はあまり変わらないようだ。
「まさか。でも正直怖かった。雪奈がと言うよりも、もっとそれを取り巻く有象無象が、ね」
「詩的ですね」
そう言って雪奈は笑った。でもその笑みは彼女お得意の
そう考えた時、雪奈が先にそれを切り出した。
「それで、大事な話があるって言う用件でしたけれど……?」
「うん。それなんだけどね」
僕は公園へ下りる階段の横に立てられた低い柵に体重を預けながら、ゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ出し始めた。
「あれからずっと考えていた。僕らは僕が思っていた以上に似た者同士だ。その原因は違えど、己の行く末に絶望し、圧倒的なこの世の理不尽に立ち尽くしていることには変わらない。どうしたら僕らの関係はそれを乗り越えられるか、出会った良かったと思えるか、僕が君の気持に応えるにはどうしたらいいか。ずっと考えていた。そして気付いたんだ。その方法を」
「それは、どんな……?」
「雪奈、君が言ってくれたことだよ」
それは僕の言葉「色んな不安が重なった時にふっと死にたくなる」を引き合いに出した雪奈へのお返しのつもりだった。
そして、雪奈もやがて一つの心当たりに至ったらしく、はっとして顔を上げた。
「……! まさか」
「多分そのまさかだよ」
複雑な表情で見つめる雪奈に、ほろ苦い笑顔で告げる。
「――一緒に死のう。雪奈」
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