第9話 尾張侵攻作戦 前哨戦
尾張侵攻作戦は早期動員による電撃戦を予定していた。だが、遠江国の諸勢力がワザとモタモタ準備するせいで予定は大幅にズレ込んだ。当然の如く、織田方は今川の動きを察知して尾張の軍需生産施設を移転させ始めた。
※三河の軍需生産施設は現地の人々の強い抵抗が予想されたため織田家が建設した施設のみに留めざる負えなかった。
尾張の総人口は400万人に満たないのに対して三河だけで尾張の三分の一以上は確実にいた。遠江と駿河の人口は尾張を上回っていた。さらに信長は尾張を完全には統一していないし、上流階級から嫌われている状況から動員できる兵力に制限がかけられてしまった。
三河では織田家に対する反発が強く、市民が暴動を起こす勢いがあり、三河地域での迎撃作戦は水野信元、佐久間信盛らに支持されなかった。逆に山口教継は三河迎撃論を主張したが受け入れられなかった。
※斎藤道三は健在で同盟関係は強固だったため、援軍は期待できた。斎藤家の軍勢は名古屋付近までであれば布陣する気があると考えられていた。ちなみに美濃の人口は約三百万以上と多かった。
今川方は各地に動員をかけた結果、十万を超える大軍勢が織田家との境界線に集結した。この侵攻作戦の目的は優先順位別に以下となった。
①織田方に取られている三河の領地の奪還
②知多半島の制圧
③東海市などの天白川内側付近(今川方から見た場合)の制圧
そして、この侵攻作戦の真の目的は遠江国と三河の諸勢力の力の削ぎ落しにあった。そのため、義元自身は出陣せずに駿府に留まった。(対武田と関東情勢の注視も含んでいた。)
侵攻軍も松平秀康軍、吉良義昭軍、戸田康光軍などに分割して競わせる方式を採用した。今川勢は秀康の補佐と後方での監視に重点を置いた役割に徹する形になっていた。
※戸田康光は岡崎城代であることを理由に岡崎城に居残るという事態になった。知多半島の攻略という比較的に楽な役割をするなど明らかに城代の権力を使って自分に有利なようにしていた。
以下、両軍の戦力状況
松平秀康軍
秀康軍には軍監として朝比奈勢、安部元真、岡部元信が従った。与力に西郷正勝がいた。秀康は朝比奈勢に戦車戦力を集中することを提案したところ賛同を得たため、各勢力の精鋭戦車隊を集結させた。
「ここは、もちろん朝比奈殿が司令官に!!」
「我らは軍監ゆえに秀康殿がなるべき!」
「はい…」
という形で秀康が機甲戦力の司令官に就任した、最初は刈谷城まで一気に全軍で侵攻後、刈谷城を落とししだい、豊田市に向けて進軍する計画で合意した。豊田市攻略軍の司令官は石川数正で決定した。
秀康率いる機甲戦力軍は石川数正軍が豊田を攻撃中に織田軍に奇襲されないように名古屋と豊田の中間地点で敵の援軍を食い止める役割をする。(機動防御戦術)
松平広忠公は安祥城を今川軍に提供するために開城して広忠公は岡崎城下の本多重次邸に移動した。この策は広忠公の発案である。(戸田康光と対照的だったために今川方の諸将から称賛されることとなった。)
主な所属武将
秀康隊(約七千人)
朝比奈勢、西郷正勝、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、大須賀康高、本多正信など
石川数正軍(約一万六千人)
安部元真、岡部元信、吉岡定勝、大久保兄弟、本多重次、松平忠輝、松平康忠など
居残り組(数百人)
松平広忠公、本多成重、本多正重、服部正成など
運用状況
朝比奈戦車隊の四号戦車が合流した、松平家も保有している四号ちゃんを増加させている。松平家の戦車戦力のうち秀康隊には最新鋭の戦車150両が加えられている。他の松平の戦車は全て石川数正軍に投入されている。以前と変わらず非戦闘員多め、豊田攻略は義元も絶対成功させたいところなので今川の最精鋭が投入されている。参加している武将と兵士も士気が高い、今回のガチ勢の集まりという感じになっている。
松平忠輝には軍監として本多重次が付けられている。
吉良義昭軍
総兵力六万以上
主な武将
関口親永、井伊直盛、飯尾連龍、鵜殿長持、菅沼定盈、天野景貫など
運用状況
数は多く装備もレベル高いが士気が全体的に低い、それぞれが思惑が異なる集団の集まり、武将としては能力が高い人物がいるが…本人達が本気になっているとは思えない状況である。
攻略目標の刈谷城突破後は中央の大府方面を担当する。牽制が主であり、大きな戦果は期待されていない。多少の消耗はして欲しいと義元は願っている。
戸田康光軍(約三万六千)
主な武将
朝比奈泰能、松平信定、酒井忠尚、大草松平家など
運用状況
