第6話 統治の強化と三河武士の喧嘩!!

 大宴会後、家臣達との親睦を深めることに成功した、同時に残った残金で俺と富正と成重の魔装甲冑を仕立てた。

 今までは大名の息子とは思えないモブ仕様だったので今度はカッコいいのを用意してもらった。

 京ケ峰の戦いで着ていた陣馬羽織はカッコよかったが地味な面はあった…惜しいとは思ったが成重にプレゼントすることにした、代わりに俺はカッコ良くて赤い陣馬羽織を手に入れた。


 ※その他に岡崎市内の神社に祭用の神輿が壊れて使えないと聞いて新しい神輿を奉納した。他にも壊れた公共施設の修繕費なども出して使い切りました。


 成重にプレゼントしたのは成重が好きだからでは無い、好き嫌いで選ぶなら女子か富正に上げるに決まっている。では何故?かと言うと理由は広忠公護衛の役目という大役を成重に任せようと考えたからである。

 成重以外だと正重、服部正成の二人も付ける。この三人にしたのは強さもあるが最大の理由は頑固な三河者だからである。強さ基準なら他に候補は沢山いるが広忠公は大名で主人格である。この偉い上司が「少し離れていてくれないか?」と言って離れてしまうような連中ではダメである。また、部下に任せて目を離してしまうようではいけない。この三人なら三交代制とはいえ、自分の番では決して広忠公から離れないと考えたのである。


 広忠公には死んでもらっては困る、後方を安心して任せられる唯一の肉親であり、もし死なれると優れた調整役を失ってしまう。(めんどくさい家臣や雑事の引き受け役でもある。)


 ※忠輝もいるが…秀康的には死ぬ直前までの言動から判断するに忠輝を未熟と見ていた。今後の戦いには危険が伴うが自分の傍に置くことで経験値を積ませようと考えていた。ちなみに富正は秀康に具体的な説明は避けていたが忠輝に対する扱いは慎重に対応するべきだと強く主張していた。成重は能天気かつ同情的で「勇猛に戦いそうだから良いじゃね!」という軽いノリだった。


 ※二人の意見が分かれた理由としては富正は忠輝の勇猛さが無謀にならないようにと考える共に秀康が忠輝が死んだり、裏切ったりして悲しむことが無いようにと配慮していた。成重は富正ほど深くは無く、単純な戦力として考えているのと忠輝の無念を考えて同情的になっているだけという違いがあった。(富正が裏切りを考慮するのは秀康と自分以外の全員であり、腹心として当然の警戒である。成重は脳筋思考で敵対するなら『自分が切り捨てる』という考えである。)


 そして一番重要なのは現状は大名の息子でしか無い俺は義元公に直接仕えている立場では無い、この立場は何かと都合が良い、過去の歴史の世界とはいえ、常に同じ流れになることなど、あり得ない、じじつ幾つかは全く違う出来事が起きているし、それらが重なれば大きくズレるだろう、保険は多い方が良いし、桶狭間が起きなかったり、後に義元公を裏切ったり、織田家なり武田家に鞍替えするかも知れない。そういう時に『当主交代』という責任逃れが出来るからである。(二枚舌で酷い言い訳だが、無いよりは世間の風当たりは低いと予想される、)


「成重よ、一時とはいえ、離れるのは心苦しいが耐えてくれ…」

「私めを手放すつもりですな」

「大役だから、お前しかいないから、任せるのだぞ」

「秀康様!」

「成重!」


 ビシッ(二人で涙ぐんで抱き着く音)


「意味がわかりませんねぇ…」(呆れる数正殿)


 こうして俺は成重を安祥城という遠距離に送り出すことにした。


「さて、新たな護衛役は?」


 そう思って探すと数人が目に入った。


「夏目吉信でございます!」


 何か子孫に漱石という名前の文豪でも出てきそうな名前だな(笑)


「何が得意なのか?」

「夏目は剣で敵を切るの得意です!誰でも切りますよー」

「元気で良いな!」

「はいです!」


 この夏目を含めて小栗又市、植村家存、内藤正成などガチガチの武闘派で護衛衆を固める。


 さらに護衛衆と共に小姓として鳥居元忠、平岩親吉などを新たに取り立てた。


 秀康はこれらを率いて岡崎市のねり歩き、さらに岡崎市長に対して、こう発言した。


「安全保障費及び治安維持費の支払いと増額をせよ!!」


 岡崎市長は拒否しようとしたが完全武装した兵士に脅されて支払いを認めてしまった。この知らせを聞いた岡崎市民は秀康を支持し始める、理由としては市政や裁判所、警察は中央政府の統制が緩くなり始めると市民のことを考えずに賄賂や汚職、世襲などを公然と行うようになったためである。民度は発展途上国並みにまで下がっていた。これを不快に思っていた市民たちは秀康の行為を好意的に捉え始めた。


