9 ひぐらしと清純のピロートーク
次に目を覚ました時、聞こえてきたのはひぐらしのカナカナという鳴き声だった。
カナカナ、と言い表すらしいが、どうにもあの鳴き声を言葉で表現するのは不可能だと思う。セミによってはミーンミーンとかツクツクボーシとかなら至極適切だとは思う。だがひぐらしだけは違う。一定のリズムで、異界の楽器を奏でるような旋律。
それは人間の声帯と言語では再現することができない類の音だ。小刻みに押し寄せる波となって、夢現をさ迷わせる、まさに逢魔が時に相応しい調べ。
だから僕が目を覚ました時も、まだ夢の中にいるような気がしていたのだ。
「起きましたか?」
雪奈の声がして、ようやく自分が膝枕されていたことに思い当たる。
「ごめん、どのくらい経った?」
「三十分といったところですかね。もう少し寝ていてもよかったのに」
「いや、この時間帯に眠りすぎると夜余計に目が冴えてしまう」
僕はむくりと起き上がり、ゆっくりと雪奈の隣に腰かけた。
「退屈じゃなかった? 僕が寝ている間」
「いいえ、ちっとも」
そう言って首を横に振る雪奈に嘘を吐いている気配は無かった。
「お兄さん、夢は見てませんでしたね?」
「ん、どうしてそう思うの?」
僕の悪い癖が出て質問に質問で返してしまったが、実際夢は見なかった。
「死んだように静かな顔をしていましたから。何だか泣き疲れた後の子供のような、すごく辛そうな顔。それがピクリとも動かないので、きっと夢を見ていないんだろうって」
「そ、そうなの」
寝顔を見られて、恥ずかしいというか、しまったという気分になった。また一つ、僕の弱さを晒してしまったらしいからだ。でも雪奈にそう言われると、僕がそんな疲れ果てた顔で眠っていたのも納得してしまう。
「多分、雪奈の前だから色々ゆるんでしまったのかな」
僕は正直な所感を述べた。
「そう言えば、お兄さんって何があってそんなに病んでしまったのですか? 神経衰弱ってストレスとかでなっちゃうものですよね」
確かに、まだ雪奈に何も僕の過去を話していなかった。
「そう言えば、僕たちまだお互いのことよく知らないよね。まあ神経衰弱の原因がストレスっていうのは間違ってはいないね。精神疾患に分類されていたものだし。でも僕の昔の話をしてもなあ……不幸自慢大会が始まっちゃうから僕としては気が引けるのだけれど」
そう言うと、雪奈は「うーん」と唸りながら顎をポリポリと掻き、やがてゆっくりと頷いた。
「そう、ですか。まあ私も今は自分の悩み詳しく話す気分じゃないんで、おあいこってことにしましょうか」
「うん。いずれ話すことになるかも知れないし、結局しないかも知れないけどさ。僕らは同じ痛みを抱えた似た者同士だから。今はそれだけ十分だろう」
「似た者同士……。ええ、そうですね」
雪奈はその単語を改めて噛みしめるように呟いた。
一方僕は、雪奈が純粋に僕のことを知ろうとしているのを拒んだことが気にかかり、せめて何か話してあげなければというような気持になってきた。
「あー、その、あれだよ」
「?」
急に改まった僕に雪奈は首をかしげた。
「僕は君と反対で、外、つまり学校の人間関係で色々苦しんだ。皆僕のことを馬鹿にするんだ、見下すんだ。どんなに頑張って周りに優しくしても、人一倍のことをやっても、誰も認めてくれなかった……・。その傷が今こうして跳ね返ってきている訳だよ。僕は呪われた。穢された! 憎しみは無い。ただ消えてなくなりたかった。……これでいいかな」
ひと思いに吐き出された告白。始めは抑揚なく淡々と喋っていたが、段々と感情がこもってしまった。己を鎮めるようにふうーっと長い息を吐いた。
こんなこと、姉の綾香にも正直にさらけ出したことはない。身内だから色々事情は察していたというのもあったが、やはりこんなことを話せるのは雪奈だけだ。僕はもう完全にこの少女を信頼しきってしまっている。
「やっぱり、私たちは似た者同士ですね」
雪奈の口から出た感想は、そんな言葉だった。
「話してくれてありがとうございます。また、辛いことがあったり、思い出したりしたらいつでも私に吐き出して下さいね」
「僕は君に何ができる?」
やはり雪奈には与えられてばかりだと思ったから、そう言った。僕は似た者同士の君をちゃんと救ってあげられているのか。
「だったら、最期まで私と一緒にいて下さい」
雪奈はまっすぐ僕の目を見つめて言った。どこか悲壮だった。「さいご」という言葉は、物事の終わりではなく、死に際という意味での「さいご」なのだと分かった。雪奈の目と、言葉のニュアンスがそう教えていた。
ただ、その言葉の実際に意味することは分からなかった。
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