第12話 相生山の戦い後編
相生山に陣取って突出していた今川軍を攻撃する織田軍は後方から来る秀康率いる戦力には足止め程度の戦力を割いて三方面から敵を包囲するように井伊、吉良、飯尾の三勢力に猛攻を仕掛けた。
豊田工業大学の周辺には団地と集合住宅があり、今川方は団地や集合住宅を障害物として利用して頑強に抵抗を続けた。東海道方面と豊田工業大学の北側から来た織田軍は進撃を阻まれてしまった。比較的に容易突破可能な長久手方面は一番数が多い吉良勢と衝突した。吉良勢は先の京ケ峰の戦いでの戦訓を元に対戦車装備の充実を強化していたために織田軍の機甲戦力による突破を阻止することに成功した。吉良勢は態勢を立て直し、防衛線を敷くと井伊勢及び飯尾勢に救援の戦力を割いて援護に回り始めた。
織田軍の航空兵力は既に今川の攻撃に対しての防空戦闘と攻撃に使用しており、十分な戦力を投入出来ないでいた。さらに長久手方面にいた航空戦力も豊田に配備された今川軍の航空戦力に攻撃されて戦力の投入に遅れた。
逆に今川方は豊田方面と豊明方面から素早く航空兵力を投入したために織田軍は空からの攻撃を受ける事態になってしまった。これが織田軍の進軍を遅らせることになった。
井伊勢は豊田工業大学北側から来る敵に対して頑強に持ち堪えてしまい戦線は膠着状態となった、飯尾勢は上手く敵に包囲されないように敵の進軍を抑えつつ後退して決定的な打撃を避けていた。吉良勢は天白公園を突破して突出してきた織田軍に押されかけるも井伊勢と協力して敵を押し戻すことに成功する。
秀康陣営
天白川に架かる東海道の橋を破壊することに成功すると鳥居と平岩達は秀康達と合流するべく動いた。二人を援護していた忠勝、康政、康高、モブ達も秀康達を援護する行動に移った。
秀康は敵の主力がいる相生山に向かうように進軍した。まさに敵のど真ん中に突入したのである。敵は最初は混乱したのと抑え程度のつもりだったが…秀康本人がいるのを確認すると命令を忘れて殺到してきた。
「どんどん!矢を持ってこい!!」
「はいはい」
内藤正成は弓矢搭載専用軽トラックを使って次々と弓矢を放ち、接近しようとした織田兵を撃ち抜き、遠距離にいる織田兵も撃ち抜き、障害物にいようがいまいが撃ち抜き、という風に弓矢無双を始めていた。
「夏目も敵を斬りますよーやるぜ!やってやるぜ!!」
「「ヒャッハー」」(小栗&植村)
夏目を含む武力特化三人組が敵陣に突撃をして無双というよりは…もはや蹂躙という言葉がピッタリ!の状況を作り出し始める。
「秀康殿を援護しろ!!」
山口教継の兵士達は巧みに敵の側面に回りながら敵を撃破していった。
「秀康様!前に出るのは危険です!!」
「俺は前に出るぞ!」
ドドドッ!!(数正殿が突撃する音)
「お前が前にでるのかよ!」
秀康が前に出ると数正殿が、さらに前に出るという戦いになった。ちなみに夏目達も前にいる。あとオマケで西郷正勝も前に出て意外と無双している。秀康の傍には正信、富正、清政が控えていた。秀康を狙って敵が殺到したため夏目達だけでは抑えられない状況が生じて乱戦になると秀康自身も敵と戦うものの本人が満足する戦いにはならなかった。(傍にいるのが優秀過ぎるのと数正殿が飛んで来て敵を蹴散らすためである。)
※秀康は猪突猛進というよりも味方を救うために囮になるのと援軍が来ることを知っていたために前に出ていた。また、既に一通りの装備の使い方は理解し訓練を終えたので実際に戦って実戦データの収集と『童子切』の切り味を確かめようとした。
秀康達が敵と戦っている間に織田軍は今川軍の包囲に成功するかに見えたが…みよし市方面と豊明方面から来る松平勢の攻撃を受けることになった。
みよし市方面軍
