饒舌
「話を聞いてなかったみたいだから、何をそんなに熱心に書いてるのかと思って。」
彼は後ろから片手を机につき、
もう一方の手でその詩集をパラパラとめくりながら言った。
座った私より幾分か高い位置から、それを見下ろしている。
「この手紙のことを話すつもりで、あなたに手紙を書いて呼び出したのよ。」
拍子抜けしてしまい、手紙を書く気が失せた私は羽根ペンを戻しながらそう答えた。
「婚約の話が大事な話? ふーん。」
彼は私の話より、ヘミングウェイの詩集に夢中だった。
彼がページをめくるたび、哀愁を含んだ、少し埃っぽく湿っぽい紙の匂いが鼻腔をくすぐる。
そろそろこの本も、少しは新鮮な空気に当てないと、ぼろりと破れてしまう日がくるかもしれない。
「"心の底からやりたいと思わないのなら、やらないほうがいい" だってさ。
婚約も、したくないならやめたらいいんじゃない?」
彼はヘミングウェイの言葉を引用して言った。
そして、引用した部分を人差し指でトントンと示す。
女性のように長い指だったが、綺麗で、洗練された男らしさも感じさせる指だった。
私の手より、ずいぶんと大きい手だ。さすがピアニスト。
「婚約の相手が誰か知っていてそれを言ってるなら、話は早いんだけどね。」
頬杖をついてそう呟いた。ある意味皮肉だ。
彼が私に恋心を抱いてるとは思わない。
そんな相手に婚約の話など、するのも憂鬱だった。
「君の婚約相手か。うーん…。
ストラーダ家の長男坊とか? あそこの息子はダメだ。
ただの能無しボンボンさ。
昔から家柄を盾に威張っているガキ大将で、散々辛酸を舐めさせられたからね。
君の婚約相手が彼なら僕は全力で止めるよ。
この前会ったけど、彼はそのまま大きくなったような奴だったし。」
唾棄するように、あるいは軽くまくしたてるように彼は言った。そして続ける。
「ああ、それともフォルステマン家の次男かい?
彼は優しくていい奴だったよ。
次男坊だからか、家業は継がせてもらえないみたいだけどね。」
ストラーダ家だの、フォルステマン家だの懐かしい名前が出てきた。
中流貴族のストラーダ家、薬屋のフォルステマン家。
どちらも世話になったが、息子の方に興味は全くない。
そんな彼らを登場人物に、彼は勝手に私の婚約の話を脳内で作り上げているみたいだ。
いつもより饒舌なのは気のせいだろうか?
人の婚約事情にそこまで執着するものではないと思うけれど。
しかし何が彼の口を達者にさせていたとしても、その豊かな想像力を、ここで活用されては困る。
「全部違うわ。」
ため息と一緒にそう答える。
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