「市民の様子からして治安維持は必須だな!」


 そう感じた秀康は自らの家臣達を用いて積極的な取り締まりを強化した。岡崎市だけでは無く、安城市、西尾市などにも拡大した。安城市は敵である織田方の水野氏が勢力を広げていたが力を強め始めた松平家を刺激することを恐れたのか水野家は手を出してこなかった。他に松平信定の勢力圏もあった。この勢力圏は特別扱いをワザとして治安を悪くし、松平本家と比較させることで民心を信定から引き剥がしに取り掛かった。


 西尾市に関しては大部分が西吉良領になっていた。この地域は今川との取り決めで秀康傘下になったので秀康は堂々と治安維持行為を始めた。現地勢力との争いが起きると『ワザと追い出される光景』をカメラに撮影してテレビなどに放映した。とうぜん放映時は『非道!治安最悪の場所に住む西尾市民を救え!!』みたいな感じで現支配者勢力への批判を強めた。


 話は変わるが…実は、この世界にも学校がある。飢餓が原因で大量の死者が出始めたのは応仁の乱以降である。その前にセルロースナノファイバー技術による地方の発達や世界的な内戦が起きたが餓死は避けられた。それは中央政府が存続していて都心部に大量にあったビルなどの建物内で室内農業を行うことで食料不足を餓死レベルに到達するのを避けていたからである。


 それと同時並行して統制経済を導入して食料配給制と学校給食の維持が行われた。応仁の乱後も戦争による被害はあったものの学校は良質な兵士の育成に役に立つため大名が維持を望んだため存続した。また、市民からすれば『学校と警察と消防が無いなら行政なんていらない!』と言われかねず、行政が無くならないように配慮していた。


 こうした事情から学校は維持された。武士の子弟達も学校に通っていた。戦国時代とはいえ、我が子を優秀な学校にいれたい欲求は衰えず、自分の領地を越えて子弟を外の領地に学びに出すのは当然の行為として行われていた。東海地域なら名古屋大学や京都大学に子弟を入れようと必死だったりする。対立する大名同士でも子弟が同じ学校に通っているなんてことも戦国時代中盤頃までは普通だった。なので清康公くらいまでは同級生だったりした。しかし、この微笑ましい状況も…この時期になると急速に変わりだした。


 京都では三好、名古屋では信秀など、各地で大名による行政施設の囲い込みが始まった。三河では松平家が一時期だが三河を統一したこともあり、学校に三河中の武士の子弟が集まっていた。


 ここは岡崎市内にある学校、三河では有名な学校である。ここに正信、忠勝、康政が通っていた。若干コネなところがあるが仕方がないことである。

 ここで昼休みに三人が一か所に集まって雑談をしていた。


「勉強なんて嫌じゃ~」

「そう、勉強楽しいよ!」

「うぁー優等生がいるのじゃー」

「これに関しては二対一ね!!」

「うー正信も康政も勉強できるとか酷い!」


 忠勝は勉強が酷く出来ない、武術の授業も嫌いだった、型にハマるのが嫌いなのである。正信に言わせれば算盤とか勝負事など実用性を感じると忠勝は強くなるらしいが…


「やーい、やーい、平八郎の面汚しと三河の最弱と病弱な兄を持つ次男坊どもがいるぞ!!」

「なんだとぉ!やるのか!!」

「お、やるのか平八郎の面汚し!!」

「おう!やろうでは無いか!」

「よーし、喧嘩だ!!明日、大岩山で待っているからな!」

「何時だ!!」

「九時だよ~ん!三人だけで来いよ!!腰抜け!!!」


 ハッハハ!と笑いながらいじめっ子集団が消えていった。


「これで釣れたね(ゲス顔)」

「うむ、三人ならハンデとしては十分だろう!」

「あいつら強いの?」

「大人数だし、武器持ってきそう」

「望むところだ!」

「「うん!」」


 そして明日を楽しみに待つ三人であった。

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