こちらは比較的直進が出来たため、機甲化が中途半端なわりに凄い速さで行軍して長久手方面から来る織田軍と激突した。大久保忠佐や吉岡定勝などがいたこともあり特に苦戦することなく、終始織田軍に対して有利に戦いを進めた。
豊明方面軍
逆にこちらは機甲化部隊だったが直進が難しく、藤田学園を突っ切るかたちでとはいえ、時間がかかった。織田軍との衝突はお互いの機甲戦力の主力同士対決となり、激戦となる。織田軍も事前に今川方の動きを察知して極めて迅速に陣形を整えて向かい打つ形を整えていたものの朝比奈勢と松平家の最精鋭戦車隊の攻撃の前には陣形を維持できずに切り崩されて戦線が崩壊し、総崩れとなる。
※史実のフランス侵攻やバルバロッサ作戦などと同じで戦車戦に対する戦術と練度が今川方が遥かに上回っていたために容易に側面を取られたり、優位ポジションで攻撃されて各個撃破された。パンツァーファウストの威力と駆逐戦車(三突など)の効果的な使用の差も出て数で上回りながらも予想以上に脆く突き崩されてしまった。それでも織田軍も維持を見せたため今川方も被害を出している。
最終的な結果を言えば今川方の大勝利に終わった。
織田軍の捕虜は三万を超えてしまう大損害を出した。大量の戦車を始めとした兵器も鹵獲されてしまう。織田軍は組織力に優れている一方で個々の兵士と指揮官は弱く、士気は高いが決死の戦いを選ぶより投降する方を選ぶ兵士の方が多いという特徴があった。
さらに、織田信長を含めた主要な武将は逃げてしまっていた。兵士を置き去りして酷いと思うかも知れないが一般の兵士と武士では捕虜の扱いが違い過ぎるので一般の兵士達の恨みを買うことは殆どない行為である。(平時からの武将との信頼度や絆が露骨に兵士の態度に表れやすい、また、明らかに兵士を見捨てる行為は当然兵士の恨みを買う。)
※信長の場合は兵士達に最後までの決死の戦いを強要しない傾向があった。戦術的撤退を容認していること及び尾張の兵士達の気質も重なり、置いて行かれた兵士は意外と呑気な顔をしていた。また、信長は見捨てたというよりも率先して兵士を逃がすために自ら陣頭で逃げることが多かったことも影響している。実際に逃げ切った兵士も多くいた。(逃げ切れない兵士には無理せずに投降するように命令もしていた。)
※戦国時代とはいえ、捕虜に関する条約と世間の常識と目があるため捕虜に対する扱いは意外と軽い。乱取りのように捕虜を奴隷にする行為は外道(禁止行為)とされていたのと捕虜は戦の終了後は捕虜交換や身代金の支払いなどで引き渡すのが常識化していた。身代金が払えない場合は捕虜の人数分の対価を求めることもできた。織田家は経済的には凄く豊かなことを敵も味方も理解していたので捕える方も殺さずに捕えようとしていた。捕らえられる側も身代金は支払われると踏んでいた。
※ただし、武士階級だけは武士という文化と戦略的重要性から扱いが異なった。身内で反逆者だと殺されても文句は言えない。敵同士の場合も相手に行った行為によっては殺されても仕方が無いと世間は考えるのが一般的である。感情論が入りやすいため一般兵と違い相手の出方が読めないという恐怖があった。
今川方の被害
甚大な被害が出た、死者数は織田軍を上回る結果となった。車両の被害も多く出た。井伊勢、吉良勢、飯尾勢は戦意を損失して兵士達は帰郷を強く望み始めた。「恩賞を貰って家に帰りたいんじゃー」という感じで「次も戦いがありますよ!」とか言ったら暴動が起きるレベルになっていた。
ちなみに両軍の投入した兵力は双方合わせて十万は超えており、まさに決戦であった。
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