後編 回山倒海

 入浴用カプセルに閉じ籠もればいいのだ。あの中にいれば、部屋を駆け回る必要はなくなる。内部は、人が一人、ちょうど収まれるくらいの空間しかない。船体が逆さまになっても、倒立の要領でやり過ごせる。

 絹家はさっそく、カプセルに入った。すると、予想どおり、大して疲れることもなく回転についていくことができ、かなり快適に過ごせた。

(はあ……。やっと落ち着くことができる)ふうう、と長いため息を吐いた。

 直後、甲高い電子音が鳴り響き、ついでアナウンスが流れた。

「洗浄を開始します」

 ため息が途中で止まった。

(そういやこのカプセル、故障して──)

 次の瞬間、内壁中の穴という穴から、熱湯が噴射された。

「あっ、熱っ、あっあっ熱っ、あっ!」

 急いで外に出ようとする。しかし、扉がロックされてしまっていた。

 ひたすら、蹴ったり、殴ったりする。だが、こじ開けるどころか、ガラスにひびの一つも入れられなかった。

 しかも、排水口が壊れているらしい。熱湯は抜かれることなく、内部に溜まる一方で、水位が見る見るうちに上昇してきた。

 回転に合わせて、それは天井と底とを往復する。足下にある時でも、もしや脚が溶けてしまうのではないか、と思うほど熱いのに、頭を浸けるなんてたまったものではない。口を開けると、熱湯が飛び込んでくるため、ろくに呼吸もできなかった。

(まずいまずいまずい息が息が溺れてしまう窒息してしまうっ!)

 ガラスに、打撃を与え続けた。全身を余すことなく使い、頭突きや体当たりまで行う。

 ショックで、固定具が外れてしまったらしい。カプセルは前に倒れると、船体の回転に合わせてリビングを滑り始めた。

 熱湯の噴射は収まったが、マシンの暴走自体は、ますますひどくなっていった。BGMとして設定しておいた、深夜アニメのオープニング曲が、鼓膜をもつんざく大音量で流れ始める。マシュマロがどうの略奪婚がこうのと喚き出した。

(このままだと発狂してしまうんじゃないか)生まれて初めてそう思った。(早くななんとかして外外外に出なければ)

 しかしどうやって脱出すればいいのやら。ガラスは頑丈で攻撃しても壊れないし。

(ああああ全身が熱湯に熱湯熱湯に熱湯。水面から顔出し続けようにも滑るわ停まるわで。いったいいったいどうやっていったい)

 せめて何か道具はないか。

 そう考え、全身を弄る。すると、ポケットの中に、重力場形成装置を壊す時に使ったハンマーが入っているのを見つけた。

「や、やや、やったっ!」

 ハンマーでガラスを殴り、割る。しばらく破壊し続けて、大きな穴を開けると、そこから脱出した。

「はあ、はあ、はあ……」

 よかった、助かった。そう思い、その場で、大の字になろうとする。だが回転は、カプセルに入る前より格段に速くなっていて、絹家は斜面と化した天井を滑る羽目になった。

 壁に激突し、停止したので、体の力を抜こうとする。しかし、その時、鈍い音が右から聞こえてきた。

 顔を向ける。カプセルが、天井を滑り、こちらに向かってきていた。

「のわっ!」

 天井を思いきり蹴りつけ、体をそこから離す。間一髪で、直撃を免れた。

 カプセルはその後も、リビングを滑り続けた。熱湯で濡れているにもかかわらず、摩擦が大きいようで、坂の途中でいったん停まったり、接触面がどんどん傾いていっているにもかかわらず、なかなか動き出さなかったりした。

(このまま居間にいると、生命の危険があるな……)絹家はカプセルを避けつつ、コックピットに入った。

 操縦席にしがみつきながら、パネルを操作する。回転抑止エンジンは、全体の四分の三が完全に停止していて、残りも故障し、出力を下げている最中だった。

(もう……もう限界だ。助けを、救助船を呼ぼう。料金なんて気にしていられるか! 脱出艇はコンピュータ室に置いてきたし……)

 無線を、センターに繋ぐ。数秒後、モニターにオペレーターが映し出された。

「こちらは救助センターです。どうされましたか」

「た、助、助けてくれ、船の、回転、抑止エンジンが、故障して、船の、船が、回、回、回」

「わかりました。あなたの宇宙船の現在位置、もしくは宇宙船舶番号を教えてください」

「ちょ、待、ええと」番号を調べ、モニターのほうを向いた。

 突然、轟音と衝撃が発生し、絹家は操縦席ごと前に吹っ飛んだ。

 フロントウインドウにへばりつき、ずるずる、と落ちる。後ろを振り返ると、カプセルが、椅子の元あったところに、横倒しになって鎮座していた。

(これがリビングを斜めに滑ったかなんかで、操縦室に突入してきて、席ごと俺を撥ね飛ばしたに違いない)急いで乗り越え、居間に出る。

 もはや回る速度は、走って追いつくどころかまともに立てないほど高くなっており、絹家は全身をそこかしこに打ちつけながらごろごろと部屋を転がった。

(ぐ、痛、ぐ、くそ、早、なん、して、起、くそっ)

 立ち上がろうとしながら、ちら、とコックピットを覗いてみる。カプセルは室内を転げ回り、ありとあらゆる機械、装置、計器を破壊していた。

 オペレーターの映像は途切れ、あちこちのスイッチが押され、操縦桿が小爆発とともに吹っ飛んだ。いろんなところから白煙黒煙紫煙、どういう化学変化の賜物なのか青煙からピンク煙まで、さまざまな色の煙が噴出していた。

 これ以上見ていても、絶望感が増すだけだった。涙ぐみ、コックピットから目を逸らす。

 立てなくてもいいから、せめて起き上がろう、と必死に努力する。数秒後、アナウンスが流れた。

「回転抑止エンジン逆噴射ボタンが押されました。全機一斉に逆噴射を開始します」

 なんでそんな余計な機能が備わっていて、しかも健在で、そのうえ発動するんだ。そう呟こうとした。しかし、もはや声を出す気力など、どこにも残ってはいなかった。

(ああ、誰か、誰か回転を──せめて、俺の転がるのを止めてくれえっ!)

 そう、心の中で叫ぶ。すると、しばらくして、体が転がらなくなった。絹家は床と、進行方向に対して左側の壁の境目で、俯せになって寝転んだ状態のままになった。

 部屋の回転が止まったわけではない。むしろ、回転が速くなりすぎたため、遠心力の大きさが重力の大きさを上回り、壁と床の境目に押し付けられているのだ。

 ああ、助かった。そう呟こうとした。しかし、呟けなかった。顔面が強い力で圧されているため、口が動かせないのだ。それどころか、呼吸もままならない。

 絹家は頭を上げようとした。しかし、遠心力はどんどん強まっており、頭どころか体のどの部分も、ぴくりとも動かせなかった。

 だんだん、息が苦しくなってくる。全身が、遠心力に耐え切れず、めきめきめき、と音を立てて潰れ始めた。

(たっ、頼む、回転よ弱まってくれ、俺は転がってもいいから、頼むから弱まってくれっ──)

 そう考えた次の瞬間、意識が途切れた。


   〈了〉

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回転部屋 吟野慶隆 @d7yGcY9i3t

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