彼と私は
羊皮紙にじんわりと滲んでいく黒インクが示すは手紙の宛先。
そう、私は手紙を書いている。
父に送る手紙を。母に送る手紙を。
羊皮紙は私の古き良き相棒で、私の思いは全て羊皮紙に綴られている。
手紙を書くなら羊皮紙。厚めの羊皮紙は書くほどに味が出て好きだ。
今までこの男にも何度か手紙を送ったことはある。
要件はその時によって全く違うのだが、毎回のごとく、当たり前に返信はない。
その代わり、手紙がついた翌日にこうやって書斎に顔を覗かせる。
隣町に住む彼は、馬車を走らせれば半日でここに来ることが出来る。
今回この男に送った手紙の内容は、
"話があるから来て欲しい。都合が悪いなら無理強いはしないが、できるだけ早く顔を出して欲しい。"
という、たったの二文のみ。
彼とはもう知り合って十数年の仲だった。だからこれでいい。
結局手紙はほんの2日で届いて、その翌日、すなわち私が手紙を送って3日後の昼前にここにやって来た。
そんな彼の立場は明確だ。
私が物心つく前から父が経営していた本屋の、お得意様かつ常連客というのが彼の立ち位置だった。
そして今、その常連客もとい目の前の男は私の婚約者となりつつある。
それを知ったのはたったの一週間前で、父母が勝手に決めてしまったらしい。
売れない詩人というレッテルを世間から貼られた娘の恋愛事情が、そんなに心配なのだろうか。
結婚なんてしたい人がすればいいのにと思う。
いや。恋愛事情と言うよりかは懐事情か。
父が本屋を経営していることに影響されたせいか、私は幼い頃から小説や詩集を読むことが大好きだった。
特に詩集。定型のないあの短い文章の中に、それぞれの人の思いが綺麗な言葉となって現れる詩。
それを自分でも書いてみたいと思った。
思い立ったが吉日とばかりに思いついたまま執筆し、何冊か、本当に何冊かだけ売れた。
手に入れた金額は1ヶ月の生活費にもならなかった。
執筆のかたわら、どこかの家庭で家事をする家政婦のような仕事をしてみたり、
果物屋のおかみさんに好意で雇ってもらって高めの賃金をいただいたり、そんな生活を続けている。
正直、お金には困っていないと言えば嘘になる。
だからこの街でも中流というものよりは幾分か程度の低い、
小さな部屋を一室借りて、店をたたんだ父からタダで本をもらい、
それに囲まれるように質素極まりない生活をしている。
対して目の前の彼の方はそこまで貧乏神に愛されてはいない。
幼い頃から彼は、音楽の才能があった。
たまに聞くことができた彼のピアノの旋律は、幼いながらにも美しいと感じるには十分なものだったと記憶している。
そうしてそんなピアニストとしての腕前を買われた彼は、今ではこの街で、歩けば笑顔で手を振られるくらいには有名だった。
かくして彼は、俗にいう貴族のパーティの余興でピアノを弾いてみたり、
あるいは町の音楽祭では客人としてもてなされたり、と悠々と生きている。
無論、下品な話だが、彼はお金に困っていない、と思う。
むしろ裕福なくらいなのではないだろうか。
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