実は知多半島の制圧を担当し本命の一つである、今川の最精鋭が投入されている。今川の海上戦力の全てを投入している。海上戦力的に織田方は負ける、それ以前に上流階級との対立で海上兵力が士気が低すぎて使い物にならない状況である。
松平信定、酒井忠尚、大草松平家は今川に命じられて仕方なくという感じではあるが…航空兵力を持っているので非常に助けになる。
戦いは早朝に始まった。まず今川方の航空戦力が各地の織田方の基地を攻撃した。その後、全軍が猛進撃した。呆気ないほど簡単に刈谷城は落ちた。というより、空っぽの状態で軍需生産施設も持ち去られていた。水野勢は全軍が緒川城に集結して織田軍と合流していた。
「知多半島攻略作戦を開始する!!」
そう戸田康光の命令と共に知多半島に対して攻撃を開始した。知多半島には罪を許された織田信行、林、柴田らと共に佐久間盛重が軍監として従軍していた。司令官は信行で兵力は約一万六千いた。これに水野家を中心とした知多半島の織田方が加わる。水野家の緒川城を中心に遅滞戦術による防衛線を引いて激しく抵抗した。
赤鶴、青彩、黄猿が的確に信行を女中でありながら助言して助けたために信行軍は頑強に抵抗して緒川城は落ちず、今川軍の侵攻も遅れることとなった。
「これより、豊田攻略戦を始めるぞ!」
「「おおおー!!」」(多数の声)
豊田攻略は予想以上に抵抗が激しかった。
「中々、落ちんようだな!どうにかならないか…」
「報告致します!」
「なんだ?」
「山田景隆どのを始めとした東豊田勢が織田方を裏切り、加勢に来ております!」
「なんとぉ!それは非常に良い知らせだ!」
秀康の元に届いたように山田景隆が加勢に加わり、一気に豊田は陥落した。戦いは郊外に築かれた砦と基地を中心に行われたために豊田市の重要施設に対しての被害は少なく済んだ。
「報告します!織田信長軍が現れました!!」
「なんだと!」
今川の大軍が迫る中で信長が重視したのは豊田だった。しかし、信長軍は斎藤家との連携や中央情勢の注視で行動が遅れていた。そのため、豊田に向かう途中で豊田は落ちてしまう。そして最悪なことにみよし市のみよし公園を過ぎたところにある東名高速道路付近で秀康軍と会敵した。
※信長は斎藤家の軍勢に名古屋城を開城して預けるという手段に出た、あまりに凄いことだったので斎藤家の援軍は驚きのあまりに素直に名古屋を守る事態となった。奇策で大変良かったが代わりに美濃勢も三河武士並に頑固だったので説得するのに時間がかかってしまった。
「攻めろ!攻めろ!兵力は、こっちが上ぞ!!」
織田方は兵力が三万六千人と多く、士気も高いために松平勢に突撃しようとした。
「おい!見ろ!!本多平八郎の旗が来るぞ!!!」
「うあああああ!本多平八郎だ!!」
「怖いよおおおお!!にげろおおおおお!!」
本多忠勝が率いる主力が前面に出ようと移動したら織田方が引き下がってしまった。
「本多平八郎とは言え、まだ幼子ぞ!!前に出ろ!前に出ろ!」
織田方の丹羽長秀が兵士を鼓舞するが…
「いやだああああああああ!」
「拒否する!」
こんな状態になった。ちなみに実際に攻撃を仕掛けた恐れ知らずの隊がいたが…忠勝と戦う前に松平勢に蹴散らされて撤退する羽目になった。
「このまま睨み合いか…」
「信長様!報告致します!!」
「なんだ?」
「敵の援軍が来ました」
「来てしまったか」
「どうしますか?」
「恐れるな数は我らの方が上ぞ!」
援軍として来たのは豊田を攻略した、石川数正軍だった。
「報告いたします!!」
「またか、何だ?」
「山口教継が謀反しました!!」
「なんだとぉ!!」
予想もしていなかった裏切りに信長も流石に驚くこととなった。
秀康陣営
織田方が退却を始めたため、秀康は全軍に攻撃命令を出した。
「織田が退こうとしているぞ!追撃しろ!!」
すぐさま本多忠勝、榊原康政、大須賀康高らが織田方に突撃しようとする。
「かかれ!かかれ!」
「ヒャッハー」
ところが丹羽長秀隊、佐久間信盛隊、平手政秀隊が前に出てきて今度は頑強に立ちふさがってきた。撤退は信長を先頭に滝川一益が音頭取るという鉄壁の布陣で行われたために松平勢は織田軍主力を取り逃がす羽目になった。
「クソッ!逃がしたか…康光殿と打ち合わせをする必要があるな!」
信長を取り逃がして秀康は悔しそうだった、だが豊田市を落とされたにも拘わらず、慌てて撤退するという危険を冒して逃げたということは織田方に何か重大な問題が起きたに違いないと秀康は思い、少しばかり笑みが零れた。
同時に戦局が今川に有利過ぎるようになったら、どうしようかと?悩むほど心配しはじめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます