3. 藤井、さらに単独行動する



 鶴見舜は、「tipi」のリーダーであり、ボーカルの松原ハジメとの打ち合わせを終えた後、先輩の柏木美穂とも別れて、一人コーヒーショップに入ってぼんやりと休憩していた。

「tipiは、もうダメかもね」

 別れ際、柏木美穂は無表情でそう言った。彼女は営業能力があり、売れる売れないの要素を見抜く感覚に長けていた。

「何年かこの仕事を続けていれば、いろんな事例を見るものよ。そのうちに、何となく感覚が身についてくる」

尊敬の言葉を口にした舜に対して柏木美穂はそう謙遜した。彼女はしかし売上第一主義の冷酷な人間というわけでもなかった。そんな柏木がもうダメ、と評する理由が知りたかった。

「どうしてですか?確かに地味かもしれないですけど、メンバー改変前のゴタゴタしていた時期よりはかなり良くなってると思うんですけど」

舜は正直に口にした。新譜のEPは五曲のどれもが、無難ではあるが小器用にまとまっていた。スマッシュヒットには至らないまでも、好んでくれそうな層はありそうだった。

柏木は考えるように首をひねった。

「それは……松原さん自身も音楽から気持ちが離れてしまっているから、かも」

舜は柏木の言葉にハッとした。自分の中でうまく形にならなかった想いにふいに気付かされたのだ。

「メンバーがやりたい音楽と折り合わない、と彼はいつも言っているけど、彼の中でも音楽制作やライブが義務的なものになっている」

 さらに胸に刺さるような指摘を柏木は続けた。

「そういうモチベーションっていうか、想いって、テクニカルな部分でカバーしても伝わったりするもんなのよ」

 柏木美穂は辛辣な顔はしていなかった。どちらかと言えば悲しそうな、彼らを案じるような表情を浮かべていた。

「そうですね……言われて、気付きました」

 舜は素直にそう言った。

「今、松原さんは精神的にあまりいい状態じゃないかもしれない。それを私たちがサポートしてあげたいんだけど、松原さんはそれも拒もうとしているのがわかる……」

 柏木美穂は唇を噛み、うつむいた。

「そういう意味でダメかも、って言ったの」

 何か言おうとして舜は一度口を開け、すぐに閉じてしまった。しかし諦めずにもう一度口を開く。

「少し休養して、また音楽に向き合えるように待つ、っていうのはダメなんですか?」

 舜は食い下がった。柏木美穂が悪者でないことはわかっていた。

「もちろんそれでもいいわよ?私はアーティストの味方でいたいし……」

──待ってあげる、というのはもちろん方便で、実質は廃業ということになるんだろうか。

 駿は柏木美穂の顔色を伺って、それ以上何も言えなくなってしまった。

「あのとき、僕は柏木さんに何か言うべきかと思ったけど……」

 松原さんに言葉を遮られてでも、想いを伝えるべきだったのかもしれない。舜はコーヒーを流し込みながら、後悔していた。

 何故なら、舜は担当するラジオ局で「tipi」の新作音源も積極的に配ったからだった。

「彼らは新人ではないんですが、変幻自在に音を変えて、意欲的に制作しているバンドなんです」

 そう熱弁をふるったのだった。


「契約って何ですか?」

 松原は目の前の、初対面の紳士に話しかけた。紳士は人差し指をすっと立てると、少々もったいぶった言い方をした。

「あなたがたの才能を、もっと世に知らしめたいのです」

「はあ……ええと」

 松原は戸惑った。裕福な身なりをしていても、いや、していないからこそ詐欺師が寄ってくるのだろうか。

「藤井、でございます」

「はあ、藤井さん」

「私に寿命を数年くだされば、あなたをスターにして差し上げますよ」

──スター。

 デビューしたばかりの頃だって、口にしたことはない単語だった。いったいこの世の中に何人ぐらい「スター」がいるというのだろう。

「……じゃあ僕、バイトがあるんで。これで失礼します」

 そう言って振り切ろうとした松原の前に藤井は立ちはだかった。いよいよこの男はおかしい。警察を呼ぶべきだろうか、と松原は逡巡していた。

「バイトなどしなくてもよくなりますよ」

「バイト、嫌いじゃないですから」

 藤井は顎に手を当て、思案顔になる。しばらく固まったようにその体勢のままだったが、やがて口を開いた。

「最初にお会いした時に、申し上げたことを覚えていらっしゃいますか?」

「え?」

 松原は聞き返した。もちろん覚えてなどいない。ライブの感想を一言か二言聞かせてくれたような気がするが──。

「わたくし藤井は、人形です、と申したつもりです」

 藤井は右手を胸に当て、恭しくお辞儀をした。

「そうでしたっけ?」

 一刻も早く松原はこの男の前から立ち去りたかった。言っていることもやばいが、危害を加えられる恐れもある。次の出方を見計らう松原の前で、藤井はいきなりすぽんと自らの首を引き抜いた。

「これで、信じていただけますか?」

 右手で自分の首を捧げ持った藤井が笑った。

 松原の視界はそこで暗転してしまった。

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